アラクネマスター ~地球丸ごと異世界転移したので、サバイバルする羽目になりました~

サムライ熊の雨@☂

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一章

15.マスター・イクト

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 空の高い所でいくつもの筋状の雲が伸びている。
 巻雲とかいったか。
 今日もしっかり太陽が出ている良い天気だ。いや、あれは太陽じゃない、別の恒星なのだろう。きっと。
 たとえここが異世界でも、目覚めたら一面の青い空、というのもなかなか貴重な体験である。
 それよりも起きたら蜘蛛の背中の上、という事の方が滅多にかかれない事なのだが。

「お早うございます、マスター」
「お早う、ルージュ。お休み」
「またそうやって……。今は卵のうから出たばかりだから温かいかもしれませんが、すぐに冷えて風邪を引いてしまいますよ」
「へいへい、起きますよ」

 どうやらここは屋上らしい。
 屋上はちょっとした庭園になっていて、芝生が生えている。
 ルージュはその芝生の上で体を休ませていた。そしてその上に俺がいるというわけだ。

 それにしても、今は何時なのだろう。
 太陽、ではないが、面倒なので太陽の位置からすると、日の出から三時間ぐらいは経っていそうだ。
 おそらくは七時から八時ぐらいの間だろう。尤も、俺の常識が通用すればの話ではあるが。

「お前、陽の光が苦手なんじゃなかったのか?」
「うーん、どうやら順応してきたようですね。確かに下半身は以前の私に近いですが、上半身は人に近いですし」

 蜘蛛に近く、人に近い何か。それはきっとアラクネという存在なのだろう。
 もちろん、アラクネが何なのかは皆目見当がつかない。
 俺にわかるのは、ルージュには俺の持つ常識は通用しなさそうということだけだ。

「で、こんな時間に俺を起こして、何か用でもあるのか? できれば昼過ぎくらいまで寝ていたいんだが」
「昼過ぎって……どれだけ眠るつもりですか? 昨日寝たのも結構早かったと思いますよ」

 違う、これは作戦だ。
 なるべく寝て体力を消耗しないようにし、食べる量を減らすのである。
 そうしたら少なくとも朝飯は食わなくていいし、食う物に暫くは困らなくなるはずだ。多分。
 と、説明するのは諦め、俺は起き上がり、目の前に畳んで置いてあった服を着た。

 半分寝惚けていたため気付かなかったが、これは昨日俺が着ていた服じゃない。春川さんに貸していた俺のジャージだ。何でこんなものが用意されているのだろうか?
 用意されているのはそれだけではなく、木刀と竹刀まで置いてあった。
 だんだんルージュの考えていることが読めてくる。

「えーっと、俺に稽古をつけろってことか?」
「はい、マスター。私に剣の振り方をご指導ください」

 面倒臭いなぁ。
 何とか逃げられないだろうか。
 そこで俺は、気になっていることを思い出した。
 ルージュの剣の稽古などより、よっぽど大切なことだ。

「そんなことより、レンの父親は帰ってきたのか?」
「まだのようですね」

 まぁ、そうだろうとは思っていた。
 それでもこの先のことを考えると気が重くなる。

「で、レンの様子は?」
「落ち着いておりますね。まだ幼いのに、大したものです」
「そっか、春川さんが慰めてくれたのかな」
「奈穂殿はまだ寝ていますよ」
「……」

 うん、仕方ない。そっとしておいてあげよう。

「そうだ、マスター。レンも誘ってみます。強くなりたいと言っていたので、きっと喜ぶでしょう」

 失敗した。
 ルージュだけならともかく、レンも加わってしまえば、絶対に逃げられなくなってしまう。
 何とか止めようと試みるも、ルージュは高速で屋上から降りて行ってしまい、声を掛けることすら敵わなかった。
 そしてまたすぐに屋上に現れる。レンを小脇に挟んで。

「お前、もっと運び方ってもんがあるだろ」
「ん? そうですか?」
「こ、こわかったよ」

 だがレンが怖がっていたのは一瞬のことで、その目はやる気に満ち溢れている。
 やる気、というか殺る気……。
 面倒だからと言って逃げられるような雰囲気ではなかった。

「ふっ……俺の修行は厳しいぞ?」
「はい、マスター。いえ、マスターイクト」
「マスターイクト」

 俺は銀河系の自由と正義の守護者ではないのだが。
 ともあれ、俺は二人に剣の振り方を教えることにした。
 俺が木刀を握り、二人には丁度二本あった竹刀を渡す。
 まずは持ち方から教え、姿勢とか、すり足とか、基本的なことを教えていくのだが、なんというか、あまり記憶に残ってなくて曖昧だ。
 家では普通に木刀を振っていたのだが、当然立ったまま振るうと天井にぶつかるため、蹲踞そんきょという兎跳びみたいな体勢で、腕だけで振っていた。
 そのため、教える俺もぎこちないのだ。
 それでも二人は完全な素人だし、俺でも教えることは出来る。

