1 / 1
エノラ・ゲイに伝えて
しおりを挟む「エノラ・ゲイに伝えて」 松平 眞之
頭上を覆い尽くすであろう筈の黒いきのこ雲も、次いで降り落ち
てくるであろう筈の黒い雨も、今のところはそれ等が現れる気配す
らない。
念の為と恐る恐る頭を擡(もた)げてみたが、ギラギラと照り付
けてくる太陽と澄み渡った蒼穹以外は、これといって視界に入って
くるものも無い。
また耳を澄ましてみても喧しく鳴く蝉の声以外、爆撃機のエンジ
ン音も爆弾の炸裂音もまったく聴こえてはこない。
つまり今此処に在るのは、一昔前の何の変哲もない真夏の日本だ。
それもその筈で、PPRS(過去事象再現シミューレーター/パ
ストフェノメノン・リプロデューション・シミュレーターの略)と
呼ばれるこの最新式のMR(複合現実)機器にセットした再現日時
が、ちょうど100年前の西暦1945年・昭和二十年八月六日の、
あの原爆投下時の三十分前だからである。
場所は広島市中央部。
現在の時刻は七時四十六分を少し回ったところだ。
やはり今回のこのシミューレーティングに先立ち、アナログ式腕
時計の読み方を練習しておいて良かった。
何故ならこの仮想空間に於いては、今腕にしているリスト・ウォ
ッチでしか現在時刻を知ることが出来ないからだ。
考えてみればこのリスト・ウォッチを始めその他今私が身に着け
ている軍服など、一旦この仮想空間内に入ればシミューレーティン
グが終わる迄の間、PPRSに搭載されたAI(人工知能)の命令
によって作動する3Dプリンターが瞬時に創り出すそれ等以外の装
備品は、身に付けることが出来ないのだから、当然と言えば至極当
然のことである。
つまり全裸でPPRSの中に入り、「シミューレーティングを始
めてくれ」と命令するだけで、背景が瞬時に変わり装備品をロボッ
トアームが装着させると言う訳である。
今跨っている馬もダミーなのだが、私にはまるで生きているよう
に感じれる。
揺れ具合や毛並みなども、本物としか言いようがない。
便利になったものだ・・・・・。
凡そ三十年前私が小学生だった頃の2010年代、コンピュータ
ーは「0」と「1」でしか計算出来ない所謂電子式のコンピュータ
ーが主流だった。
しかし2030年代に入ってからは量子コンピューターが主流と
なり、次いで2040年代に入ってからは難しいと言われたその量
子コンピューターの小型化に成功、そして2045年の今日では、
- 1 -
遂に小型量子コンピューターに新型ニューロモーフィックチップ搭
載の人工知能が登場するに到り、最早AIに不可能は無くなった。
それと共に著しく発展を遂げたロボット工学のテクノロジーを融
合させ、商品名もさも有りなんと言う、「タイム・マシーン」と銘
打たれたこのPPRSが誕生したと言う訳だ。
無論アインシュタインの相対性理論に基き光の速さよりも早く進
む訳ではないが、このリビングの中にすっぽりと納まる程度の大き
さの家庭用PPRSを使えば、実際に時間旅行をするのと同じ感覚
を手軽に得られる。
そう言えば今回被爆体験をする為に購入したこの高額なPPRS
が、皮肉にも日本製だったことを思い出した。
私の身体の中に半分だけ日本人の血が混ざっているからと言うこ
ともあるが、安価であっても何となく中国製は信用出来ない。
購入の際人体への被害や機械の故障など、どうにもマイナスイメ
ージが脳裏を過ぎってしまって結局は日本製にした。
その辺りの状況は小学生の頃とまったく変わっていない。
日本製を購入したのは、まあ、そんなところだが、しかし最後迄
悩んだのは韓国製のPPRSとの比較で日本製とどちらにするかだ。
価格帯も製品が高品質なところも、或いはデザインなども殆ど変
わらない。
地理的にも日本に近く、顔も背格好も合衆国で見掛ける二つの民
族の旅行者を比較してみても、どちらがどちらか区別がつかない。
そう言った二つの民族が同じものを作れば、同じようなものにな
るのは自明の理なのかも知れない・・・・・が。
しかしそんな同じようなPPRSを作る二つの良く似た民族が、
何かに付けいがみ合う構図も、中国製の製品が粗雑なことと同様
私が小学生の頃とまったく変わってはいない。
では今、何故日本人とアメリカ人の混血である私が、百年前の韓
国人の被爆体験をしようとしているのか。
しかも幼い頃に日本に連れて行かれ、日本人として育てられた朝
鮮王族の、結果帝國陸軍将校として被爆して死んで逝った韓国人の
気持ちを、私が何故知ろうとしているのか。
それは一ヶ月前のことであった。
地の底から湧き出たかのように重く、そして深く、まどろむ私の
内耳に、脳裏にと、鼓膜を震わせながら伝わってくる旋律を聴いた
後の、あの「彼」の言葉に起因する。
そのとき「彼」に付与した着信音であるレクイエムの第八曲・ラ
クリモーサ(L a c r i m o s a/涙の日)が鳴った。
そしてその後・・・・・。
- 2-
所謂涙を流すとはどう言う事か、それを完璧に音で表現した名曲。
モーツァルトの絶筆と言われるだけのことはある。
「彼」の着信音にラクリモーサを付与した理由も、その日の不幸を
確実に、また端的にいつもいつも「彼」が私に伝えてくるからだ。
そう、私のスマートピロー(人工知能搭載型枕)に内臓されたス
ピーカーの奏でるラクリモーサの主こそが、DOE( D e p a r t
- m e n t o f e n e r g y /米エネルギー省)の人間の中で、
