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21.大都と鎌倉

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 蒙古帝国の中原支配の象徴ともいる大都――
 金王朝の旧都である「燕都」の位置に建立された城塞都市だった。
 周囲の城壁は約三〇キロメートル。
 大陸における都市構造の伝統に従った巨大で荘厳な都である。その帝都たる威容を備えた都でもある。

 西は地中海、南はアラビア海まで版図を広げ交易帝国となった蒙古帝国の心臓部。 
 あらゆる商品が集まり、地中海、アラビア商人で賑う国際交易都市でもあった。
 大都内には商業特区も儲けられている。
 
 圧倒的な生産力、交易力、軍事力を備えた人類の歴史の中でも最強に数えられる帝国のひとつである。

 大都ではクビライ・ハーンと帝国高官による定例会議が開かれていた。
 文人官僚の頂点に位置する耶律楚材《やりつそざい》も当然のことなら出席している。
 彼はその血をいえば契丹人であり、父は金王朝の宰相であった。
 実力第一主義である蒙古帝国では民族の血は殆ど問われることは無い。

「南宋はどうか――」

 重く響く声。
 クビライ・ハーンであった。
 このときの彼の頭の中を大きく占めていた事案は南宋攻略であった。
 すでに南宋の最重要拠点である襄陽《じょうよう》は落ちていた。
 強固な城塞都市を陥すために、その外側に巨大な土壁を積み上げ、逼塞状態にもっていくという信じられない程強引な戦術をとった結果だった。
 戦の行方はもう決まったようなものだった。
 残敵掃討と言ってしまえば、言い過ぎかもしれないが戦争そのものの帰趨は決している。

 そのような報告がなされ、クビライは鷹揚にうなづく。
 ただ、その細い目からは刃のような鋭さが無くなっていない。

「そういえば…… 倭、日本といったか? どうなったか」

 ふと今思いついたかのようにクビライが問うた。
 すでに高麗より侵攻部隊は出航していた。
 そのことをクビライは思い出す。

「早々に朗報を届けられるかと」

 耶律楚材が答えた。
 おそらく、計画通りであれば対馬、壱岐という島を攻め、九州という島に上陸を開始しているのではないかと思う。
 ただ、その状況を細かく知るすべは今のところない。

「南宋との戦いも大詰めを迎えますれば」

「そうであるな」

 それだけの言葉でクビライと耶律楚材の間だけで理解が進む。
 頭の切れすぎる帝王とその官僚だけに許された呼吸というものだったかもしれない。

 南宋がここまで戦うことができたのは、交易による富の蓄積があったから。
 戦争は大量な消費であり、国家の富を消費する。
 兵ひとりを動かすことですら、それは金を動かすのと同じだった。
 優秀な経済官僚でもある耶律楚材はそのことを理解していた。

 南宋は日本との交易を盛んに行っていた。
 硫黄、木材などこの時代の戦略物資ともいえる物が大量に流入していた。
 硫黄は黒色火薬の材料のひとつであり、木材はあらゆる場面で必要となる戦略物資だ。

(日本も我帝国と誼を持てば―― この様なことにはならなかったものを……)

 耶律楚材はすでに日本が敗れるであろうという前提で考えていた。
 優秀ではあるが、文人官僚の限界でもあった。
 戦争リアリズムに対する想像力が働かなかった。
 獰猛極まりない鎌倉武士という存在など想像の埒外だ。

「朕は支配を希求するわけではないのだ」

「はっ」

 クビライの言葉に耶律楚材は頭を低くする。
 要するに日本の占領、全面戦争を望んでいるわけではないということだ。

(結局のところ、南宋攻略のための戦争であるということ)

 その理解には耶律楚材は達している。
 そして、戦争は政治目的を達成するための手段であった。
 
・南宋攻略の側面戦争
・日本を帝国の交易圏内に組み込む
・不穏なところのある高麗を疲弊させ反乱を起こさせない

 こんなところが政治目的であろうか――

 高麗に至っては、すでに疲弊し反乱など思いもよらないと上申されてはいる。
 が、油断はならない。
 過去、降伏したといっては代官を殺している。
 三別抄の乱など武官による反乱も起きている。
 とにかく、まともな統治が出来ない国なのだ。する気もないのかもしれない。
 いや「統治」という概念がないのかもしれない。