「これまで覚えたことを全て忘れるのじゃ」
「えっ!? わすれるの?」
「違うのだ、レン。ここは、『はい、マスター』とか、適当に答えておけばよいのだ」
「はい、マスター」

 こんな感じで二人に教えていたのだが、驚いたことがある。
 レンなのだが、普通に考えればこんな小さな子が竹刀なんて振れるはずないのに、彼は特に問題なさそうに振っていた。しかもなかなか疲れない。
 どうやら、やはりステータスでかなり強化されているらしい。
 ルージュに至っては、振り方を覚えると元々センスがあったらしく、竹刀を振るう度にブゥゥゥッン、と尋常じゃない風切音が聞こえる程になってしまった。
 でもそこはルージュだ。気にしないようにしよう。
 そしてどうやら俺もステータスの恩恵を受けているらしく、振るう度にルージュほどではないが凄まじい風切音が聞こえてくるし、キレも良くなっている気がする。

 だが実際の能力がステータスの影響を受けているという事は、いくら鍛えても強くなるということが無いのかもしれない。
 反対に考えると、衰えることもないという事なのかもしれないが、これは一番伸び代の高いレンで確認させてもらうことにしよう。

 俺たちは三人で一時間ぐらい振り続け、それから部屋に戻ることにした。
 あまり長くやり続けていると、俺の体に障る。
 部屋に戻ると、やはりそこには人の気配がなかった。
 俺たちが稽古というか、特訓というか、をしている間にレンの父親が返ってきた気配はなく、そして春川さんが起きた気配もない……。

 春川さんは俺が派遣で働いていた会社で、そのまま正社員になったらしい。
 ということは、俺の仕事も一部、もしくは全部引き継いでいるのだから、大変だったのだろう。
 あの会社のPCはスペックが低くて、その人の能力に関係なく、仕事をこなすのに時間がかかるのだ。
 それを改善するのも仕事の内だとは思うが、まだ正社員一年目の春川さんにそれは無理だろう。金もかかるし。
 要するに、春川さんは相当疲れていたんじゃないかと思うのである。
 うん、暫くそっとしておいてあげよう。

 俺とレンはひとまずシャワーを浴びることにし、その後春川さんを起こして全員で朝食を摂ることにした。
 ルージュも屋上に頭だけ洗いに行った。
 風呂場から出てると春川さんもすでに起きていて、何だかいつもの綺麗でどこか妖艶な雰囲気ではなく、ぼけっとした表情を晒している。尤も、俺が出てくると、すぐにいつもの調子に戻ったが。

 四人揃ったので、昨日大量に作っておいたシチューを温め直して、それを朝食にすることにした。
 あまり放置しておくとジャガイモが悪くなりやすいと聞いたことがあるのだが、まだ夏じゃないしセーフだ。きっと。
 それでもよく温めかき混ぜている間、ルージュが春川さんにサラダの作り方を指導していた。

「奈穂殿、猫の手です」

 大丈夫だろうか?
 でも、春川さんは何でも卒なくこなすタイプの人だ。きっと料理もその内出来るようになるだろう。
 出来ない人は見ればわかる。俺は知っているのだ。料理は、出来るようになっても、出来ない人がいるという事を。

 シチューとサラダの準備が終わり、俺たちは席に着いて朝食を食べ始めた。

「マスター、そういえばさっき頭を洗っていた時、人が出歩いているのを見かけました」
「へぇ、何人ぐらいだ?」
「五人ほどの集団でしたね。全員男性で、年齢は二十代から五十代くらいと、結構バラバラでしたけど」
「何をしていたんでしょうね?」
「どうやらエオンに向かっているようでしたよ」

 エオンというのは、ここのすぐ近くにある大型スーパーなのだが、うーん、それはちょっと困る。
 実は俺も、今日はそこに向かうつもりだったのだ。
 食料の確保もそうだし、ルージュや春川さんの服や下着だって必要である。
 やはり出遅れたのかもしれない。行っても食料がもう残っていないという可能性もありそうだ。

「実は俺もエオンに行こうと思っていたんだが、どうしようか? 行っても食料が無い可能性もあるよな。でもルージュと春川さんの下着とかは必要だろ?」
「そうですね。こういう時は大型スーパーを拠点にするのも一つの手ですね。でも私としては、ホームセンターも捨てがたいのですが」
「何のゾンビ映画だ……。必要そうなものを揃えに行くだけだよ」
「私は是非行きたいです。やっぱり下着の替えが無いのは困りますし」

 さて、問題はここからだ。
 俺は真っ直ぐレンの目を見た。

「レンはどうする? ここに残るか、俺たちと一緒に来るか?」

 俺がレンにした質問に、ルージュと春川さんは息を呑んだのだった。

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