【本編完結】君の悪夢が終わる場所【番外編不定期更新】

蓮蒔

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本編

35話

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 朝食を取ったイリスは中央研究所を辞めてから見事に引きこもっていた父親が朝から出かけるというのでそれを見送る。恐らく昨日の件の話をしに学園へ行くのだろう。
 一応家にいるようにと言われていたイリスは、ほてほてと屋敷の庭へ移動する。
 たどり着いたのは小川。
 母親である風切姫が赤い花を流すためだけに大型の水流巡回魔具を設置して人工的に作られたものであった。ノイ家の天才を象徴する様な、家族のためだけに作られた魔具。初代がそもそも魔具を作ったのも、家族がこんな物があればいいと零したからだと言われている。
 ノイ伯爵家の庭に植えられる花は基本的に淡い色が多い。白い花を主が好んだからである。けれど、この小川のそばにだけは赤い花が植えられていた。
 その花を一輪イリスは摘む。

「……いっその事もっと流しちゃおうかしら」

 余り沢山摘んでしまうのも可哀想だと思うのだが、あの聖女候補との悪縁が一輪だけで削げる気がしなかったのだ。
 これは自分の悪縁や穢を削ぐだけではなく、己が大切に思っている人の幸福を願う祈りだと母親が言っていたのを思い出し、これは自分がヴァイスの分を流すのとは別に自分の分をロートス辺りに流してもらおうかとも大真面目に考えた。
 それほどある意味あの聖女候補はイリスにとって強烈であったのだ。
 元々好かれていないのではないかと思ってはいたが、学年が違うこともあり然程関わりもなかったので、正直に言えばよく知らない、そんな印象しかない。なのでイリスは正直に茶会の時などはそう他の令嬢に言っていたし、生徒会で面倒を見ると聞いていたので口出しもしなかった。元々ノイ家の人間は他人への興味が薄い。
 ルフトと彼女の親密度が増すと何故か絡んでくる事が増えてきたのだが、今考えれば恐らくヴァイスが上手く回避していたのだろう、他の令嬢と変わらない対応しかイリスはしなかった。
 婚約破棄後はイリスとルフトが一気に疎遠になったので、自動的に彼女との接点も消え失せていたし、のびのびと過ごしていたのでたまに話題に上がる程度で気にもとめていなかった。

「そんな嫌われる要素あったかなぁ?いや、好かれてもあの子怖いけど」

 こうやって思い出してみても嫌われる程接点がない。が、想い人の婚約者の立場で目の敵にしていたのだろうと割り切ることにした。
 元々ノイ家は変わっていると言われているが、彼女もきっと変わっていたのだろう。考察おしまい!そんな気持ちでイリスがしゃがみこんで花を流そうとしたが、手首を掴まれたのに驚いて顔を上げる。

「……は?」

 直ぐ側にヴァイスの顔がありイリスは思わず息を詰めた。
 今までもそばで見る機会はいくらでもあったし、こうやって手首を掴まれる事も無かったわけではない。
 ルフトと婚約していた間は、それでも一線をしっかりと引いていたので異性として意識をしないようにしていたが、婚約破棄が成立してもそばにいてくれた事が嬉しくて、そして、時折彼が自分の事を好きでいてくれるのではないかと錯覚する事が多く、その度に自惚れだとイリスは己に言い聞かせていた。
 端的に言えば、イリスは心の準備が全くできていなかった。
 慌てた様にイリスが立ち上がろうとしたが、ヴァイスに引き止められてまたイリスは川べりに座り込む。

「その花一緒に流してぇんだけど」
「……一緒に?」

 己がヴァイスの悪縁を払うように、ヴァイスが己の悪縁を払ってくれようとしているのだろうかと考えたイリスは慌てたように声を上げた。

「ヴァイスは知らないかもしれないけど、一緒に流すと意味変わっちゃうの!もう一つ花を……」
「知ってる」
「は?」
「風切姫から聞いた。旅人の話だろ」
「そう。……え!?知ってたの!?」
「初めて会った時に聞いた。イリスと花の交換した時に知ってるのかって聞かれて……そん時におとぎ話聞いた」

 イリスが俯いてしまったのを眺め、ヴァイスは少しだけ躊躇ったように視線を彷徨わせて言葉を探したが、それより先に彼女が勢いよく立ち上がる。
 驚いてヴァイスが彼女を見上げると手に持っていた赤い花をイリスが自分の髪に飾ったので、彼は嬉しそうに瞳を細めたあとに立ち上がり白い花を手折る。
 そわそわとした様子でそれを眺めていたイリスは、自分の方へヴァイスが手を伸ばすと恥ずかしそうに俯いたが嫌がる素振りを見せずに、彼が花を交換するのをじっと待つ。
 イリスの髪に白い花を飾ると、満足そうにヴァイスは笑って彼女をそっと抱き寄せた。
「俺と一緒に歩いて欲しい」
「……はい」

 小さなイリスの声。それを拾ったヴァイスは彼女の髪、額、目尻、頬にくちづけをそっと落としたあと、ゆっくりと唇に触れた。
 触れられるだけで体温が上がったのに、くちづけられれば心臓まで驚くほど煩くなってきたとイリスは狼狽える。もしかしたらヴァイスにも心音が聞こえているのではないかと心配になってきたのだ。
 そんな事も知らずヴァイスが短いくちづけのあとイリスの顔を覗き込んでみれば、僅かに顔を赤らめそわそわとした様子なのが解って彼は思わず口元を緩める。もう一度触れたい。そう思ったのだが、イリスの視線が己の手の中にある赤い花に落ちているのに気が付き言葉を落とした。

