庶民が王子様

まめ

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庶民が王子様

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 大智たいちは根っからの庶民だ。牛肉なんて百グラム三百円のもので十分だし、一枚千円もする牛ステーキが夕食に出たら御馳走だと跳んで喜び、シシャモなんてカペなんとかっていう代用魚を本物だと思って育って来たからか、本物を食べた時なんて何か違うこれじゃないと言ってしまった程の貧乏舌を持っている。まあ兎に角、彼は庶民のロールモデルと言って良いくらいに典型的だ。

 けれども人生とは望むようにならないもので、彼が七つになる年にどこぞの国の王族であることが判明した。そんな今時、漫画ですらやらないような話があるかと思うだろうが、事実なのだから仕方がない。彼はアドリア海に浮かぶ都市国家、マジャール大公国の第二公子だ。国家の元首は彼の父親であるグスタフ三世大公である。

 普通はそんな幼い頃に環境が変われば、すっかりそちらに馴染むはずだ。大智はもう十五歳になる。日本で暮らした七年よりも長く、大公国で暮らしているというのに、彼の魂に染み込んだ庶民の感覚は手強かった。彼は兎に角広い部屋が嫌いで、使用人が使う広さの部屋でないと落ち着かない。そして何よりも畳を愛している。それも緑が美しく香りの良い新しい物ではなく、使い古され黄色くなった畳でなければならない。そこに冬は炬燵を置き寝そべるのが彼にとって何よりの幸せだ。

 そんな有様なので世間が羨む様な立場の彼は、本人にとって不幸な事この上無い環境で暮らしている。兎にも角にも宮殿で暮らす人物達と価値観が合わない。特に彼の教育係とは驚くほどに合わず、それでも幾度となくぶつかり合い。価値観をすり合わせ、互いの妥協点を見つけて来た。けれども今朝、彼はその全てを裏切るような衝撃の事実を知ってしまった。

「有り得ないムートン。なんでそんなの使ったんだよ」

 マジャール大公国の第二公子である、アヒム・大智・ダヴィド・マジャールは、愛用の炬燵の上に載っている小鉢を凝視していた。炬燵の上には朝食が並べられており、小鉢の中には艶やかに光る昆布の佃煮が入っている。その艶やかさは如何にも高級品ですと言わんばかりのものだ。

「当たり前の事です。殿下が召し上がられる物に安物を使うだなんて。そちらの方が有り得ません。私の可愛い可愛い殿下の血肉となる食事に、粗悪品などどうして使用できましょうか」

 大智の向かいに座っている教育係のエーリッヒ=マリア・ムートンは、意味が分からないといった表情を隠しもせず両掌を上げ肩を竦めた。彼のその態度は、そもそも見た目で高級品だと気付かないお前が悪いのだと言わんばかりである。

 ヘーゼル色の目と髪を持つ彼は、一見するとコーカソイドの様に思えるが、実はモンゴロイドの遺伝子を持つマジャル人である。このマジャール大公国の根源はハンガリー王国にあり、王国が滅亡した際にアドリア海へと逃れたマジャル人が築いたものだ。とはいえ現在の王族を含めた国民全てが生粋のマジャル人かというとそうではない。オーストリア=ハンガリー帝国時代にマジャル人贔屓で有名な皇后のお陰で今日まで生き残ることは出来たが、その代償として主にドイツ人種との混血はやむを得ない事だった。やがて時代を重ねる毎に更なる混血が進み、今や生粋のマジャル人はこの公国で御目に掛かることは出来ない。大智の教育係であるムートンなんて、その姓から分かる様に父がフランス系マジャール公国人。母はドイツ系のマジャール公国人である。なので彼は名前はドイツ系、姓はフランス系という響きが少し変わった姓名を持っている。

