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二匹の狐のおかげで、胸の奥に小さな安心が灯っていた。
まだ危機を脱したわけではない。それでも、ここでじっと息を潜めていれば、きっとそのうち彼らは諦めて立ち去る――そう思えた。
それにしても、この狐たちはどこから来たのだろう。
今まで、こんな狐を見たことはなかった。
鼻先と尾の先だけがわずかに白く、黒い毛の中にも、淡い白が混じっている。
そして何より、その瞳――金色にきらめく、美しい眼。
この世に、こんなにも美しい生き物がいるのか。
恐怖を忘れ、イチは思わず見惚れてしまった、そのときだった。
「見つけたぜぇ……イチぃ」
低く、苛立ちを含んだ声が、すぐ近くで響き、イチの体は強い力で引き上げられた。
「面倒かけさせやがって……せっかく優しくしてやろうと思ったのによぉ。残念だなぁ」
将太の腕から逃れようと、必死にもがく。だがその力はびくともしない。
追いかけてきた狐たちが、うなり声を上げながら周囲を駆け回る。
一匹が将太に飛びかかったが、将太は苛立たしげに足を振り上げ、容赦なく蹴り飛ばした。
「キャンッ!」
短い悲鳴を上げて、狐が地面に転がり、うずくまる。
もう一匹も続いて飛びかかろうとするが、イチは思わず叫んでいた。
「だめっ! 逃げて……っ!」
「おーおー、ずいぶん余裕じゃねぇか、イチぃ」
将太は嘲るように笑い、吐き捨てる。
「そうだな。こいつの言う通り、おとなしくしてろや。獣風情が、人間様に勝てるわけねぇんだよ」
ハッと鼻で笑い、イチを乱暴に地面へ放り投げる。
次の瞬間、その上から覆いかぶさった。
「さぁ……お楽しみと行こうじゃねぇか……」
――もう、だめだ。
そう思った、その時だった。
「おいおいおい。誰の許可を得て、俺の嫁に手ぇ出してんだぁ……あぁ?」
低く、怒りを押し殺した声が、夜の闇を切り裂く。
将太がはっと顔を上げた、その次の瞬間――
ごう、と空気が鳴った。
何が起きたのか、イチにはわからなかった。
ただ、覆いかぶさっていたはずの将太の体が、視界から消えた。
重い何かが吹き飛ばされ、木々をなぎ倒しながら叩きつけられる音が、少し離れた闇の奥で響く。
遅れて、将太の短い悲鳴。
イチの体から、圧迫感が消えた。
呆然と仰向けのまま瞬きをするイチの視界に、影が落ちる。
それは人の形をしていながら、夜そのものを切り取ったかのような、異様な存在感をまとっていた。
「……怖かったな、イチ」
低く、静かな声。
次の瞬間、イチの体がふわりと宙に浮いた。
驚く間もなく、がっしりとした腕に軽々と抱きかかえられる。
――近い。
思わず息をのむ。
恐怖で強張っていた体は、抵抗することもできず、ただ相手の腕の中に収まるしかなかった。
その拍子に、視線が合う。
金色だった。
闇の中でもはっきりとわかる、澄み切った金の瞳。
さっき寄り添ってくれた狐たちの瞳と同じ色――いや、それ以上に、強く、鋭く、そして恐ろしいほど美しい。
あまりのことに、イチは言葉を失う。
男はイチの顔を覗き込むようにして、ふっと眉をひそめた。
「……ちっ。ほかの男のにおいがべったりだ。気に入らねぇ」
不満げにそう吐き捨てると、そのままイチを抱いたまま歩き出す。
――え?
頭が追いつかない。
この人は誰だ。
将太はどうなった。
それに――
(……今、嫁って、言わなかったか……?)
