団長補佐官ははかの女騎士に想いを寄せる

きさらぎ月夜

文字の大きさ
10 / 13

人違い

しおりを挟む
彼女は暗闇の中に立っていた。
そこは見覚えがある場所だ。
見覚えがある景色だ。
見覚えがある天気だ。


そして、身に覚えがある、静かさだ。



雨の音。その音以外聞こえないくらい大きな。ほかの全ての音をかき消すほど大きな。暗い。昼間なのに暖かな陽の光が入ってこない。分厚く黒い雲で覆われた空。
怖い。何かが起こる。怖い。何かは起こった。怖い。息を潜めなければ。怖い。手が震える。血の気が引いて全身が冷たい。それなのに冷や汗が出る。


怖い寒い冷たい熱い


嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ


真っ暗だ。嫌だ。
寒い。嫌だ。怖い。

誰か───





その時、彼女の右手がポウっと柔らかく温かな光をはなった。彼女は涙が今にも零れそうな目を驚いたように見開いた。その拍子にポロリと一筋涙が頬を伝う。
それを拭うように頬にも温かな光は広がり、それに安心したように彼女は目を伏せた。







ー・ー・ー・ー



ふと目を覚ますと、橙色の光が優しく入る部屋に時折紙をめくる音だけが静かに響いていた。




ここはどこだっただろうか。たしか、私は……



「フレイアさん?」

フレイアの微かな身動ぎの音に気づいたのか、ベッドの傍らに置かれた椅子に座っていた人物は優しくフレイアに声をかけた。
落ち着く声だ。聞き慣れた、少女にしては低めの、少年にしては高めの声。


起きたばかりだからか、逆光ゆえか、視界が少し霞んでよく見えない。頭もぼんやりする。
ミルクティー色の、髪。ふんわりとした、中性的な声。


「……おりびあ?」


だからか、フレイアはここに入るはずのない少女の名前を思わず口にしていた。


「え……」

目の前の人影が困惑したように固まったのをぼんやりと見つめて、やがてフレイアは覚醒した。


「……………………アーサー、殿」




よく見たら、よく見なくても、目の前にいるのはアーサーだった。




何故オリビアだと思ったのか自分でも分からず、人違いに恥ずかしくなってフレイアは頬を真っ赤に染める。
目の前にいるのはミルクティー色のふわふわの髪をした可愛い友人ではなく、蜂蜜色のどちらかといえばサラサラとした髪の毛の、頼りになる団長補佐官のアーサーだ。


「あ……えーっと、」
「…………すまない、アーサー殿………………」


恥ずかしさから両手で顔を覆ってしまったフレイアを見て、困惑しながらもアーサーは顔に笑みをはりつけた。

「いえ、大丈夫ですよ。水でもいかがですか?」
「いただきます……」

恥ずかしさがおさまらないのか両手で未だ顔を隠したままこもった声でフレイアは答える。
そんな彼女を混乱から戻ってきたアーサーは優しげな瞳で見つめた。


サイドテーブルに用意されていた水差しからコップに水を注ぎ、それを体を起こしたフレイアに手渡すと、礼を言って彼女はそれを一気に飲み干した。アーサーは空になったコップを受け取り、もう一度水を注いでから彼女に渡すと、次はゆっくりと水を飲み、半分くらい減ったところで口からコップを離した。

「本当に申し訳ない、アーサー殿を女性と間違えるとは……」
「いえ、大丈夫ですから」

アーサーがフレイアからコップを受け取りサイドテーブルに置くと、フレイアは頭を下げた。

「本当に、どうして間違えたのか……こんなにも貴方と彼女は違うのに……」
「…………そういうこともありますよ。良く見えていなかったようですし」
「そうか……そうだな……」


アーサーは気落ちするフレイアを慰めようと彼女の背に手を伸ばして、やめる。
そんな彼に気付かずにフレイアは頭を上げた。

「アーサー殿、今回の件ではとても世話になった。ありがとう」
「いえ、とんでもない」
「あなたがここまで運んでくれたと聞いた。本当に感謝している。よかったら今度お礼をさせてくれ」
「いえいえいえいえ、そんな、当然のことをしたまでですから」




アーサーが体の前でブンブンと手を振るのを眺めながらフレイアは少し微笑んだ。頭痛は治まっている。

「よかったら、だが、今度一緒に食事でもどうだ?勿論、私の奢りだ」
「……是非。でも、僕にも半分出させてくださいね」
「そんなことはさせないよ。私が世話になったのだから」
「………………」
「………………」

どちらも譲らないというようにじっとお互いを見つめ合う。
医務室につかの間の沈黙が落ちる。



「ふふっ」

先に笑みを漏らしたのはどちらだろうか。気付けば互いの顔に笑みが溢れていた。

「ふふふ、はは、ははは!」
「あはははは!」

なぜ自分たちが笑っているのかすらよく分からないが、なんだか笑えてくる。どうしてこんなことで言い合っているのか。

「ふふ、では、お言葉に甘えてご馳走になりますね」
「ああ、是非とも。どこに行きたい?」
「……あなたのおすすめの食堂に」
「承知した」

アーサーは嬉しそうに微笑んだ。
その顔は友である彼女にとても似ているようで、似ていない。ふと彼女の笑顔が頭の片隅にかすめるが、今は彼の心からの笑みが嬉しかった。









「では、次の休みに」



共に食事に行く約束を取り付けた頃にはもう日は沈んでおり、外は暗くなっていた。
そろそろアーサーも寮に戻る頃合いだろう。話が一段落したところでアーサーに帰りを促そうとした時、扉が音を立てて開き、フィオナが入ってきた。