最も拘わりたくない人物である「彼」なのだ。
「彼」の名は、J. R o b e r t J r. S m i t h. (ジェイ.ロバ
ート. ジュニア.スミス)。
現在の E x e c u t i v e S e c r e t a r i a t D i r e
- c t o r(執行事務局所長)の地位も、前任所長の不正を告発し
た功績で得たと言う何とも抜け目のない男。
威圧的に猛禽類の眼で私を見下ろす禿頭の彼のことを、私はヴァ
ルチュア( V u l t u r e/ハゲ鷹)と仇名を付けた。
無論その仇名は「彼」を始め、未だ誰にも言ったことはないが。
有り体に言って私は「彼」のことが嫌いだ。
それに恐らく、否、確実に、「彼」も私のことを嫌っている筈。
合衆国に於いて最も白人が多く住むバーモント州出身の、薄っす
らと黄色い肌を持つ私のことを、きっと。
何となれば彼はバーモント州出身で、純白の肌をしているからだ。
そして何よりも、また皮肉にも、学部こそ違え私も彼もバーモン
ト大卒の俊才と言われた経験の有る者同志だからこそ、互いが互い
のことをそう思うのであろう。
何れにしても同郷の同門出身者同士、普通ならもう少しましなリ
レーションシップを築けようものであるが、「彼」と私の出自を鑑
みれば、それも致し方のないところか。
そうしてヴァルチュアのことに思いを巡らせたのも束の間。
カーテンの隙間から差し込む陽光に瞳を射られた次の刹那、スマ
ートピローが脳内で問い掛けて来た、『電話を繋ぎますか』、と。
私もまた、『少しだけ待ってくれ』と脳内で返事をした。
次いでベッドの上に起き上がり、ひとつ大きく深呼吸をする。
その後「チッ」と舌打ちをしてやって尚、いつも何かと詰まらな
い御託を並べるヴァルチュアの顔を思い浮かべながら、「おどれ、
カバチたれが! 」と毒吐く。
この場合アメリカ国民である私の場合、「 O h, S h i t ! 」と
でも言うべきものなのだろうが、敢えてもう一つの母国の言葉であ
る日本の言葉で罵ってやった。
しかも母の郷里の張替(はりかえ)の実家が在る広島で、数ヶ月
- 3-
に渡って滞在した際に覚えた言葉でだ。
再びスマートピローに頭を預け、『よし繋いでくれ』と脳内で呟
いた私の命令に従い、何とかラクリモーサの着信音が途切れる少し
前に、スマートピローがヴァルチュアの電話を繋いでくれた。
直後トランスレート・モードから、ノーマル・モードへの切り替
えスイッチを入れる。
トランスレート・モードであれば、私の脳内の思考や思念をスマ
ートピローのAIが読み取り、そっくりそのまま私の声に置き換え
て返答してくれるのだが、それだと今は少々都合が悪い。
私が実際に喋る必要がないので便利と言えば便利だが、心にもな
いお世辞も言えないし、苛立ちや不満が総て露見してしまうのだ。
ヴァルチュアに対して、そんなことが出来よう筈がない。
( G o o d m o r n i n g s i r, D i r e c t o r /おはよう
ございます、所長)
(土曜なのにすまないね。ジョージ君)
彼の機嫌はそう悪くなさそうだが、その下衆な胴間声を聞くだけ
で嫌な気分になる。
(いえ所長、そんなお気遣いは無用に願います。それより何か急用
でも?)
(否、急用と言う訳でもないのだが、いい知らせだから少しでも早
く君に伝えておこうと思ってね。
昨日の夜急遽空席となっていた、執行事務局の副所長に就任する
人物が決まったんだよ。
その旨長官から直々に内示を受けた。
そこで就任パーティを開くつもりなんだが、君には何としても出
席して貰わないとね)
さすがはヴァルチュア、持って廻った言い方をする天才だ。
そんなもの長官から直々に受けた内示でなんかあるものか。
恐らくはヴァルチュア自身が長官に提案し、その上で許可を得た
内示なのだろう。
まったく・・・・・いつもながらヴァルチュアのこうした言い廻
しには辟易する。
また聞かずとも副所長に就任した人物が誰か直ぐに分かった。
とは言えここは気付かぬふりをしてみせるのが、セオリーと言う
ものだ。
- 4-
(そうなんですか。で、どなたが副所長に?)
そうしてヴァルチュアの持って廻った言い回しに同調してみせる
自身にも、辟易を禁じ得なかった。
(どうやら私は君の明晰な頭脳が働き出す前に、電話を掛けてしま
ったようだ。
子供はおろかワイフさえいない君に取っては、何時までも寝てい
られるホリデーだと言うのに、無理に起こしてしまって申し訳ない。
もう少し眠らせてやりたいのは山々なのだが、しかしその前にだ。
少しだけ考えてみて欲しい。
執行事務局の中で誰が一番優秀なのか、そして誰がその地位に最
も相応しいのかを。無論私を除いての話だが。
誰が新副所長に就任するのかと言った簡単な質問の答えは、直ぐ
に出て来る筈だよ。
ナオヤ・ジョージ・ハリカエ・ワイズナー君。
君以外に新副所長に相応しい人間が、うちに居るかね?)
やはり何時ものように予定調和の言葉の羅列が、彼特有の言い廻
しで返って来る。
(えっ、そうなんですか。自分が?)
そして彼にも益してわざとらしく驚いて見せる自身の反応は、或
いはヴァルチュアよりも尚、芝居じみている。
(決まってるじゃないか。
今回の君の仕事に報いるには、そのくらいのことが有って当然だ
ろう。そうは思わないかい?