次々と浮かぶ疑問が、恐怖と混じり合ってぐちゃぐちゃになる。
だが体は男の腕にしっかりと守られていて、先ほどまでの恐怖とはまるで違う感覚が、じわじわと胸に広がっていく。
安心と、困惑と、理解不能な状況。
イチはただ、金色の瞳から目を離せずにいた。
まだ危機を脱したわけではない。それでも、ここでじっと息を潜めていれば、きっとそのうち彼らは諦めて立ち去る――そう思えた。
それにしても、この狐たちはどこから来たのだろう。
今まで、こんな狐を見たことはなかった。
鼻先と尾の先だけがわずかに白く、黒い毛の中にも、淡い白が混じっている。
そして何より、その瞳――金色にきらめく、美しい眼。
この世に、こんなにも美しい生き物がいるのか。
恐怖を忘れ、イチは思わず見惚れてしまった、そのときだった。
「見つけたぜぇ……イチぃ」
低く、苛立ちを含んだ声が、すぐ近くで響き、イチの体は強い力で引き上げられた。
「面倒かけさせやがって……せっかく優しくしてやろうと思ったのによぉ。残念だなぁ」
将太の腕から逃れようと、必死にもがく。だがその力はびくともしない。
追いかけてきた狐たちが、うなり声を上げながら周囲を駆け回る。
一匹が将太に飛びかかったが、将太は苛立たしげに足を振り上げ、容赦なく蹴り飛ばした。
「キャンッ!」
短い悲鳴を上げて、狐が地面に転がり、うずくまる。
もう一匹も続いて飛びかかろうとするが、イチは思わず叫んでいた。
「だめっ! 逃げて……っ!」
「おーおー、ずいぶん余裕じゃねぇか、イチぃ」
将太は嘲るように笑い、吐き捨てる。
「そうだな。こいつの言う通り、おとなしくしてろや。獣風情が、人間様に勝てるわけねぇんだよ」
ハッと鼻で笑い、イチを乱暴に地面へ放り投げる。
次の瞬間、その上から覆いかぶさった。
「さぁ……お楽しみと行こうじゃねぇか……」
――もう、だめだ。
そう思った、その時だった。
「おいおいおい。誰の許可を得て、俺の嫁に手ぇ出してんだぁ……あぁ?」
低く、怒りを押し殺した声が、夜の闇を切り裂く。
将太がはっと顔を上げた、その次の瞬間――
ごう、と空気が鳴った。
何が起きたのか、イチにはわからなかった。
ただ、覆いかぶさっていたはずの将太の体が、視界から消えた。
重い何かが吹き飛ばされ、木々をなぎ倒しながら叩きつけられる音が、少し離れた闇の奥で響く。
遅れて、将太の短い悲鳴。
イチの体から、圧迫感が消えた。
呆然と仰向けのまま瞬きをするイチの視界に、影が落ちる。
それは人の形をしていながら、夜そのものを切り取ったかのような、異様な存在感をまとっていた。
「……怖かったな、イチ」
低く、静かな声。
次の瞬間、イチの体がふわりと宙に浮いた。
驚く間もなく、がっしりとした腕に軽々と抱きかかえられる。
――近い。
思わず息をのむ。
恐怖で強張っていた体は、抵抗することもできず、ただ相手の腕の中に収まるしかなかった。
その拍子に、視線が合う。
金色だった。
闇の中でもはっきりとわかる、澄み切った金の瞳。
さっき寄り添ってくれた狐たちの瞳と同じ色――いや、それ以上に、強く、鋭く、そして恐ろしいほど美しい。
あまりのことに、イチは言葉を失う。
男はイチの顔を覗き込むようにして、ふっと眉をひそめた。
「……ちっ。ほかの男のにおいがべったりだ。気に入らねぇ」
不満げにそう吐き捨てると、そのままイチを抱いたまま歩き出す。
――え?
頭が追いつかない。
この人は誰だ。
将太はどうなった。
それに――
(……今、嫁って、言わなかったか……?)
次々と浮かぶ疑問が、恐怖と混じり合ってぐちゃぐちゃになる。
だが体は男の腕にしっかりと守られていて、先ほどまでの恐怖とはまるで違う感覚が、じわじわと胸に広がっていく。
安心と、困惑と、理解不能な状況。
イチはただ、金色の瞳から目を離せずにいた。
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