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10.行ける所まで

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 有紀はレトルトのご飯パックの封を開けた。
 白い湯気が上がる。温かいというより熱いという感じだ。

「食べなよ」

「はい」

 一郎もぎこちない手つきで封を開けた。
 使い捨てのプラスチックのスプーンでご飯をかき込む。
 おかずは、缶詰だ。サバの水煮だった。
 
「有紀さん。いつまで此処にいるの?」

「うーん。言いたいことは分かるけど」

「行きましょうよ。ずっとここにいても、助けは来ないと思います」

「一応、屋上に《SOS》書いたしさぁ」

 空から生存者を探す存在があれば――と、思って書いたものだった。
 ペンキはいくらでもあった。
 生存者を探しているヘリなり何なりが飛べば目視できるはずだ。

「消極的ですよ」

 ちょっと尖った口調で一郎は言った。
 有紀は意に介さず、ペットボトルの水を飲む。

 確かにそうかもしれない。否定はしない。
 避難すべき場所がある。
 まだ秩序をたもった「社会」という物が存在する。

 こちらからその場所に向かうのか?
 相手が自分たちを見つけるのを期待するのか?
 
 ホームセンターの物資と、移動手段を考えると無駄に動かない方が正解のような気がしている。
 自分の記憶が無いことも、その決断にいたる一因だったかもしれない。
 
「避難エリアに行くとしても、どこなのか正確な場所が分らないし」

 そう言って、サバを口の中に放り込む。咀嚼した。白い喉が動く。
 一郎は口頭で場所を説明できなかった。
 説明できたとしても「子ども」の言を丸々信じてしまうのは躊躇われた。
 齢不相応の大人びた話し方をするとはいっても、一郎は十二歳なのだから。

「地図があれば」

 一郎が細く呟く。

「此処には地図はないんだよ」
 
 何でもあるようで、ホームセンターにないのは「本」の類だった。
 ロードマップ等は置いてあるようで、置いていなかった。
 そのことは一郎も知っていたし、呟きも愚痴のようなものだった。

「ガソリンにも不安はあるし」

 有紀は言葉を続けた。
 いざとなれば、バールのようなもので、給油口をこじ開け、ホースでガソリンを移し変えることもできるだろう。
 が、それを「今」やる必要はない。
 じっくり、腰をすえて「待つ」というほう方が一番安全な気がしている。

「地図があればどうですか?」

「だから無いって」

「今、思いついたんですけど《カーナビ》は動くんじゃないですか」

「カーナビ?」

「動く車は、一台だけなんですよね。その車にカーナビ付いていないんですか?」

「付いてる」

「じゃあ、それで地図を確認できます」

 一郎は自身たっぷりに言い切った。

        ◇◇◇◇◇◇

 屋上に出て車に乗った。唯一動く車。SUV車だった。
 有紀はキーを入れ、エンジンをかける。
 エンジンは何の問題も感じさせず燃焼音を奏でる。

 カーナビの画面が明るくなった。

「一応、生きているけど」

「ここです、この街道」

 一郎が手を伸ばし、カーナビの画面を指でなぞる。
 地図がスライドされ動く。
 
「この道を真っ直ぐ行けば――」

 一郎の指し示す街道は、ホームセンターから北に離れた国道だった。

「どこまで真っ直ぐ?」

「……」

 有紀の問いに、一郎は黙って指をスライドさせた。

「多分、この道を行けば、避難エリアに突き当たるはずです。ボクはそう聞いています」

「どうにも漠然としているわ」

 視線を画面に向けたまま思考する。
 どうすべきか?
 
「どのくらい先にあるの?」

「そんなに遠くないと思います」

「うーん」

「車でこのあたりまで、行って何もなければ戻ってくるのは?」

「川を超えるのね」

 一郎が指し示したのは、一級河川の向こう側だった。
 このホームセンターからその橋を渡るところまで……
 凡そ二〇キロくらいだった。
 その程度であれば、何もなければ戻ってこれる。

 ――一郎を納得させるために、行くのもありか。
 
 視線を画面上の地図に固定させながら、有紀は考えた。

「行きましょう。動いて何も無ければ戻ってきてもいいです」

「そうね……」

 逡巡を感じさせる声音ながら、有紀は頭の中では燃費とガソリンの計算をしていた。
 
「行ける所までなら」

 丸めた指先を唇に当てながら、そう言った。
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