とにかく明後日の月曜の夜、予定を空けておいてくれたまえ)
嬉しくも無い人事に喜んでみせるのは骨が折れるが、それも仕事
のうちだ。
尤も自身の中に混在する日本人の血が50%ではなく0%だった
としたら、そんな気を遣わずとも済んだのかもしれないが。
(何か信じられません。とても嬉しいです。感謝します所長)
(私は何もしていないよ。君の実力だ)
(いえ。所長が居られたからこその、今回の人事です。
本当にありがとうございます)
- 5-
(そう言ってくれて、私も嬉しいよ)
と、ヴァルチュアが返してきた後に、ほんの一瞬だが間が開いた。
この隙にどうしても訊かなければならないことがある。
今訊かなければ、永遠に機会を失ってしまうかもしれない愚問。
訊かずとも分かっている答えを訊き出す為の愚問だ。
しかしそうと分かっていても、やはり訊かねばなるまい。
この御仕着せの人事の意図するところは、何か。
それは私を永遠に黙らせる為の代償。或いは担保。
そう、何もかも分かっている。
分かっているが、しかし私はそのとき今から為そうとしている重
大な決断を下す為に、
どうしても訊いておかなければならなかったのだ。
(そう致しますと所長。
私が提出した今回のリポートは、所長始め長官もお認め戴いたと
思って宜しいのでしょうか?)
(勿論。さすがはバーモント大の史学部卒だ。素晴らしかったよ。
唯、・・・・・)
やはりそう来たか。その先は、恐らくこうだ。
『唯、今は公表しないでおこうと言うことになった。
何れその時期が来るまでは、伏せておこうと言うことだ』
そう、調査結果の隠蔽である。
それは或る意味私の調査結果が正しかったと言うことを彼が、否、
長官を始め上の連中も認めたのだと言うことに繋がる。
そしてほとぼりが醒める迄、私を見張るつもりなのだ。
私を黙らせて尚、DOEの組織内に閉じ込めておく為。
私を副所長に据え、籠の鳥にして飼おうと言うのだ。
(唯、今は公表するのを止めようと言うことになった。
何れその時期が来ればまた公にすることもあるかも知れないが、
今は何とも、ね)
自身の予測したのとほぼ同じヴァルチュアの言葉に、一瞬噴出し
そうになるのを必死に堪える。
(そうですか。今はその方が良いのかもしれません。
それに私は飽く迄与えられた仕事を、黙々とこなすのみです。
何れにしろ今後は副所長として所長のバックアップに尽力する所
- 6-
存ですので、宜しくお願い致します)
(君がそう言ってくれて、私も心強い。
これからは長い付き合いになると思う。宜しく頼むよ、副所長)
(いえ、こちらこそ。就任パーティを楽しみにしています。
では、またあさっての朝)
(そうだね。ではあさっての朝)
(はい。では、失礼致します)
電話を切った途端、胸中が黒い闇に覆い尽くされた。
まるで原爆投下直後の、広島の空のように。
合衆国は百年前母の郷里の蒼穹を黒いきのこ雲で覆い尽して尚、
今また再び日本人の血が流れる私の胸中を真っ黒に覆い尽した。
公表しないとは思っていたがやはり改めて聞くと、私の中で脈動
する日本人の血が、逆流し奔流となって絶望の淵へと流れ込む。
一体マンハッタン計画国立歴史公園とは・・・・・。
私が小学三年生だった2015年、設立が決定されたマンハッタ
ン計画国立歴史公園。
名前こそ今も国立歴史公園だが、30年の月日が流れた2045
年の今、最早それはアミューズメントパークと何ら変わりない施設、
否、と、言うよりも、アミューズメントパークそのものに変貌を遂
げたと言えよう。
そんなマンハッタン計画国立歴史公園を合衆国上下両院議会は、
昨年の年末に民間企業へと払い下げる旨の法案を可決した。
その売却代金を莫大な社会保障費や軍事費に充てる、と、言う正
当な理由が有るには有るが、歴史的に意味の有る国立公園を民間企
業に払い下げるなど、短絡的と言えば短絡的に過ぎる。
原爆投下を正当化し、また戦争の悲惨さを伝えることを極力避け、
原子爆弾の製造方法やその威力を可能な限り楽しく、明るく、そし
て子供達にも分かり易いようにしたその娯楽志向の展示内容。
或いは老若男女を問わず楽しめるアトラクションの数々。
近頃では力こぶを掲げ歯を剥き出しにして嗤う、「ミスター・リ
トルボーイ」なる原子爆弾を模した緩キャラが人気だ。
園内のあちこちで「ミスター・リトルボーイ」の着ぐるみを着た
緩キャラが愛想を振りまく姿を、2015年設立当初の人達に見せ
れば何と言って驚くだろう。
それこそこのPPRSを使って、30年前の人々の気持ちを知っ
て見るのもまた一興だ。
兎にも角にもマンハッタン計画国立歴史公園は、そうして著名な
- 7-
民間のアミューズメントパークにも引けを取らない、合衆国一の入
園者数と売り上げを誇る国立公園になった。
またそれ等の運営方針については合衆国の内外で賛否両論分かれ
るものの、施設の存続をもっぱら入園売り上げに頼らざるを得なく
なっていたここ数年の予算不足の状況に鑑みれば、それも致し方の
ないところだったと言えようか。
しかしそう言った意味に於いては、原爆投下により亡くなった非
戦闘員である無辜の広島市民の死を、或いは戦争の悲惨さを忠実な
迄に再現しようと尽力する、広島の平和記念資料館の入館者数が年
々増え続けているのは注目に値する。
人は本物を見分ける力を持っているのだ。
原爆投下の史実を歪曲してアミューズメントパークを創ったとこ
ろで、それは絶対に本物ではないのだから。
とまれ設立から三十年と言う月日を経た今、愈々マンハッタン計