「だからってそんな高級品じゃなくてもいいだろ。むしろ俺は日本のそこらへんで売ってるお徳用昆布で十分なんだよ。それなのに百グラム千円もするの使うなんて」

「そうでしょうか。寧ろ殿下が召し上がるのには安い部類だと思うのですが。殿下だって美味しそうに召し上がっていらしたではありませんか。今、貴方がご飯をおかわりして沢山召し上がったその昆布の佃煮もそうですし、昨晩の水炊きの出汁もその昆布で取りました。勿論、大好物でいらっしゃるその出汁巻き玉子にも使用しておりますが。ちなみに出汁巻き玉子は合わせ出汁ですので、鰹節は最高級の本枯れ節を使用しております。もうずっと幼い頃よりこれですので、今更ではありませんか」

 何を今更といった態度でムートンは首を傾げた。彼からすれば本来は捨てるはずである、出涸らしの昆布を再利用して佃煮を作ったのだから、寧ろ褒めて欲しいくらいだ。こんなにも庶民派の公子に寄り添っているのだから、感謝をされこそすれども罵られるとは誠に遺憾である。

「止めろよ。そんな事されたらもう戻れなくなっちゃうだろ。生活水準上げちゃうと簡単には戻れないんだからな」

「その様な些細な事くらいでグダグダ仰いますと、殿下は真実を御存知になられたら卒倒されますね。これは大変な事です」

 生活水準などもう八年も前から鰻上りなのだから、これも今更ではないかと思うのだが。今までは公子が臍を曲げると煩いので黙っていたけれど、もうそろそろ暴露してしまっても構わないだろうと彼は思わせぶりな事を大智に告げた。

「な、なに。なに隠してんの」

「実は殿下。その召し上がられているお米。一キロ六千円です」

「ムートンの鬼、悪魔。そんな最高級品食べたら、もう庶民に戻れないじゃないか」

 大智は右手で持っていた箸をポロリと落とすと、両手で顔を覆い悲壮な声を上げた。そんな値段を聞かされてしまっては、もうおいそれとおかわりなんて出来やしない。むしろさっきまで、十キロで三千九百円くらいの感覚で食べていた自分を呪う勢いだ。何故もっと味わって食べなかったのだろうかと。

「何を仰います殿下。貴方がこちらにいらっしゃいました八年前より、貴方が口にされる食べ物は全て高級品ばかり。貴方は貧乏舌だと御自分の事を仰っておりますが、そうではありません。試しに昨日の朝食にお徳用の昆布で作った佃煮をお出ししましたけれど、貴方の箸は一向に進みませんでしたから。貴方は昨日私に仰いました。ムートンなんか今日の佃煮は物足りないねと。御安心下さい。殿下の舌は御立派にお育ちあそばしております。どうして庶民に戻る事など出来ましょうか。殿下は私と生涯、この宮殿で過ごされるのですよ」

 確かに昨朝に食べた昆布の佃煮は、いつもに比べ厚みがなくて味も薄く物足りなかった。ついつい胡麻と一味を足して食べてしまったくらいには。

 酷い信じられない。もうずっと幼い頃から高級食材を黙って食べさせていただなんて。きっと大智がいつも貧乏舌だと言っていたのを嘲笑っていたに違いない。

「なにが安心なんだよ。安心できないじゃないか。もうムートンなんて大嫌いだ」

 大智はそう叫びながら自室を飛び出した。目的地へ向かう道中も、ムートンなんて落とし穴に落ちて足首捻ればいいんだと彼は叫び、それを目撃した宮殿に仕える使用人たちは忍び笑いをしていた。ああ、またムートン卿とアヒム殿下が喧嘩をなさったのか。全く仕方のない事だ。そう彼らが思うくらいには、それは日常化していた。

「聞いてよ兄さん。ムートンが酷いんだ」

 大智は兄である大公世子のアーダルベルト・クラウス・エーレンフリート・グローテヴォール・マジャールの部屋に勢いよく飛び込んだ。

「朝からお前は元気だなアヒム。しかし幾ら兄弟だとはいえ、部屋に許可も無く行き成り入って来るのはどうかと思うが」

 アーダルベルトは異母兄弟のその無駄な元気の良さと、些か常識に欠ける行為に呆れた。可哀想な境遇に生まれながらも自分に懐く弟を可愛く思うあまり、甘やかしすぎたかと彼は溜息を吐いた。

