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二階堂真琴の売春

二階堂真琴の売春 2

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 意味が分からない。
 彼女と別れた後その言葉の意味を反芻しても全く自分の中に入ってこない。
 一応僕はその言葉の意味を訊ねた。

「ですから、その華屋兄弟と私が売春したっていう証拠を見つけて下さい。お願いします!」

 そう言って彼女は僕に頭を下げる。

「いや、そういうのは自分でやっているかどうか、わかるでしょう?」

 自分でやっていることが分からないなんて変だ。

「ううん、詳しくは言えないけど、私は売春してないけど、してることになってるの。だからその証拠が欲しいんです」
「してないけど、している?」
「はい。えーと……」
「つまり、無実の罪で言いがかりをつけられてる、ってこと?」
「えーと、まあ、う~ん」

 まだニュアンスが違うのだろうか?

「ともかく、礼人さんは信用できる方だと、私思いました! だから、私の事ちょっと調べて貰えませんか? お店の中のこととか、私じゃ調べられないので」
「もしかして――」

 それが目的で今回の依頼をしたのか?
 店の内部情報が欲しくて、取り合えずレンタル彼氏を再び雇った――ということなのだろうか?
 彼女の俯き気味の顔から見える瞳にはYES、と書いてある。

「――僕にも守秘義務があるから……」

 彼女の顔が曇る。しかし、僕の心も晴れない。どうも釈然としないのも確かだった。

「でも、わかる範囲でよければまた連絡するよ」

 ぱあっと彼女の顔が明るくなった。

「ありがとうございます!」

 そう言って彼女は僕の手を取り笑みを浮かべる。こんな素敵な笑顔のできる子が、売春をするのか?
 訳が分からないまま僕は報告がてら事務所への帰路へと着いた。






「つまり、兼平君の見立てでは白なのか?」
「……はい、まあ」

 事務所の奥にあるこじんまりとした社長室で社長である一条さん直々に僕は事情聴取されている。スポーツマンだったようで体躯はがっしりしていて、高そうなスーツの上からでも筋肉の盛り上がりが見て取れる。

「あの、あくまで印象です。証拠らしきものも、尻尾も掴ませては貰えませんでしたから……」

 まさか自らその噂を調べて欲しいと懇願されたとは言い辛いので黙っていた。余計にややこしいことになりそうだったからだ。

「と、なると……やはり華屋達に聞くしかないか」

 苦々しそうに社長はそう呟く。

「でも、意味があるでしょうか?」
「ないな。時間も手間も無駄だ。どうせ黒ならこのまま来ないで辞めるだけだ。ただこれは一応、他のメンバーに対する見せしめでもあるからな。ある程度確定したことで裁かないと、示しがつかない」

 なるほど。疑惑のまま終わらせて辞められより、この店がクリーンでありそういったことを許さないと示すことの方が社長にとって大事なのだ。この人は商売の基本が信用だと信じている。信用は目に見えない。だからこそ、こういう信頼を根本から崩すことが許せないのだろう。

「……良ければ、僕が調べましょうか?」
「……何?」
「あ、いえ。乗り掛かった舟ですし、気になるところもありますから。住所を教えて頂ければ、二人から話を聞いてきますが」

 不自然ではなかっただろうか? 僕がこれ以上このことを調べるにはもっと当事者の話に突っ込まなければならない。僕は少し緊張した面持ちで社長の言葉を待った。

「やってくれるなら助かる。正直、俺は動けないし事務員の金城じゃ頼りない。お前は――有能だ」
「――恐縮、です」

 まさかこんなところで褒められるとは思わなかったので少しだけ面食らった。

「やれることはやる。出来ないことは断る。それがお前だ。出来るんだろう?」

 それは過大評価だ。でも、ここは頷く以外の選択肢がなかった。

「――やれる範囲で、頑張ります」

 こうして僕は社長のお墨付きを貰い事務所を出た。






 中野駅で降り、北口のロータリーからバスに乗り鷺宮方面を目指す。
 何と華屋兄弟の家は僕の住んでいる大学の寮からさほど離れていなかった。つまり、僕の生活圏なのだ。僕は善は急げとばかりに帰り際に寄ってみることにした。
 哲学堂近くでバスを降り、住宅街へと入っていくと程なくして目的の場所と思しき一軒家が見えてきた。レトロな感じの平屋。あまり、経済的な余裕はなさそうに見える。ここに、二人で住んでいるのだろうか?
 玄関の格子扉の横にドアベルがあり、僕はそれを鳴らす。
 もう辺りは暗く、中からはわずかながら光が漏れている。誰かいる様子だ。
 鳴らしてから暫くして、ドタドタ、と駆ける音と共に扉がガラガラと引かれる。

「はい?」

 中から現れたのは若い男だった。

「あの、華屋、哲司さんと学士さんに会いに来たのですが……」

 目の前の男がそのどちらか、だろうか? 確かに写真には似ているがどちらとも判別がつかない。あの兄弟はそれほど似ていた。

「二人はいないよ」
「え?」

 彼の答えはそのどちらでもなかった。

「あの……」
「あんたは?」
「あ、はい。申し遅れました。私は二人の勤め先だった『デイライト』から遣わされました。兼平礼人と言います」

 恭しく頭を下げ、仕事用の名刺を渡す。

「あの、それで……」
「俺は堂羅(どうら)、末の弟だよ。二人は兄ちゃん」
「あ、そうなのですか……」

 流石に会社のデータベースにバイトの家族構成まで記載はされていない。二人に兄弟がまだいたことは初耳である。

「それでその、二人に聞きたいことがありまして、お会いすることはできませんでしょうか?」

 彼は難しい顔をして僕を窺うように睨み付ける。

「いつ帰るか、わかんねえから」
「え?」
「別に嘘言ってるわけじゃねえよ。本当にいつ帰るかわかんねえんだ」

 そう言って彼は手に持っていたスマホの画面を見て何かを確認する。

「そろそろ時間か……」
「あの……」
「上がって。見た方が早い」

 そう言うと彼は勝手に家の中に戻っていってしまう。
 僕は数舜迷った後、彼の後を追うように家の敷居を跨いだ。
 彼についていくと奥座敷の畳の間で彼はテレビをつけ、僕に座るように促した。
 何事か分からず、戸惑いながらも僕はそれに倣う。
 まだCMのようで、いくつかの提供テロップが見て取れる。
 その中にふと見慣れた苗字を見つける。――米田貿易。何気なしに見ていたが、ふと彼女の名前を見つけ少しだけ嬉しい気持ちになるのは何故だろうか?
 テレビ番組は何かの音楽番組のようで、アーティストが代わるがわる歌っていく。

「ほれ、次」
「え?」

 歌っている男性グループに彼は指を伸ばす。

「あれが兄ちゃん達。今日デビューなんだよな」

 そこには確かにレンタル彼氏サイトで見た写真そのままの男が二人、歌い、踊っていた。
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