画国立歴史公園が我がDOEの手を離れ、民間企業の手に渡る時が
来た。
来月中には土地家屋の引渡し等、総ての手続きが完了する。
半年前の秋口に今回の調査命令が私に下ったのも、そうした払い
下げ事業に際し、より原爆投下の正当性を高める為だったように思
う。
ヴァルチュアは最後迄口を割らなかったが、最初に命令を下した
のは大統領官邸で間違いはない。
過分に下された経費や私への報酬、果てはDOE執行事務局副所
長の椅子まで用意するあたり、そう考えるのが妥当だ。
それに賛成派の韓国系ロビイスト達を支援する為に、韓国内の世
論迄味方に付けようと言うのだから、そのくらいは安いものだ。
何となれば反対派の日系ロビイスト達を黙らせるには、日本人の
天敵である韓国人を楯にするのが一番だからである。
とは言えそうした場合一番の問題は、広島や長崎に於いて被爆し
た少なからぬ韓国人被爆者の存在だ。
それが故に過去のオバマ大統領の広島でのスピーチのように、韓
国の国民に対して謝罪の言葉を述べるか、それとも何か別の方法を
使うかして彼等を説き伏せる必要がある。
果たして上の連中が選んだのは、後者の何か別の方法であった。
それは韓国人の反日感情に訴えることで、他でもない日本人に原
爆投下の罪を被らせる起死回生の一手。
つまり原爆投下に依る被害は直接で無くとも間接的には日本に責
任があり、日本のせいで自分達が被爆者になったと韓国人に思わせ
るよう仕向けると言うことだ。
- 8-
払い下げ事業の法案可決に際し、反対派は日系のロビイスト達だ
けなのだから、尤もな策ではある。
その払い下げ事業の為に新設されたアミューズメントパーク運営
会社の出資者リストに少なからぬ韓国財閥系企業が名を連ねている
ことも、上の連中の配慮に依るものであることは言う迄もあるまい。
さすがに上の連中も日系企業に対し、「マンハッタン計画国立歴
史公園の民間払い下げ事業に出資しろ」とは言えないだろう。
その意味では韓国人や韓国の財閥系企業を抱込むのが妥当だ。
尤もそんなマンハッタン計画国立歴史公園の民間払い下げ事業自
体については、とても妥当な判断とは思えないが・・・・・。
それにも益して半年前ヴァルチュアに調査をするよう受けた命令
は、今考えれば何と浅墓で短絡的な内容であったか。
それは・・・・・広島に投下されたウラニウム活性実弾のリトル
ボーイに被爆、その翌日薨去した旧日本公族(朝鮮王族)の雲硯宮
李公偶(うんけんきゅうりこうぐう)が、日本軍に依って無理矢理
広島に本拠を置く第二総軍に配属、教育参謀として非業の死を遂げ
た件について極秘に調査をすることと、それと併せて第二総軍を原
爆投下に依って殲滅させない限り、太平洋戦争を終結することが出
来なかったことの決定的証拠を手に入れよとの命令であった。
つまり言い方を替えれば、李偶公を日本のせいで被爆した韓国人
の象徴に仕立て上げ、原爆投下を正当化する為の決定的証拠の入手
を以て、日系ロビイスト達を黙らせる為に働けと言うことだ。
何より腑に落ちないのは払い下げ事業の法案可決のずっと以前か
ら、既にネット上で恰も私に出したそれ等オーダーが事実であった
かのように、何者かが実しやかな風説を流布していたことだ。
恐らく首謀者は、私にオーダーを出した上の連中のうちの誰か・
・・・・の筈。
それでなくとも100年以上もの月日を経て、原爆投下の悲劇が
人の記憶から消え失せようとしている今、その正当性を国際社会に
浸透させること自体は、そんなに困難なことではないだろう。
やれハーグ条約の違反だとか、トゥルーマンが裁かれるべきだと
か、やはり原爆投下は人体実験だったとか、そう言って難癖をつけ
る日系ロビイスト達さえ黙らせてしまえば良いのだから。
その為に戦後100年を経ても衰えない、韓国人の強力な反日感
情を利用する上の連中の考え方は、或る意味的を射ていると言えよ
う。
但し飽く迄それは、事実が上の連中の望む通りであった場合にの
- 9-
み叶えられることであって、そうでなければ事は成就しない。
そう言った意味ではそれ等風説の流布を、上の連中は何とかして
現実にしてしまわなければならない必要に迫られていた。
畢竟私の提出するリポートも、上の連中の望む形でなければなら
なかったのだ。
やはり今回のように上の連中の望む結果が得られなかった場合、
私は調査結果を捏造すべきだったし、それが如何に正確な調査であ
ってもそのまま提出すべきではなかった。
真実を曲げてでも、それは・・・・・。
否、しかしそう言う訳には・・・・・やはり真実は真実なのだ。
そんな風にして、何度自問自答を繰り返したことか。
事実が上の連中の思惑とこう迄違わなければ・・・・・。
今落ち着いて考えてみれば、今回のリポートはとてもそのまま提
出できる代物ではなかった。
李偶公が大韓帝國の復辟を企図し、自ら望んで第二総軍参謀の任
に就いたことや、それを支援した彼と同期の陸士や陸大卒の陸軍省
参謀や、第二総軍参謀が居たこと。
或いはまた第二総軍を原爆投下に依って殲滅させない限り、太平
洋戦争を終結することが出来なかった真相を、往時の米軍情報部が
把握していなかったことも・・・・・。
それ等の真実を公に出来る道理など無いのだ。
それは原爆投下が人体実験であったことを認め、そしてその時確
かに存在した日本人と韓国人の友情を認め、更に原爆投下が無けれ
ば朝鮮半島が南北に分断されずに済んだかも知れないと言う、上の