「一緒に花、流してくれるか」

 その言葉にイリスは嬉しそうに微笑んだ。

***

「え?今日イリスに求婚したの?今日なの!?」
「急で悪いとは思ったんだけどよ」
「遅くない?」

 屋敷に戻ってきたイリスは、家令からフレムデが戻ってきていると聞き、とりあえずヴァイスからの求婚の件を話したいと談話室へ彼と一緒に移動した。
 するとそこにはサンドイッチ等の軽食を食べているフレムデとロートス、そしてヴァイスの養父であるミュラー伯爵の姿があった。もしかしたら学園長と話し合いをする為に時間を合わせて落ち合い、一緒に帰ってきたのだろうと考えてイリスはヴァイスの表情を伺う。
 そう言えばヴァイスはミュラー伯爵に許可は得ているのだろうか、それが心配になったのだ。けれどその視線に気がついたヴァイスは浅く笑うとフレムデに、イリスに求婚をして了承を得たのでそちらの許可も欲しいと丁寧に頭を下げた。
 そして放たれたフレムデの言葉にイリスは瞳を瞬かせる。

「遅いって……え?」
「とっくにイリスには内々に話はしてて、こう……なんか貴族は期間開けるとかそんなのあるらしいから、それ待って僕の所に来るつもりなんだと思ってた。え。さっきなの?」
「さっきよ……えっと、ということはお父様は反対はないという感じかしら」
「ないよ。っていうかヴァイス君なんでこんなに遅いの?イリス他に取られちゃうとか思わなかったの?」
「アンタが研究所辞めた後始末してて忙しかったんだよ。あと聖女候補の後始末」

 まさか遅いと言われるとはヴァイスも思わなかったのだろう、お前のせいだよ、と言うように言葉を放つとフレムデは納得したように頷いた。

「それは悪かったね。うん。イリスの婚約破棄が嬉しくてテンション上がってた」
「喜んでたのお父様!?」
「だって可愛い娘にはやっぱり好いた人と一緒になって欲しいし、ヴァイス君なら疵物とか気にしないだろう?まぁ、約束破りの嫌がらせに研究所辞めた感じだけど」
「嫌がらせレベルじゃないだろう。まぁ、ともかくイリス嬢が了承してくれたのは良かった」
「待っておじ様。さらっと流しそうになったけど、おじ様もえっと……賛成してくださるのですか?」

 フレムデに突っ込みながらも満足そうな顔をするミュラー伯爵を眺め、イリスは恐る恐ると確認する。するとミュラー伯爵は瞳を細めて笑った。

「因みに、これから求婚なのか!?って朝に私もヴァイスに言ったよイリス嬢。イリス嬢とは報告のタイミング待ちだと思ってた」
「……どういうことなのこれは……」
「イリス嬢の婚約破棄が決まったあと養子縁組の前倒しを頼まれたから、直ぐに求婚するんだと私も妻も思ってたんだが……妻など、まだだったのか!早く言ってこい!って随分気を揉んでいたよ」
「そもそもヴァイスが姉さん以外の女の人そばに置いてた事ないじゃん」
「ロートス君とバンドル扱いだと思ってました……」

 思わず顔を覆ったイリスを眺め、ミュラー伯爵は呆れたようにヴァイスを眺める。

「イリス嬢を不安にさせるのは感心しないなヴァイス。フレムデを見習ってもっと全面的にアピールした方が良かったんじゃないか。それ以外見習う所なんかないが」
「いえ!不安などではなく、ヴァイスが私選ぶ想定をしていなかっただけです!お陰で昨日は自爆したと焦りました」
「随分熱烈な求婚だったようだねイリス嬢。その辺りはノイ家の血かな。この一族はこれと決めたら一途だからね。まぁ、ヴァイスも負けず劣らず一途だから安心して欲しい」
「本人いる前でやめろ叔父貴」
「いいじゃないか」

 流石に居心地が悪くなったのかヴァイスがミュラー伯爵に言葉を落とすと、彼は咽喉で笑って瞳を細めた。

「子を望めない我が家にヴァイスが来てくれて、更に可愛いイリス嬢まで来てくれるのは嬉しいよ。妻も歓迎している」
「ありがとうございます、おじ様」
「お義父様でいいよイリス嬢。ヴァイスが叔父貴呼びを直してくれなくて寂しいんだ」
「アクセはさらっと図々しいな。まぁうちの子可愛いから仕方ないけど!!それでどうする?婚約の書類とか作るなら早めがいい?」
「神殿の予約は入れてあるから午後から行こうか。妻もそわそわしながら準備してるだろう」
「……それ俺がイリスにフラれたらどうするつもりだったんだよ」
「フラれる要素ないだろうに」

 ヴァイスの手回しの良さは完全に叔父譲りなんだろうなと思いながらロートスはちらりとヴァイスとイリスの表情を眺める。
 二人共嬉しそうで自分も嬉しくなる。マルクスにも早く教えてあげたい、そんな事を考えながら残った紅茶を飲み干した。
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