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短編
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愛する君へ――
誠に申し訳ない。
君がこの手紙を読んでいるときには、わたしはもうこの世にいないだろう。
本当に申しわけない。わたしがこの世を去ることで問題が解決しないことは分かっている。
君に許して欲しいとも思わない。憎んでくれていい。
無責任に死を選ぶ、わたしを憎んでいい。
妻であった君にはその権利があるのだから。
「私、離婚することに決めた」と――
君がそう言ったのは、今日のような日差しが罪を照らし出すような日だったね。
わたしはその言葉を聞いたとき、どんな顔をしていただろうか。
深刻な顔をしていただろうか。
君にそう言わせた原因を作ったのは、わたしであること。
十分に承知していた。
それなのに、わたしの胸の内では、後ろ暗い思いの裂け目から喜が漏れ出していた。
そう。
わたしは喜んでいた。わたしは、本当にどうしようもない人間だ。昔も今も。
家庭を壊し、君と三人の子どもを不幸にすることよりも、自分の思い――
いや、欲望を優先していたのだろう。
日々の生活で感じていた重荷、君に対する負い目を背負い、心の奥にトゲの刺さったような日常からの決別。
君の「私、離婚することに決めた」という言葉は、わたしを暗闇の底から明るい世界に引き上げたのだから。
いや、そう書いてしまうと、まるで君に責任を背負わせるかのようだったね。
そうじゃない。君がたまたま先に言葉にしただけだ。
わたしもそれを望んでいたのだから。卑怯なことに君に決断の言葉を言わせてしまった。
わたしは、ただズルズルと決意を先延ばしにしていたのだ。わたしが悪い。わたしに責任がある。責められるべきはわたしなのだ。
本当は、わたしが君を闇の底に沈みこむような日常から救わなければならなかったのに。
だから、君は君の言葉を後悔する必要はないんだ。
わたしが、勝手に自分の人生を終わらせる決断をしたのは自分の意思なんだ。
この事態は君の言葉から始まったことの帰結ではないし、何の関係もないんだ。それは分かって欲しい。
わたしに力があればまた違った道もあっただろう。でも、弱かった。わたしは弱い人間だ。
君との結婚生活はわたしにとって宝物のような時間だった。これは本当だ。
ただ、君と子どもたちの生活が、幸せであるからこそ、わたしは苦しんだのかもしれない。
わたし自身が自覚できない思考の奥深くで軋むような苦痛を生じていたのかもしれない。
その痛みを鈍感なわたしは、日々の仕事で糊塗していただけなのかもしれない。
自覚できなかったのだ。いや、自覚しようとしなかったのだ。
本当に勝手な言い分だと思う。
わたしが抱えている問題の多くは、わたしが死に保険金を得ることで解消できる問題だ。
君が必要としているお金も、子どもたちが将来必要とするお金も賄えるだろうと思う。
契約ではもう、自殺でも保険金を受け取れるはずだから。定款は何度も確認しているし、この手紙にその部分のコピーをつけてあるから確認して欲しい。
◇◇◇◇◇◇
私はスマホに映った文字を追うのを止めた。
目から苦味だけを抽出したかのような泥水を飲んでいるかのような気分だ。
「自殺したかったのは、こっちだ」
口をついて出た言葉。偽らざる思いがそのまま言葉になっていた。
私が妻から「私、離婚することに決めた」と言われたのは四年前のことだった。
独立したばかりで、仕事が忙しかったのは事実だが、決して家庭を顧みなかったわけではない。
だから、私はそのことを彼女に言った。
そのときの私は、彼女がなぜそんなことを言ったのか、全く理解できなかったのだ。
彼女は「あなたは私を女として見てない」と、言った。
私の「娘はどうする気だ」という問いに「親権は渡さない」と目を吊り上げて言い切った。
娘はまだ一〇歳だった。
娘は可愛かった。娘も妻より私になついていた。
娘は「お母さんの料理よりお父さんの料理の方が美味しい」と言っていた。
だから、休みの日はわたしが家事をして食事も作った。
忙しくとも、娘に寂しい思いだけはさせないように努力してきたつもりだった。
一体自分のどこが悪かったのか――
私は狂いそうになった。
あるはずもない自分の瑕疵を追い求め、追い詰められ、本当に自殺すら考えたのだ。
「死んだのか。だからどうした?」
私はメールに目を戻す。
元妻と再婚した浮気相手の自殺を知らせるメールを読んでいく。
ご丁寧に「遺書」をコピペまでしたメールだ。
私が悪いわけではなかった。
妻に男ができただけだった。
不倫、浮気だった。
