異世界列島

黒酢

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第1.0章_探索

17.心の距離Ⅰ

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 ♢
 深く暗い森の中。

「―――!?」

 突然の響きが、ミラの身体をピクリと反応させ、顔を天に向けさせる。

 天の咆哮が空気を震わせた。それはまるで、天がその怒りの丈を地上にぶつけたかのようであり、泣き叫んでいるようでもあった。

「驚いたじゃん……やめてよ」

 直径が5mはあろうかという巨大な樹の根に腰掛けたミラは、一人そう呟いた。天を仰ぐと、木々の間を掻い潜った無数の雨粒が顔を濡らす。

 天から零れ落ちた一筋の悔しみの涙。それはやがて、大粒の雫となり、怒りと悔しさといった深層の感情のままに大地に降り注ぐ。

 はぁ……。と、ため息を一つ。

「どこだろう……ここ」

 ミラは再び呟く。

 誰に聞かせるでもなく、返答を期待したものでもない。激しい雨が降り注ぐ中、深い森の奥で一人という状況が、ミラの独り言を饒舌なものにしていた。

 場所はおろか、雨のせいでどれくらいの時間が経ったのかすら分からない。

「もう夕方か……それとも夜か」

 雨と雷という自然現象は、単なるその枠を越え、ミラの心情を映し出す。

「馬鹿」

 誰に向けられた言葉であるのか。それはミラも分かっていなかった。

 ただ確実に言えることは、ここが深い森の奥であり、激しい雷雨の中にあり、そしてミラが一人そこに居るということである。

「ほんと馬鹿」









 ♢
 東岸拠点・七~八時間程前―――。

 ミラの心は荒れていた。

 心の奥底に広がるモヤモヤが、ミラの心を揺さぶる。怒り、悔しさ、それ以外の何か。すべてが複雑に絡み合い、言いようのない気持ちがミラの心を支配していた。

 故郷を奪った人種と楽し気に話す同胞。

 故郷を奪った人種のくせに、一切の傲慢さを見せず優しさを見せる自衛官。

 ―――なぜそんなに楽しそうに話せるの?なぜそんなに優しくできるの?

 おかしい。そんなはずはない。故郷を捨てさせた人種と仲良くするなんてありえない。人種は傲慢で強欲で非情な存在でなければいけない。

 その怒りは故郷を捨てさせた人種への怒りか。それとも、人種と打ち解けつつある同胞への怒りか。はたまた、スラ兵と自衛隊を異なる存在として認めることができない己への怒りか。

 ミラは分からないままにその怒りを、悔しさを、それ以外の何かを、周囲にぶつけた。

「―――馬鹿じゃないの!?」

 と。

 ミラはこれ以上この場にいたら、どうにかなってしまいそうに感じた。

 それは食事中も変わらなかった。美味しい食事、温かい食事。だが、ミラの心のモヤモヤは余計に大きくなった。

 命の危険が去り、久しぶりに十分な睡眠を取り、美味しい食事を食べる。考える余裕ができたことで、ミラの心の揺れは激しさを増した。

 ―――この場から一刻も早く逃げ出したい。その後のことなど分からないが、兎に角この場を離れたい。一人になりたい。

 ミラはそれしか考えられなかった。

「はぁはぁ……っ」

 朝食後、気が付くとミラは駆け出していた。

 人の血が濃く、身体能力が劣るとは言え獣人。その脚力は、その体力は、人種のそれを軽く凌駕する。

 しばらく足を走らせたミラの目に飛び込んできたのはフェンスの終わり。開閉式のフェンスが設置されたそこには、ミラには読めない〝南第二ゲート〟の文字と日章旗が掲げられていた。

 すぐ脇に建てられている簡素な詰め所の前には、小銃で武装した歩哨が拠点外からの侵入者に目を光らせているが、拠点に侵入するとすれば野生生物か魔物ぐらいのものである。

 もっとも、拠点の周囲に出没する魔物は内陸に出没する個体に比べて体格も攻撃力も劣る弱い個体が多く、すでに自衛隊の前に姿を現すことはほとんどなくなっていた。

 故に、歩哨の業務といえば専ら、拠点に近づいてしまった哀れな害獣駆除という一方的なものであった。緊張感などというものはすでに薄れている。

「―――これは難民キャンプの資材ですか?」
「―――あぁ。いつまでも宿舎内に置いとくわけにもいかんだろうしな」
「―――雨の中大変ですね。本格的に降り出すかもしれませんよ」
「―――なに、これが仕事だからな。お前さんも雨の中ご苦労なことで」

 窓越しに歩哨と言葉を交わした施設科の隊員は、「また後で」と手を挙げ、恐らく階級が低いのであろうその歩哨は「お気をつけて」と敬礼を返した。

 雨がむき出しの地面を穿つ音が辺りに響く中を、施設科のトラックが走り抜ける。

 そのとき、すでにミラは拠点のゲートを潜り抜けた後であった。

 もっとも、小雨程度であった当時、ミラに気付いたとしてもそれを止める者はいなかっただろうが。






 ♢
 そして話は冒頭に戻る。

 深い森の中でミラは一人、思考していた。一人で出来ることは限られる。自然と、自身の心に向き合う時間ができた。

 このとき、ミラは記憶の奥底に、何か引っかかるものを感じていた。

「なんだろう……なにか……」

 思い出しそうで思い出せない。この気持ち悪さを表すのなら、そう、喉に魚の骨がつっかえてずっと気になっている……そんな感じか。

 ミラはブンブンと頭を振って思考を止める。これ以上考えても気持ち悪さが増すだけだと思ったからだ。

 雨は激しさを増し、獣道に濁流が轟轟と音を立て流れる。

 ミラの身体もすでに雨に打たれ、足元は泥にまみれていた。

「はぁ……。なんでこんなとこまで走っちゃったんだろう」

 後悔先に立たずとは言ったものだが、ミラは自身の後先考えずにとった行動の無意味さと阿保さ加減に呆れていた。

 そのとき、突如、ミラの野生の感が警鐘を鳴らす。

「―――なにっ!?」

 ミラは瞬間的に顔を上げた。

 ミラの目に飛び込んできたのは、黄色の目に細長い黒の瞳。毒々しいまでのその色合いに、ミラの眼は釘付けとなる。

 交錯する視線。

 獰猛な牙をむき出しにしたそれは大蛇。体長数メートルはあろうかという巨大な爬虫類型の魔物が、巨木の幹に己の胴体を巻き付け、ミラを威嚇する。毒々しい黄色と黒のまだら模様が、暗闇の中でもその存在感を暴力的なまでに主張する。

 シャァァァァァァァ―――。

 一触即発。いつ襲い掛かってきてもおかしくない。

 ミラは息をするのも忘れてその場から逃げようとした。

「あっ」

 だが、ぬかるみに足を取られたミラは、バシャっと音を立ててその場に転んだ。泥と雨にまみれるが、そんなことを気にしている余裕はない。

 ミラが振り返ると、そこには大蛇の大きな顔が。

 その目に映るミラの姿が大蛇には何に見えたのだろう。天敵か、味方か、それとも―――獲物か。

 ミラは気づいていた。

「私は獲物……」
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