連中の最も望まない結果を容認することにも繋がるからだ。
おまけに米軍情報部は無能だったと証明することにもなる。
私はそんなリポートを、馬鹿正直にそのまま提出してしまった。
何故? と、自問する自身に対し、合衆国の良心を信じたかった
と言う淡い期待を抱いたが故の愚行、と、自答するしかない。
私はその時払い下げ事業自体を中止にすることがなくとも、せめ
て原爆投下に依って起こった悲劇を一部だけでいい、DOEでそれ
とは別にスペースを確保して、展示してくれないものか、と。
そうした愚考を巡らせていたのだ。
そもそも第二総軍とは連合国軍の沖縄上陸六日後の、昭和二十年
- 10-
四月七日に広島に置かれ」た、本土決戦の為に設立された総軍であ
る。
そして第二総軍の動員案は、陸軍省軍事課と参謀本部の編成課が
合体した動員下命組織の参謀等に依って起草された。
その参謀等の中に李公鍝と同期の陸士や陸大卒の者が少なからず
居り、驚くべきは彼等が互いに暗号文で手紙を遣り取りしていたこ
とだ。
朝鮮王族直系で穏健派の昌徳宮李王世子根(しょうとくきゅう・
りおうせいしぎん)と違って、傍系で本土決戦を支持していた李偶
公は、以前からそうした参謀等との親交が深かった。
調査の際先ずは向かった先の東京に於いて、李偶公と陸士同期卒
の所謂宮城(きゅうじょう)事件の主謀者であり、元陸軍省軍務課
参謀の遺族から、彼等が遣り取りしていた手紙を数十通買い入れた。
しかしそれ等の手紙は何れも時候の挨拶や近況報告などに終始し
ており、軍の中枢を占める者の手紙にしては余りにも稚拙であった。
そこで私は米国防総省の知己にそれ等が暗号文であった可能性と、
仮にそうだった場合の軍の所有する最高機能を持ったAIによる暗
号解読を依頼した。
そして翌日それが暗号文だったこと、並びに解読された暗号文の
その驚愕の内容を聞いた。
第二総軍としては帝國政府が仮に負けを認め終戦の結論に到った
場合、兵力をして東京に攻め上り天皇を擁して新たに政府を建てる。
その際海軍軍令部の同志等と呼応、潜水空母伊号第四百潜水艦、
並びに伊号第四百一潜水艦を以て、格納型爆撃機の晴嵐で米国西海
岸一帯に七三一部隊の開発した新型細菌兵器のボツリヌス菌を散布。
その後多数の米国人が死に至るに及び、太平洋艦隊が米本土へと
立ち帰る為日本海をがら空きにした隙を見計らい、勅状を携えた李
偶公が第二総軍の一部を率いて朝鮮へと渡海。
そしてその勅状には、彼の率いる軍と朝鮮軍並びに作戦地域を朝
鮮まで南下させた関東軍の一部とが合流した軍を朝鮮総軍と呼び習
わし、本拠地を京城(当時のソウル)に置いた上で、暫定的に司令
官を京城に転進していた秦彦三郎関東軍参謀長とし、参謀長を李偶
公にする旨が記される予定であった。
また追っ付け新政府から締結済みの日ソ不可侵条約を拡大させ、
ソビエトと新たに軍事協定を結ぶ旨の親書が朝鮮総軍の元に届く手
で、その際ソビエトの協力が得て彼の国と地続きの満洲帝國の領地
を総て彼等に差し出し、同時に満洲帝國皇帝愛新覚羅溥儀を動座さ
- 11-
せて、新たに北京を都とした北平帝國を建国する。
その際関東軍は満洲を去り北平帝國に転進しそのまま駐留する。
そうして満洲帝國が消滅することによって連合軍は解体され、米
国は戦争遂行の大義名分を失ってしまう。
それに米国もボツリヌス菌をそれ以上散布されたくはないであろ
うから、ソビエトを仲立ちに和平交渉も可能になると言う訳だ。
そのとき朝鮮の地に於いて宰相の座に就いた李偶公は、李王世子
根を皇帝として日本より迎え愈々悲願の大韓帝國復辟を果たす。
ここで注目すべきは李公鍝と愛新覚溥儀との決定的な違いだ。
溥儀が日本語も話せない日本音痴なのに対し、李公鍝は陸大卒の
第二総軍参謀である。
建国当初は同じ日本の傀儡であったとしても、北平帝國と新大韓
帝國の行く末は大いに違ってくる。
つまり新大韓帝國は宰相李公鍝の力量を以て、ゆくゆくは日本の
植民地でも傀儡でもなくなり、同盟国として独立出来る可能性が
大いに有ると言う訳だ。
私はそれ等手紙の中に、「朝鮮王族として生まれて来たことで、
貴様が如何に苦労してきたかを俺は誰よりも知っている。しかし貴
様が誰であったとしても、俺は貴様の友だ。何としても大韓帝國を
復辟しろ」と言う一文を見付けた。
殿下と自分ではなく、貴様と俺で呼び合っていたのだ。
そして李公鍝もそれに応える。
「貴様が誰であったとしても、俺も貴様の友だ。貴様が日本を救い、
俺が大韓帝國の復辟を果たした暁には、一晩中掛けて朝鮮の焼酎を
二人で酌み交わそう」、と。
またこれ等手紙が存在したと言う記録も、その暗号文を解読した
と言う記録も、合衆国の情報機関には一切残っていなかった。
益してや李公鍝が自ら望んで第二総軍の参謀に就いたと言う記録
など、微塵も見受けられなかったのである。
何より私に今回の調査を命令したこと自体、当時の米軍情報部が
それ等の事実を把握していなかったことの一番の証左である。
李偶公を始め本土決戦派の将校等は、宮城を枕に討ち死にすると
見せかけて、わざと第二総軍に米軍の眼を惹き付けたのだ。
そうしておいてその実彼等は、最後の一手を用意していた。
しかし事が成就しなくて日本人は幸せだったのかも知れない。
何故なら非戦闘員のアメリカ人を殺戮せずに済んだのだから。
兎にも角にも本土決戦派参謀等の計画よりも、ほんの少しだけ合
- 12-
衆国の原爆投下の方が早く為された。
結果原子爆弾に依って第二総軍は壊滅し、李偶公は薨去した。