それは、離婚が具体的になっていくにつれ明らかとなった。
妻の口から説明はあったが、謝罪はなかった。
吐き気がした。
この女に娘は渡せないと思った。
あははは。バカだ。
私は、財産分与の中から慰謝料を受け取るだけに留め、その代わり娘の親権を要求した。
駄目だった。
この国では不倫した女であっても「母であること」を重視する。
娘は妻だった女と不倫相手の子どもとなった。法律上は、だ。
ただ、私は毎週、娘と面会できる権利だけを得た。
その権利を存分に使わせてもらった。
なんとしても仕事で成功してやるという思いも強くなった。
子どもに、私という父親の存在を刻み込むかのように、贅沢をさせた。
私の父母、娘にとっての祖父祖母も協力した。
妻からは「他の子のことも考えて、あまり甘やかさないで」と、言われた。
関係ない。不倫相手の子どもと、私の子ども間に何かの差ができたとしても、それは私には関係ない。
私は私の子どもに不憫な思いをさせたくないだけだったのだから。
不倫男も会社を経営していた。
当時、独立したばかりの私より収入も多く、十数人の社員も雇っていたようだ。
年商五億程であることはホームページを見て知った。
この規模の会社としては破格だろう。
正直言って、負けたくなかった。
その思いがあったから、私は踏ん張れた。
あはは。
だから、年商一〇億を超える会社を作れた。もう売ってしまったが。
娘と一緒に過ごす時間を取り戻すために。
もう、十分に稼いだ。お金は、目的を達成するための道具にしかすぎない。
そして、私の目的は娘を取り戻し、失われた時間の穴埋めをすることだ。
娘も十五歳になれば、親権の要望を訴えることができる。
もう、話はできている。娘は私を選ぶ。
そもそも、娘が彼女を内心で嫌っていることは明らかなのだ。
手紙は、金銭で助けて欲しいというお願いだった。
どうやら、保険金の受け取りでトラブルがおきているらしい。
知ったことではないが。
吐き気がする。
「さて、どうするか」
口にしてみたものの、私の気持ちは決まっていた。
娘の誕生日までは金を送ろうじゃないか。
そして、彼女へ最後の手紙を送ろう。
「あなたは、夫の残した血の繋がらない子どもを育ててください。それから、私の方からの金銭的支援も、養育費も止めにしますので」と――
私は娘の親権を手にしたときに、妻――
いや、元妻に送る最後の手紙の文面を考えていた。
誠に申し訳ない。
君がこの手紙を読んでいるときには、わたしはもうこの世にいないだろう。
本当に申しわけない。わたしがこの世を去ることで問題が解決しないことは分かっている。
君に許して欲しいとも思わない。憎んでくれていい。
無責任に死を選ぶ、わたしを憎んでいい。
妻であった君にはその権利があるのだから。
「私、離婚することに決めた」と――
君がそう言ったのは、今日のような日差しが罪を照らし出すような日だったね。
わたしはその言葉を聞いたとき、どんな顔をしていただろうか。
深刻な顔をしていただろうか。
君にそう言わせた原因を作ったのは、わたしであること。
十分に承知していた。
それなのに、わたしの胸の内では、後ろ暗い思いの裂け目から喜が漏れ出していた。
そう。
わたしは喜んでいた。わたしは、本当にどうしようもない人間だ。昔も今も。
家庭を壊し、君と三人の子どもを不幸にすることよりも、自分の思い――
いや、欲望を優先していたのだろう。
日々の生活で感じていた重荷、君に対する負い目を背負い、心の奥にトゲの刺さったような日常からの決別。
君の「私、離婚することに決めた」という言葉は、わたしを暗闇の底から明るい世界に引き上げたのだから。
いや、そう書いてしまうと、まるで君に責任を背負わせるかのようだったね。
そうじゃない。君がたまたま先に言葉にしただけだ。
わたしもそれを望んでいたのだから。卑怯なことに君に決断の言葉を言わせてしまった。
わたしは、ただズルズルと決意を先延ばしにしていたのだ。わたしが悪い。わたしに責任がある。責められるべきはわたしなのだ。
本当は、わたしが君を闇の底に沈みこむような日常から救わなければならなかったのに。
だから、君は君の言葉を後悔する必要はないんだ。
わたしが、勝手に自分の人生を終わらせる決断をしたのは自分の意思なんだ。
この事態は君の言葉から始まったことの帰結ではないし、何の関係もないんだ。それは分かって欲しい。
わたしに力があればまた違った道もあっただろう。でも、弱かった。わたしは弱い人間だ。
君との結婚生活はわたしにとって宝物のような時間だった。これは本当だ。
ただ、君と子どもたちの生活が、幸せであるからこそ、わたしは苦しんだのかもしれない。