「あら、起きたのね。よかったわ」
「フィオナ殿」

キビキビとフレイアに近付くフィオナを見てアーサーは彼女に場所を譲った。
フィオナは先程までアーサーがいたフレイアにほど近い位置に来ると彼女の額に手を当て、熱を測る。

「うん、大丈夫そうね。体調はどう?」
「問題ない」
「本当に?」
「ああ。頭痛も吐き気も引いた」

フィオナがじっとフレイアを見つめる。


「ん。嘘じゃなさそうね。一応今日はここに泊まって療養することをお勧めするわ。どうする?」
「じゃあ、そうしようかな。フィオナ殿が勧めるならそうした方がいいってことはもう何回も学んだからな」
「そうね、そうしなさい。私は横の仮眠室にいるから何かあったらいつでも呼びなさい」
「ああ。ありがとう」

スタスタとベッドから離れていくフィオナの後ろ姿を見送っていると、急に振り返った。

「ああ、アーサー補佐官。熱がひいたとはいえ彼女はまだ病人。無理をさせてはいけませんよ」
「はい、すみません」
「いや、アーサー殿が謝ることじゃない。気にしないでくれ」

すかさずフレイアがアーサーを庇うと、やれやれといった表情でフィオナはカーテンで閉ざされた空間から出ていった。きっと残りの仕事をするのだろう。それをフレイアが見届け、アーサーに視線を戻すと、アーサーも少しベッドから離れ、フレイアに微笑む。

「それではフレイアさん、お大事になさってください。私はこれで失礼します」
「ああ、今日は本当にありがとう。気を付けて帰ってくれ」
「はい、ありがとうございます」

一礼して去っていくアーサーをベッドの上から見送ってから、フレイアは体をベッドへと預けた。










あの時の夢を見ていたはずだった。
忘れもしない、忘れることなどできない、恐ろしく、悍ましく、そして憎らしい、かつての夢。
雨の日は必ずと言っていいほど奴は夢の中に現れて、フレイアの記憶を掘り起こす。そして同時に恐怖と憎悪を植え付け、瞬く間に消えていく。

でも今日は。
右手を見る。あたたかい光だった。心が安らぎ、穏やかになる。恐怖も憎悪もあの光に包まれた瞬間、どこかに消え去った。目を覚ました時、目の前にいた彼。彼は手を握ってはいなかったけれど、右手には優しい温もりが残っていた。
倒れる寸前に見た、焦った顔。起きた時に見た、安心したような顔。破顔した顔。優しい顔。他に彼はどんな顔をするのだろうか。今まで多くを話したつもりで何も彼のことを知らなかったのではないか。頭の中に浮かんでは消えていく彼の表情。可愛い友人とどこか似ていて、似ていない。

温かな彼との食事に思いを馳せながら、フレイアはゆるやかに瞼を閉じた。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される

clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。 状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

【完結・おまけ追加】期間限定の妻は夫にとろっとろに蕩けさせられて大変困惑しております

紬あおい
恋愛
病弱な妹リリスの代わりに嫁いだミルゼは、夫のラディアスと期間限定の夫婦となる。 二年後にはリリスと交代しなければならない。 そんなミルゼを閨で蕩かすラディアス。 普段も優しい良き夫に困惑を隠せないミルゼだった…

冷徹公爵の誤解された花嫁

柴田はつみ
恋愛
片思いしていた冷徹公爵から求婚された令嬢。幸せの絶頂にあった彼女を打ち砕いたのは、舞踏会で耳にした「地味女…」という言葉だった。望まれぬ花嫁としての結婚に、彼女は一年だけ妻を務めた後、離縁する決意を固める。 冷たくも美しい公爵。誤解とすれ違いを繰り返す日々の中、令嬢は揺れる心を抑え込もうとするが――。 一年後、彼女が選ぶのは別れか、それとも永遠の契約か。

病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。 望んでいたわけじゃない。 けれど、逃げられなかった。 生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。 親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。 無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。 それでも――彼だけは違った。 優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。 形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。 これは束縛? それとも、本当の愛? 穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

彼は亡国の令嬢を愛せない

黒猫子猫
恋愛
セシリアの祖国が滅んだ。もはや妻としておく価値もないと、夫から離縁を言い渡されたセシリアは、五年ぶりに祖国の地を踏もうとしている。その先に待つのは、敵国による処刑だ。夫に愛されることも、子を産むことも、祖国で生きることもできなかったセシリアの願いはたった一つ。長年傍に仕えてくれていた人々を守る事だ。その願いは、一人の男の手によって叶えられた。 ただ、男が見返りに求めてきたものは、セシリアの想像をはるかに超えるものだった。 ※同一世界観の関連作がありますが、これのみで読めます。本シリーズ初の長編作品です。 ※ヒーローはスパダリ時々ポンコツです。口も悪いです。 ※新作です。アルファポリス様が先行します。

暴君幼なじみは逃がしてくれない~囚われ愛は深く濃く

なかな悠桃
恋愛
暴君な溺愛幼なじみに振り回される女の子のお話。 ※誤字脱字はご了承くださいm(__)m

処理中です...