日本に取っては余りにも早い原爆投下だったが、トゥルーマンは
合衆国国内の世論に応じる為、そして莫大な開発費に見合う成果を
得る為に、それは必要だったのであろう。
なるべく早い時期に人体実験をして見せる必要があったのだ。
原爆投下により放射能を浴びた人間がどうなるかを・・・・・。
調査の際東京から母の郷里の広島へと飛んだ私は、李偶公が被爆
し力尽きて倒れていたと言う、本川橋西詰めの地に立って誓ったの
だ。
原爆投下の悲劇を、偽らざる真実を、きちんと伝えるよう全力を
尽くす、と。
私はこの一ヶ月と言うもの、誰にも決意を告げずに平静を装って
来た。
あのヴァルチュアの言葉を聴いてからと言うもの、執行事務局副
所長就任のパーティーにも出席したし、今日まで従順に職務もこな
して来た。
そして愈々行動を起こすべきときが来たのだ。
しかしその前にどうしても被爆体験をしておきたかった。
原子爆弾がどれほどの破壊力を持つのか、或いは核が、放射能が、
人を死に到らしめる地獄とはどんなものかを。
そう、第二総軍教育参謀・雲峴宮李公鍝として、だ。
もうそろそろか・・・・・と、視線を下げてリストウォッチを見
遣った。
精工舎の文字と星のマークの入った軍用時計であろうこのリスト
ウォッチは、現在時刻八時十分を指している。
遂にそのときが来た。
どうやらPPRSのAIが、私の思考を支配し始めたようである。
自身であることの記憶が薄れていく・・・・・。
人格変換プログラムの作動時間を、爆投下の五分前に設定してお
いたのだ。
つまり今から私は、雲硯宮李公偶としての人格を付与されること
になる。
- 13-
今朝も騎馬である。
郊外の仮住まいを出る際、御附武官の吉成(よしなり)が車を使
うよう勧めて来たが、
何時もの朝もそうするように、軍司令部との往還の車を吉成に譲
ってやった。
吉成は長靴(ちょうか)も履けない程、酷い水虫に苦しめられて
いるのだ、車くらい譲ってやって然るべきである。
仮令御附武官と言えど、仮初にも吉成は仕官学校の先輩なのだ。
後輩に仕える先輩に対し、その程度の礼は尽くさねば罰が当る。
それに吉成は斜陽王族にしか過ぎぬこの私にも、まるで日本皇族
に対するが如く忠心から尽くしてくれるのだ。
感謝をせねば、罰が当たると言うもの。
殿下と言う敬称で呼ばれる王公族とは言え、所詮私は日本に併合
され滅亡した朝鮮王族の末裔にしか過ぎないのだ。
軽んじられて然るべきところを、しかし吉成は違った。
日本へと渡海し学習院初等科に入学、そして陸幼、士官学校と進
み、陸大迄卒業を果たすも、終始廻りからの疎外感は否めなかった。
そんな中ごく僅かな陸士・陸大の同期と、吉成にだけはそのよう
な隔たりを感じない。
此処広島に居を置く第二総軍で、最高指揮所の教育参謀として職
を全う出来るのも、吉成を含めごく僅かではあるが真の友と呼べる
日本の友人のお陰だ。
思い致せば総ての朝鮮人と日本人が、私と吉成を始め彼等友と呼
べる人間と私のように
分かり合えれば良いのであるが・・・・・。
そう胸中に独りごちた刹那、陸大出身者を示す胸の天保銭が放っ
た射光が、眼に強く差し込んで来た。
天が我が眼(まなこ)に矢を射っているのか。
そう思わずにはいられない・・・・・と、自嘲するしかない。
大韓帝國復辟の夢を捨てた訳ではなかつた。
とは言え機が熟すのを待つしか、滅亡した王族の末裔には為す術
がなかったのである。
- 14-
しかし愈々そのときがやって来たのだ。
ごく僅かではあるが、吉成を始め私の真の日本の友人達と共に。
真珠湾攻撃から数えて早や四年、今年は昭和も二十年になった。
電撃の大勝利を収めたと言うのに、戦局は猖獗を極めるばかり。
されど起死回生の一手は、我が第二総軍に有り。
大韓帝國復辟の夢も、また。
そうと胸中に誓ううちに、早や福屋百貨店の前に差し掛かってい
た。
何処からか航空機のものと思しき、エンジンの爆音が聴こえる。
天を仰げば単機のB‐29の姿が在った。
空襲警報は発令されておらず、また今日迄広島は殆ど空襲を受け
ていない。
偵察飛行か?
独りごちた刹那凄まじい閃光に辺りが覆れ、私は跨っていた馬と
従う二人の護衛憲兵諸共、車道の真ん中に弾き飛ばされた。
黒煙の上がる只中何とか立ち上がろうとするも、背中に走る激痛
がそれを許さない。
軍帽は何処かへと吹き飛ばされており、胸に吊るした参謀懸章は
この一瞬で燃え尽きたのか最早燻っていた。
背中を突き通るような激痛が走る。
何とか軍刀を杖に立ち上がると、それは島病院の辺りであった。
屹立する巨大で真っ黒なキノコ雲が見える。
これが噂に聞く連合軍の新型爆弾か・・・・・。
そう呟きながら第二総軍の司令部迄は何としても辿り付かねばと、
自身を叱咤した。
いつもより、かなり遅れている筈である。
今が一体何時頃なのか確認せねばと、腕時計に眼を遣った。
然るに時計は動いておらず、八時十六分きっかりで針が止まって
いる。
使い物にならない腕時計はその場に捨てて、軍刀を頼りに長靴を
引き摺り引き摺り、どうにか本川橋の橋脚の下迄辿り着いた。
見れば、煮え滾る川面に自身の姿が映っている。
どうやら軍服は焼け爛れたのか消失しており、知らぬ間に何か全
- 15-
く異質な装束を身に纏っていた。
何故だか炎には焼かれておらず、誰かが私の手を曳いている。
誰だろう? この娘は・・・・・。
アリラン アリラン アラリヨ
この歌は、私の手を曳くこの娘が歌っているのだろうか。
この娘は誰だ?