わたし自身が自覚できない思考の奥深くで軋むような苦痛を生じていたのかもしれない。
その痛みを鈍感なわたしは、日々の仕事で糊塗していただけなのかもしれない。
自覚できなかったのだ。いや、自覚しようとしなかったのだ。
本当に勝手な言い分だと思う。
わたしが抱えている問題の多くは、わたしが死に保険金を得ることで解消できる問題だ。
君が必要としているお金も、子どもたちが将来必要とするお金も賄えるだろうと思う。
契約ではもう、自殺でも保険金を受け取れるはずだから。定款は何度も確認しているし、この手紙にその部分のコピーをつけてあるから確認して欲しい。
◇◇◇◇◇◇
私はスマホに映った文字を追うのを止めた。
目から苦味だけを抽出したかのような泥水を飲んでいるかのような気分だ。
「自殺したかったのは、こっちだ」
口をついて出た言葉。偽らざる思いがそのまま言葉になっていた。
私が妻から「私、離婚することに決めた」と言われたのは四年前のことだった。
独立したばかりで、仕事が忙しかったのは事実だが、決して家庭を顧みなかったわけではない。
だから、私はそのことを彼女に言った。
そのときの私は、彼女がなぜそんなことを言ったのか、全く理解できなかったのだ。
彼女は「あなたは私を女として見てない」と、言った。
私の「娘はどうする気だ」という問いに「親権は渡さない」と目を吊り上げて言い切った。
娘はまだ一〇歳だった。
娘は可愛かった。娘も妻より私になついていた。
娘は「お母さんの料理よりお父さんの料理の方が美味しい」と言っていた。
だから、休みの日はわたしが家事をして食事も作った。
忙しくとも、娘に寂しい思いだけはさせないように努力してきたつもりだった。
一体自分のどこが悪かったのか――
私は狂いそうになった。
あるはずもない自分の瑕疵を追い求め、追い詰められ、本当に自殺すら考えたのだ。
「死んだのか。だからどうした?」
私はメールに目を戻す。
元妻と再婚した浮気相手の自殺を知らせるメールを読んでいく。
ご丁寧に「遺書」をコピペまでしたメールだ。
私が悪いわけではなかった。
妻に男ができただけだった。
不倫、浮気だった。
それは、離婚が具体的になっていくにつれ明らかとなった。
妻の口から説明はあったが、謝罪はなかった。
吐き気がした。
この女に娘は渡せないと思った。
あははは。バカだ。
私は、財産分与の中から慰謝料を受け取るだけに留め、その代わり娘の親権を要求した。
駄目だった。
この国では不倫した女であっても「母であること」を重視する。
娘は妻だった女と不倫相手の子どもとなった。法律上は、だ。
ただ、私は毎週、娘と面会できる権利だけを得た。
その権利を存分に使わせてもらった。
なんとしても仕事で成功してやるという思いも強くなった。
子どもに、私という父親の存在を刻み込むかのように、贅沢をさせた。
私の父母、娘にとっての祖父祖母も協力した。
妻からは「他の子のことも考えて、あまり甘やかさないで」と、言われた。
関係ない。不倫相手の子どもと、私の子ども間に何かの差ができたとしても、それは私には関係ない。
私は私の子どもに不憫な思いをさせたくないだけだったのだから。
不倫男も会社を経営していた。
当時、独立したばかりの私より収入も多く、十数人の社員も雇っていたようだ。
年商五億程であることはホームページを見て知った。
この規模の会社としては破格だろう。
正直言って、負けたくなかった。
その思いがあったから、私は踏ん張れた。
あはは。
だから、年商一〇億を超える会社を作れた。もう売ってしまったが。
娘と一緒に過ごす時間を取り戻すために。
もう、十分に稼いだ。お金は、目的を達成するための道具にしかすぎない。
そして、私の目的は娘を取り戻し、失われた時間の穴埋めをすることだ。
娘も十五歳になれば、親権の要望を訴えることができる。
もう、話はできている。娘は私を選ぶ。
そもそも、娘が彼女を内心で嫌っていることは明らかなのだ。
手紙は、金銭で助けて欲しいというお願いだった。
どうやら、保険金の受け取りでトラブルがおきているらしい。
知ったことではないが。
吐き気がする。
「さて、どうするか」
口にしてみたものの、私の気持ちは決まっていた。
娘の誕生日までは金を送ろうじゃないか。
そして、彼女へ最後の手紙を送ろう。
「あなたは、夫の残した血の繋がらない子どもを育ててください。それから、私の方からの金銭的支援も、養育費も止めにしますので」と――
私は娘の親権を手にしたときに、妻――
いや、元妻に送る最後の手紙の文面を考えていた。
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妻サイドも読んで見たいですね!