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34.赤坂会戦・1274.1021 その2

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 放物線を描き蒙古正規軍の放った矢が鎌倉武士団の前衛部隊に降り注ぐ。
 その矢の密度はいまだかつてないものだった。
 矢の数は不足していた。兵站の失敗が原因だ。
 が、後先考えない物量の投入で空間を埋め尽くすような矢の攻撃が可能となっていた。

 この一撃を受けた鎌倉武士団も擾乱じょうらんの様相を呈していた。
 騎馬、歩兵の隊列が大きく乱れる。

「避けよッ!」
「防げ! 楯じゃ! 楯をもてぇ!」

 楯に刺さる蒙古の弓――
 無数の弓だ。

 蒙古の弓は二〇メートル内外の至近距離からの直射ダイレクトショットを基本とする鎌倉時代の日本の弓矢運用とは異なるものであった。
 蒙古の短弓たんきゅうの性能自体は和弓に劣っていた。
 少数ではあるが配備されていた「弩」も威力はしれている。これはいわゆる「クロスボウ」だ。
 連射性に劣り、遠距離で使用する武器ではなかった。威力を発揮できるのは近距離に限定される。遠距離戦闘では使用できない。矢の無駄だ。
 つまるところ、遠距離射撃による敵の壊乱を狙った洪茶丘の作戦には投入はされていない。
 
「放て!」

 指揮官の声が戦場の空気を震わせる。
 銅鑼が激しく打ち鳴らされた。
 まるで巨大な獣の唸りのように――
 風を切り裂き、大陸製の矢が鎌倉武士に当たる。
 
 この時代の集団戦の限界ともいえる五秒に一発の速度レートによる矢の斉射だった。
 
「構わん! 突っ込め! 殺せぇ! 首をかき斬れ! 分捕りじゃぁぁぁ!」

 騎乗の御家人が獣の咆哮に似た声を上げる。
 大鎧という極彩色の重装甲に包まれた中世最強の重装投射騎兵団が突撃してくる。
 大地を揺らすひずめの音。泥を跳ね飛ばし、馬がいななく。
 軍馬一体となり、その身を殺戮機械ジェノサイドマシーンと化した侍が突撃してくる。
 ユーラシア最強、その精強を恐れられた蒙古兵にして、死を想起するしかない存在――
 兇悪で組織的な暴力が山崩れのように迫ってきていた。

『こいつら、倭人どもは狂ってるのかっ!』
『知ってるだろ! 奴らは狂ってる! 狂っている上に兇悪だ! 殺すことも、死ぬことも大好きな気ぐる――』

 倭兵を恐れ罵る言葉を吐き出そうとした男の首が吹っ飛んだ。
 その顔は自分に何が起きたか分らぬ「なぜ?」という表情を浮かべ、泥濘ぬかるみの中に転がる。
 泥と混ざり合った粘つく血がブクブクと泡を立てる。

『敵を恐れるものはいらぬわ』
 
 洪茶丘は吐き捨てるように言った。
 この光景を目撃した兵士は怖気をふるい、眼前の敵に向かうしかなかった。
 どちらも恐怖であるが、敵はまだ遠い。

 しかし――

 何回目の投射であろうが、鎌倉武士団は、馬を血に染めても突っ込んでくる。
 歩兵たちも楯をかまえ――
 いや、楯を持たぬ者も狂気の叫びを上げ、泥を跳ね上げ突き進む。
 まるで、死地に飛び込むことが最高の娯楽であるかのようにだ。
 死を恐れないどころではない、己の死を楽しんでいるようにすら見えた。

『あがが、あ、あ、あ、あ、あ――』
 
 訓練された蒙古正規兵といえどたまらぬものだった。
 矢の射出速度が鈍る。
 距離が詰る。
 蹄が死神の調べを奏でる。

「殺せ! 射れ! 分捕り放題じゃぁぁぁ!! 恩賞いただきじゃぁぁぁ!!」

 極彩色の気の狂いそうなほどに鮮やかな大鎧の侍が叫んだ。
 人をぶち殺すことに一切の躊躇いは無い。
 隠しきれぬ歓喜が、その双眸からあふれ出ている。

 鎌倉武士とは――
 生を受けたときから、殺人術のみを磨き上げた存在だった。
「一所懸命」の名の下に――
「ご恩と奉公」の名の下に――

 最高の殺人技術を身に付け――
 最新の技術の武器を持ち――
 最上の喜びの中で――
 
 溶岩マグマのような熱望を持ち、敵を殺す、殺戮しまくる。
 中世日本に出現した人間を兵器と化した狂戦士だった。

        ◇◇◇◇◇◇

 馬上で二メートル三〇センチを超える長弓が引き絞られる。
 並の男が三人で引っ張ってもびくともしないような強弓ですら珍しくない。
 馬の首が正面を死角とするため、やや斜行する形で敵集団に突撃する。
 この馬を操作する技術も高い。
 
 兇悪な鋼の光を湛えた征矢が空を突き破り飛ぶ。
 近距離の貫通力だけなら近代兵器にも劣らぬ威力をもった武器だ。
 それが、ろくな防御力もない蒙古兵の集団を襲った。
 いや、頼りにすべき楯すら容易に貫き、人の肉をズタボロにする。
 
 まだ射程に入った弓兵は数える程であった。
 が、数は次第に増えていく。指数関数的に増えていく。
 時間の流れが加速する。
 弓が空間を埋め尽くし、容赦ない飽和攻撃となっていく。

 前衛部隊の衝突で、蒙古兵は一瞬で崩れる。

『化け物どもがぁ!』

 洪茶丘は、すばやく身を翻し後退する。
 将が逃げれば、兵は耐えられるわけがない。
 いかに精強といっても――
 むしろ中世としては先進的な指揮システムを持っているがゆえに、指揮系統の上部が後退することは全軍に伝播する。
 個々人の奮闘、勇猛は期待できたが、限界があった。
 そこで鎌倉武士と競っては勝負になるわけがなかった。
 
 前衛の一角が崩れ、壊走に至る寸前までいく。

『下がるな! 行け! 倭猿ごときに後ろを向けるなッ!』

 血の臭いに染まった空間。
 大音声が切り裂く。
 巨大な馬であった。
 巨大な男であった。
 女真族の指揮官である劉復享りゅう ふくこうであった。
 
 ガツンと征矢が兜に当たった。
 鉄製の兜が割れ、頭か落ちる。
 が、劉復享に傷はなかった。
 笑っていた。
 その男は嗤っていた。
 獰猛さを隠そうともしない相貌には、見る者の気魂を砕くような笑みが浮かんでいた。 

「おぉぉぉぉ!! 分捕りじゃぁぁ! 大将首じゃぁぁ!」
 
 それでも鎌倉武士の一人がつっかけた。
 馬も人も大人と子ども位の体格差がある。
 この鎌倉武士は、白刃を抜きはなち、世界最強の刃を敵に向けた。
 敵を殺せること、大将首が取れるという歓喜が肉に満ちる。
 が、その歓喜は血と一緒に肉の外へと撒き散らされ、形を失った。人としての。
 肉体は肩から両断された、馬ごとだった。
 尋常ではない膂力りょりょくだった。
 
『殺してやる。猿ども―― かかってこい』

 振りぬいた三日月のような刃をもった長刀を構え、劉復享は言った。
 重く天地を震わすような声であった。
 
 にぃぃっと唇が歪む。
 その笑みを更に兇悪なものに変えていく。 

 女真族の将軍が、侍たちの前に立ちふさがった。
 それは伝説にしか存在しない巨人の姿のようであった。
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