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     【3】

 それから機械室で2時間くらいノートパソコンをいじっていると、朝日奈さんが戻ってきた。ただ顔を洗うだけでなく化粧も落としてきたらしく、すっぴんになっていた。そのせいか、早くも立ち直ったのか、先ほどよりも顔に生気が戻っていた。

「何だ。山上くん、機械室に戻ってたんだ」

 朝日奈さんのその口ぶりから察するに、先に食堂へ行って僕がいないか確かめていたのだろう。とりあえず僕は謝ることにした。

「うん、ごめん。ちょっとパソコンの中身を調べておきたかったから」
「そっか。ねえ、私、考えてみたんだけど」
「何?」
「福田さんを見つけるのは無理かもしれない。でも、救助活動を諦めたらいけないんじゃないかと思うの」
「つまり、助けられそうな人を外へ探しに行く、ってことか?」
「そう。こんなに大きな核シェルターを私たち2人だけで使うなんて申し訳ないでしょ。この近くで見つけた何人かに、ここに核シェルターがあると教えてあげるだけでも、もっと有効活用できると思うの」
「その志は立派だと思う。でも、既にご近所の殆どの人たちは、ここに核シェルターがあることを知っていると思うよ。何しろ大がかりな工事だったから、話題の的だったみたいだし。助かった人がいるのなら、僕たちがわざわざ教えなくても、最初からここを目指しているんじゃないのかな」
「でも……もしかしたら、怪我をして動けないのかもしれないじゃない」

 朝日奈さんは目を伏せた。

「うん、それはそうかもしれない。でも、どのみち、僕たちは現時点では外に出ることはできないんだ」
「どうして?」
「放射線から身を守る防護服がないからだよ。きみも倉庫を見たときに、防護服がないのに気付いていただろう?」
「えっ……。でも、普通、こういう施設には何着か防護服を用意しておくものじゃないの?」
「そうだね。確かに、2週間くらい前まではここに防護服があったんだ。でも、その商品がちょっと安物で、重大な欠陥――数時間使っていると縫い目が破れて放射線が侵入してくるという耐久性の問題が発覚したから、回収してしまったんだ。購入代金も返して、またいい商品が入ったら真っ先に教えますので許してください、と僕は福田さんに頼んでいた。そして今日、入荷予定の防護服が載ったパンフレットを持ってきたんだよ」

 僕は鞄からパンフレットを取り出した。3時間ほど前に応接室で朝日奈さんに見せたものと同じもので、様々なメーカーの防護服を英語で紹介しているパンフレットだった。

「その防護服って、今はどこにあるの?」
「多分今ごろは、日本に向かう船のコンテナの中だろうね。あと10日ほどで到着する予定だったんだけど……」
「もう到着することはないんでしょうね」
「うん、そういうことだね」
「回収した防護服は? 耐久性に問題があっても、数時間なら使えるんでしょう?」
「それはアメリカに向かう船のコンテナの中だね。返品してるから」
「そんな……。ちなみに、防護服なしで外に出ることはできないの?」
「既に、核シェルターの外は、数分いるだけで死んでしまうくらい汚染されている。これがその数字なんだけど」

 僕はパソコンにその画面を表示し、朝日奈さんに見せた。その数字は今も上昇を続けていた。

「じゃあ……もう、誰かを助けるのは無理なのね?」
「うん。数分で戻ってこられる範囲に生きている人がいるとは思えないし、仮に生きている人がいたとしても、下手にここに連れてこようとしたらその間に死んでしまうだろうし」
「そっか……。ってことは、誰かを助けようと思ったら、私たちがこの核シェルターに避難する、あのタイミングしかなかったってことなのね?」
「そういうことだね」

 僕がそう答えると、朝日奈さんは頭痛を堪えるように右手で額に触れた。そして、十数秒間黙ってから、朝日奈さんはこう訊いた。

「パソコンを調べてみて、他に何か分かった?」
「まず、救難信号を発信するシステムがあったから、発信しておいた」
「ありがとう。他には?」
「どうやら、既に電力会社からの電気の供給はストップしていて、自家発電に切り替わっているみたいだね」
「えっ。そうなの? いつの間に?」
「ほら、さっきテレビ室でニュースを見ていたとき、1回停電して、勝手に電気が点いただろ。あのときに切り替わったみたいだな」
「自家発電って、どうやって発電しているの?」
「パソコンに入ってた説明によると、核シェルターに隣接しているところで石油燃料を燃やすタイプの発電機と、太陽光発電の2種類を併用しているらしい。ただし、さっきラジオで言っていたように、これから本当に核の冬が来るとしたら大気中の塵で太陽の光が遮られてしまって、数年間は、太陽光発電は殆ど役に立たなくなるだろう」
「燃料を燃やすタイプの発電機は、どれくらい使えるの?」
「一応、定員の12人が普通に使っても一年間は持続できるらしい」
「ってことは、1人だと12年、2人でも6年間は使えるのね」
「いや、そんなに単純なものじゃないよ。冷蔵庫とか換気装置とか、常時使用している電気は人数に関係ないんだし」
「それなんだけど、使ってない部屋の換気装置はスイッチを切っても大丈夫なんじゃないの? 少なくとも寝室は1人用の部屋が2つあれば充分でしょう。他にも色々と節電をして電力の消費量を抑えたり、寝ている時間帯は発電機を止めたりすれば、6年どころか7、8年くらいは使えるんじゃないの? その頃には大気も落ち着いていて、太陽光発電も使えるようになっているかもしれないし」
「そうだね。じゃあ、早速寝室の換気装置のスイッチを切ってこようか」
「その前に、誰がどの部屋を使うのか決めないと」
「あ、そうか。えーと、パソコンの中に核シェルターの見取り図も入っていたんだけど、それによると、1人部屋は洗面所、トレーニング・ルーム、機械室の正面の壁に並んでいた4つのドアで、その反対側の廊下に2人部屋が4つあるらしい。とりあえず、2人部屋は全部換気を止めてもいいよね」

 僕はパソコンの画面に表示した見取り図を指さしながら言った。
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