どうしたのか、私もかなり幼いようだ。
これは、夢か。
するとこの歌は日本に来て間も無く、学習院初等科で何度も歌わ
された君が代か?
否・・・・・どうやら君が代では無いようだ。
アリラン コゲロ ノモガンダ/アリラン峠を越えて行く
ならばこれは、士官学校で歌った歩兵の本領であろうか?
否・・・・・どうやら歩兵の本領でも無い。
それはそうだ。そんな歌を、この娘が歌う筈はない。
ナルル ボリゴ ガシヌン ニムン/私を捨てたあの方は
それに、この歌は日本語では無い。
そうだ! この歌は、これは日本に来る前に聴いた朝鮮の歌だ。
思い出した。この娘は雲硯宮(ウニョングン)の水刺間(スラッ
カン/厨房)で働いていた、常民(サンミン/李氏朝鮮時代の農民
或いは平民)の娘ではないか。
シプリド モッカソ パルビョンナンダ
/十里も進めずに足を痛める
歌の上手な娘であった。
そうして娘が、姉のように手を曳いてくれた記憶が蘇る。
自分よりも少し年上で、よくこの歌を聴かせてくれた。
当初は身分が違うからと手を繋ぐことを辞去したが、私が手を出
すと怖ず怖ずと手を差し出して来たのである。
それからは皆に内緒ですよと釘を刺しながら、何度か私の手を曳
いて、このアリランを歌ってくれた。
- 16-
アリラン アリラン アラリヨ
アリラン コゲロ ノモガンダ/アリラン峠を越えて行く
チョンチョンハヌルエヌ ビョルド マンコ
/群青の空には数多の星
ウリネ ガスメン クムド マンタ/私達の胸には数多の夢
歌が止んだと思うや、聞き慣れぬ男の声が耳朶を打った。
「どうなさいましたか?」
見れば軍属と思しき男の姿が在った。
「君は軍の者か、町の者か?」
「町の者です。家が無事か見に帰るところでした」
男との他愛のない会話の後ふと視線を川面に移せば、自身の煤だ
らけになった顔が映っている。
私は川べりに倒れていたのだ。
これが実際の自身の姿か・・・・・。
だとすれば、やはりあの歌も、あの娘も夢であったか。
そう胸中に呟いたとき、軍属の男が私の身体を抱き起こしてくれ
た。
そしてそのまま、十六貫もあるこの身体を背負ってくれる。
やがて頭の中は真っ白になっていき、そのまま意識を失った。
次に気が付いた時、傍らに立つ者の長靴が見えた。
それは吉成の長靴であった。
どうやらうつ伏せに寝かされていたようである。
訊けば此処は、似島(にのしま)の海軍病院だと言う。
どうせ吉成のことだ、言ってやらねばずっと立っている筈だ。
「私は大丈夫だ。それより、休め」
令する声音で言ったつもりが、思いの外吉成は抗って来る。
「いえ、自分の傷は浅いのであります。此処に居させて戴きたくあ
ります」
吉成らしい返事だ。
「その足で立っているのは辛かろう」
そう言って足下を指差せば、泣きじゃくる声を上げる吉成。
「殿下、殿下、殿下・・・・・」
- 17-
そう叫ぶ吉成の声を聴いて私は悟った。
自身の命の灯火の消え行くことを。
これで大韓帝國復辟の夢も潰えてしまうのか。
しかしそう悲しむことばかりでは無い。
やっとこれで朝鮮に帰ることが出来るのだから。
今思えば妻の賛株(チャンジュ)や、息子の清(チョン)を朝鮮
に疎開させておいて良かった。
それにしても帰郷することを疎開とは、全く奇異な言い様である。
そう思い嗤おうとしてみたが、表情を作ることも叶わぬようだ。
嗤うことさえ出来ぬとは、何とも情けない。
何れにしても故郷に帰り、賛株や清に会える筈だ。
唯、生きて会いたかったのだが・・・・・。
ああ、また、あの娘が歌っている。
どうやら迎えに来てくれたらしい。
「少しだけ、待ってはくれないだろうか?」
娘に請うてみた。
せめて、一つ、一つくらいは、死に逝く私の言い分を聞き届けて
くれないだろうか。
果たして娘は私の前で立ち止まった。
「自分がこの新型爆弾の犠牲になるのは、致し方の無いことである。
仮令朝鮮王族の末裔と言えど、私は帝国陸軍第二総軍の教育参謀
なのだ。
しかし二度と、二度と、この新型爆弾は落とさないで欲しい。
そこが日本であろうと、朝鮮であろうと、如何な場所であろうと、
止めて欲しいのだ。こんなものを落とす悪魔の所業だけは」
最後の力を振り絞って告げた私の言葉を聴いても、娘は笑顔を作
るのみであった。
聞き届けてくれるのであろうか?