 五つ年下の弟の事をアーダルベルトは大層に可愛がっている。最初は幼くして実母と死に別れ、言葉も文化も全く違う異国に急に引き取られた彼の事を同情から優しくしていた。アーダルベルトの母である大公妃が彼に辛く当たるのを見て、罪悪感があったというのも否めない。けれども次第に自分に懐く弟が純粋に可愛くなっていき、今では溺愛しているといっても過言ではない。

「ごめんなさい。兄さん」

「分かればいい。次回から気を付けろ。そんなしょ気た顔をするな」

 アーダルベルトはつい先ほどまで、これからは厳しくせねばなるまいと思っていたのだが、注意を受けしょんぼりと俯く弟を見るとその決意もどこかへ消え、ついつい側に来いと彼が座っているソファの左隣を軽く手の平で叩いてしまった。

「俺は朝食の最中だが、アヒムはもう済ませたか」

「――途中で飛び出した」

「そうか。では俺の分を一緒に食べるか」

 大智がうなずくのを確認するとアーダルベルトは、彼の頭を優しく撫でてやりながら侍従に大智の分の食器を用意するよう命じた。

「さてアヒム。今回の喧嘩は何が原因だ」

「だって、ムートンが酷いんだ。俺が庶民なの知ってるくせに、今まで騙してお高い食材ばっかり食べさせてたんだ」

 何とも下らない事だとアーダルベルトは思ったが、それを口に出すと弟が泣いてしまう事が分かっていたので彼はそうしなかった。それから、ちらりと弟が口に入れたエッグベネディクトを見た後、自分の侍従に視線をやれば、彼はとてもいい笑顔で黙って頷いた。侍従の隣にいる侍女もまた同じように頷いていた。彼らの表情から察するに、アーダルベルトは気にも留めた事は無いが、この朝食に使用された材料も一流品のようだ。むしろ大公世子の朝食なのだから、継承権を持たない庶子の大智のものよりも更に高級品が使われているはず。

「そうか。しかしなアヒム。恐らく奴なりに我慢し、奴の中では一番値の低い物で用意していると俺は思うぞ」

「恐れながらアヒム殿下。弟は殿下を一等大事に思っております。殿下の健康の為を考えての選択でございますれば、何卒御容赦を頂けませんか」

 アーダルベルトの侍女であるムートンの姉。オデットが大智に頭を下げた。兄に諭されたばかりか、一回り以上も年上のオデットにそうされた大智はバツが悪くなった。

「兄さん。オデットごめんなさい。ムートンに謝って来るよ」

 ソファから立ち上がり、すごすごと自室に戻る大智を見ながら、アーダルベルトは解せぬといった表情を浮かべた。

「何故あれは、いつか一般人に戻れると思っているのだろうな。父も俺も許しはしないが、何よりもエーリッヒ=マリアが許しはしないだろう。アヒムがどこへ行くのにも大抵は奴が側に控え、何一つあれの好きに出来ないというのにな。何故そちらは気にせず、下らん食材の値段で憤るのか。俺にはとんと理解が出来ん」

「嫌ですわ殿下。そこがアヒム殿下の可愛らしいところではございませんか。弟の価値観にどんどんと殿下は染められておりますけれども、それに気づかないところが良いのです。きっと弟もそこに惚れたのです」

「まあ変な女に騙されるよりも、お前の弟にくれてやった方がまだましだからな。せいぜいエーリッヒ=マリアには頑張ってもらおうではないか。しかし。あれが成人する際には奴に食われてしまうだろうから、さぞ父上は嘆かれるだろうな」

 それも可愛い弟をこの国に留める為。致し方あるまいとアーダルベルトは言い、知らずと口角を上げたのだった。
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