(一方で日本侵攻を上申するなど、全く持ってどこに意思決定権があるのやら……)

 そして高麗にはたいした産物も無い。
 日本が帝国の影響下に入るなら、放置しておいてもいいくらいだと耶律楚材は思った。

(彼の国は東の果ての小国ではあるが、金、銀を多く算出するという)

 日本は九州を保障占領し、その後交渉に入り、大きく譲歩を引き出せば良い。
 耶律楚材はこのようなことを考えていた。
 この時点では、甘い願望であると気づくことはできなかった。

        ◇◇◇◇◇◇

「対馬、壱岐は敵手に渡ったわけではないか」

 端麗な顔をした男が涼やかな風のような声で言った。
 鎌倉幕府執権、北条時宗であった。
 武家の棟梁というよりも典雅な貴人という雰囲気を感じさせる。

 対面に座る僧は、ゆるやかに頭を動かす。
 時宗のブレーンのひとり禅僧の大休正念であった。
 南宋人である。

「蒙古は戦闘と略奪、補給のみで通過したのですから」

 大休正念は言った。
 時宗は、多くの禅僧に師事し、その思想の根本に大きな影響を受けていた。
 その影響のひとつが南宋人独特の強烈な国家意識であった。

(勝つるではあろうが、問題は勝ち方か……)

 時宗は今回の戦は勝てると思っている。
 中原を支配した蒙古帝国の強大さを知らぬわけではない。(実際は時宗の予想など遥かに超え強大であったが)
 この時代の日本人としては、最も正解に近い蒙古帝国のイメージを持っている男であった。

(兵力は二万数千、対馬、壱岐を抑えていないとなれば、糧道《補給》を寸断できよう)

 対馬、壱岐を拠点《チョークポイント》として抑えなかったことが、蒙古の戦略的な失敗であると考えている。
 よしんば、九州の占領に成功したとしても、瀬戸内海には河野水軍など精強な御家人がそろっている。
 そして京都周辺はいわずもがな。
 その更に先に鎌倉はあるのだ。

「蒙古は限定的な戦しかできぬ」

 時宗は断言する。
 迷いの一切無い言葉だった。

「なるほど、そうでありましょう」

 大休正念はその言葉に首肯する。
 この戦は仕掛けた蒙古帝国にとって愚作であると思っている。
 が――
 それは日本侵略が目的であった場合だ。

(南宋との戦のためのけん制か……)

 大休正念は、自分の祖国のことを思う。
 その流れの中での戦略であれば、話はいろいろ違ってはくるだろう。
 ただ、いずれにせよ故郷は滅びると、この僧は達観していた。
 永遠に存在し続ける物などありはしないし、故郷にすがる心もまた雑念であると思う。

「あの者たちは役にたっておりましょうか?」

「あの者?」

 韜晦するかのように、時宗は言った。
 若さに似合わぬ老獪さを感じさせる。

「まつろわぬ者です」

「ほう、あの者たちを…… 師は興味をもたれまするか?」

 まつろわぬ者、誰にも忠誠を持たぬ者。
 ただ、銭にだけを信じる者。
 銭さえつめばどんな事でもやる者。
 そういった者を北条時宗は使っていた。
 己が耳目として、手足としてだ。
 御内人ですら、知りえない。

(なぜ、師が……)と、目を細めて対面の大休正念を見る。
 師とはいっても、己が領域に無断で踏みこむことがあれば、一切の容赦などないことは、その双眸が語っていた。
 
「ひとり、知り合いがおりますれば」

「ほう」

「破戒と今はいいますか――」

 時宗は「あの生臭坊主と旧知だったのか」とすこし驚く。
 なんとも得体のしれぬ坊主であったが、尚更底が見えなくなった。

「今は、博多にて、我耳目となっておりまする」

 時宗は淡々とそういった。
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