それとも・・・・・嗚呼。
もう、行かねば。
娘も歌い始めたみたいだ。
アリラン アリラン アラリヨ
- 18 -
アリラン コゲロ ノモガンダ/アリラン峠を越えて行く
ジョギ ジョサニ ベッドゥサニラジ
/あそこ、あの山が白頭山だけど
ドンジ ソッダレド ッコンマヌ ピンダ
/冬至であろうが、師走であろうが、花ばかりを咲かす
どのくらい眠ったのであろうか。
気がつくと私はPPRSの寝台の上で眠っていた。
PPRSの内部は最早何の色もなく、何の装備もない、唯の真っ
白な空間と化していた。
それは今回の被爆体験シミューレーティングが終了したことの証
左でもある。
寝台から起き上がったとき窓を叩く雨音に気付き、ガウンだけを
纏いそちらの方へと歩み寄った。
この二階の寝室の窓の外には、ワシントンD・Cに従事する者の
ベッドタウンとなって久しいタコマパークの閑静な住宅街が臨める。
我が家もそんな街並みのうちの一棟であり、庭先のアーチにはド
ルトムントが色とりどりの花を咲かせていた。
そぼ降る雨に映えるこの庭を眺めることさえ出来なくなるとは、
つい一ヶ月前迄は思ってもみなかった。
そう言えばヴァルチュアに今後の私の運命を変えることになる、
例の調査をするよう命令を受けた日。
あの日も今日と同じように、雨がそぼ降っていた。
そして今の私にはこの雨が二度と黒い雨にならないよう、行わな
ければならないことがある。
被爆体験シミューレーションを終えた今、もう気持ちが揺らぐこ
とはない。
唇を噛み締めベッドの上に寝転がる。
頭をスマートピローに預け、記憶開放モードのスイッチを入れた。
真実の情報を私の脳から読み取ったスマートピローのAIが、私
の命令に従い瞬時にネット上にそれ等を拡散させていく。
作業を終え、起き上がってひとつ大きく深呼吸をした。
コーヒーを入れようとキッチンに足を踏み入れたそのときだった。
聴き慣れない旋律が耳朶を打った。
- 19 -
その頃ママのパパはジャップと呼ばれていた
その頃パパのパパは鬼畜と呼ばれていた
血で血を洗う不毛な争いの果て
マンハッタン計画は産声を上げた
Oh リトルボーイ 爪の先から 頭蓋の天辺まで 血の一滴さ
えも総てを焼き尽くすマンハッタン計画の申し子
Oh ファットマン 女も 子供も 老いた者さえも総ての命を
奪い去る マンハッタン計画の申し子
神よ 天国のエノラ・ゲイに伝えて
もしも時間を遡れるのなら 息子のポールを広島になんか行かさ
ないで、と
神よ 天国のエノラ・ゲイに伝えて
もしも時間を遡れるのなら 息子のポールを英雄になんかしない
で、と
悪くない曲だ。
しかし何の曲だろう?
首を傾げた次の刹那、そう言えばアラーム音を一般の所謂ブザー
音ではなく、自動作詞作曲モードで創作した曲にするようセットし
ていたことを思い出した。
つまりさっきの曲は長きに過ぎるアラーム音だったと言うことだ。
私の現在の心境を読み取ったホームセキュリティシステムのAI
が、自動作詞作曲システムを起動させて即興で創作した曲なのだろ
う。
冷蔵庫のドアのディスプレイに眼を遣った。
そこに表示されたていたのは、何者かがナビゲーションシステム
で我が家を行き先に指定したと言う情報であった。
次いで数分と経たないうちに車のドアの開閉音がした。
窓の方に歩み寄る。
- 20 -
玄関前にフルオートドライブの、EVワゴン車が滑り込んできた。
停車したその黒塗りのワゴン車から降りて来たのだろう、黒いス
ーツの男達が数人、雨の中傘もささずに玄関の方に向かって来る。
恐らく裏口にも同じような車と、男達が・・・・・。
既に覚悟の上だったが、思ったよりも早かった。
原爆投下が為されたタイミングよりも、或いは・・・・・。
(了)
- 21 -
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
【一話完結】断罪が予定されている卒業パーティーに欠席したら、みんな死んでしまいました
ツカノ
ファンタジー
とある国の王太子が、卒業パーティーの日に最愛のスワロー・アーチェリー男爵令嬢を虐げた婚約者のロビン・クック公爵令嬢を断罪し婚約破棄をしようとしたが、何故か公爵令嬢は現れない。これでは断罪どころか婚約破棄ができないと王太子が焦り始めた時、招かれざる客が現れる。そして、招かれざる客の登場により、彼らの運命は転がる石のように急転直下し、恐怖が始まったのだった。さて彼らの運命は、如何。
魅了が解けた貴男から私へ
砂礫レキ
ファンタジー
貴族学園に通う一人の男爵令嬢が第一王子ダレルに魅了の術をかけた。
彼女に操られたダレルは婚約者のコルネリアを憎み罵り続ける。
そして卒業パーティーでとうとう婚約破棄を宣言した。
しかし魅了の術はその場に運良く居た宮廷魔術師に見破られる。
男爵令嬢は処刑されダレルは正気に戻った。
元凶は裁かれコルネリアへの愛を取り戻したダレル。
しかしそんな彼に半年後、今度はコルネリアが婚約破棄を告げた。
三話完結です。
冤罪で辺境に幽閉された第4王子
satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。
「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。
辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。
義妹の嫌がらせで、子持ち男性と結婚する羽目になりました。義理の娘に嫌われることも覚悟していましたが、本当の家族を手に入れることができました。
石河 翠
ファンタジー
義母と義妹の嫌がらせにより、子持ち男性の元に嫁ぐことになった主人公。夫になる男性は、前妻が残した一人娘を可愛がっており、新しい子どもはいらないのだという。
実家を出ても、自分は家族を持つことなどできない。そう思っていた主人公だが、娘思いの男性と素直になれないわがままな義理の娘に好感を持ち、少しずつ距離を縮めていく。
そんなある日、死んだはずの前妻が屋敷に現れ、主人公を追い出そうとしてきた。前妻いわく、血の繋がった母親の方が、継母よりも価値があるのだという。主人公が言葉に詰まったその時……。
血の繋がらない母と娘が家族になるまでのお話。
この作品は、小説家になろうおよびエブリスタにも投稿しております。
扉絵は、管澤捻さまに描いていただきました。
【1話完結】あなたの恋人は毎夜わたしのベッドで寝てますよ。
ariya
ファンタジー
ソフィア・ラテットは、婚約者アレックスから疎まれていた。
彼の傍らには、いつも愛らしい恋人リリアンヌ。
婚約者の立場として注意しても、アレックスは聞く耳を持たない。
そして迎えた学園卒業パーティー。
ソフィアは公衆の面前で婚約破棄を言い渡される。
ガッツポーズを決めるリリアンヌ。
そのままアレックスに飛び込むかと思いきや――
彼女が抱きついた先は、ソフィアだった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる