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本編
36.「はふぅ……尻尾が濡れちゃうよぉ……」
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第6小領に集まった兵は約2000弱である。元々人口が少ない辺境の小領なのでこれでも多い方なのだが、栄えている南の小領都に比べるとどうしても見劣りする。
蒼鷲地方随一の港を抑える分家、湾織波家は栄えている小領を傘下に収める一族だ。
彼女達一派の勢いは凄まじく、今やその規模は宗家である蒼織波家を凌ぐ程にまで膨れ上がっている。
正直な話、宗家は劣勢である。それでも嫡流というプライドからか分家如きに負ける訳がないと未だ足掻いている。
そんな宗家と分家の争いなのだが、白狐達が所属するのは宗家・蒼織波家であった。
碧波村がある第6小領が宗家直轄領なのだから仕方が無い。村人達に選択の余地はないのだ。
「ふんふん~♪ふんふんふ~ん」
そして当の白狐はそんな事など気にせず上機嫌に鼻歌を歌いながら行軍していた。
誰と誰が戦っているなんてよく分からないし興味も無いからだ。いや、白狐だけではない。碧波村の皆も、力丸も、他の兵士だってなんの為に戦うのか分かっていないだろう。
唯一村長だけは理解しているのだが分かったところで別にどうにかなる訳ではないので彼女は何も言わない。
「おうおう、これから戦だっつーのにえらく余裕そうじゃねぇか白狐よぉ」
白狐に声を掛けてきたのは力丸であった。だがそう言う力丸も余裕そうである。
彼女の実力を考えればそれも当然であろう。
「だって我々がこれから向かうのは主戦場ではなく、他小領への援軍でござろう?戦闘が発生しても小規模だと聞いてるし、少しくらい気を抜いても罰は当たらぬでござるよ」
白狐達が今いる軍勢は小領都に集まった兵を更に分割した約300程の部隊である。
大多数は南東部にある別の小領に向かい宗家本軍に合流するらしいのだが、白狐達の部隊はそれとは別の方面に向かっていた。
隣の小領が助けを求めて来たので小勢ではあるが援軍に向かう事になったのだ。どうやら敵は間近に迫っているらしい。
「主戦場じゃ合わせて一万を超える人数がぶつかるみたいでござるが……こっちはそんな規模にならんでござろ」
「まぁそれもそうだがな、何にせよ油断してると足元すくわれるぜ?」
力丸はそう言って快活に笑った。流石に戦の経験があるだけあって余裕はあるが油断しきってはいないようだ。
確かに油断はいけない。そう白狐は思った。
現に妖怪と戦った時に危険な目に合ったではないか。あの時の自分も油断していた。その結果があれだ。
「確かにそうでござるな……もう戦地も近いしいつ敵が来てもいいような心構えは必要でござるね」
「まぁ、まだ隣の小領まで距離はあるから少しは力抜いてもいいけどな!ずっと気張ってていざ戦の時に力が出ないんじゃ本末転倒だしよぉ!」
今白狐達がいるのは山の中だ。山を下り、川を渡れば目的の小領に辿り着く。
隣と言っても相当な距離だが、それは仕方のない事だ。
「おや……これは砦でござるか?」
山の中を行軍中、不意に白狐は前方にそれを見つけた。
砦……にしては少々小さいが、一応砦とも言えなくもない物が視界に入る。
「こんなところに砦かぁ?ちと頼りなさそうなもんだな……」
「山の中にある砦ならこれで充分な造りですよ。後ろは崖になっているし、この辺りには湧き水もあるから飲水の心配はいらなそうですしね」
力丸の呟きに村長が答える。一目見ただけでそんな事が分かるとは、彼女は築城や戦術にも詳しいのだろうか?
一体何者なのか……ますます白狐の疑問は深まるばかりであった。
「まぁ今回は俺らは隣の小領都の軍と合流するらしいからこんな山の中では戦わねぇだろうがな」
そんな会話をしながら歩く事数十分。白狐達はようやく山から出る事ができた。
眼前には川が流れており、その先には小領都が広がっている。
「おお、あれが隣の小領都でござるか。思っていたよりも賑やかそうでござるな」
心無しか自分達の小領都よりも大きく見える。それだけ人口が多いのかもしれない。
「あの川を渡ればやっと目的地だべか。ここまで長かった~……」
ようやく見えた目的地に皆も安堵の表情を浮かべる。
だが、そんな中で一人だけ険しい顔をしている者がいた。
「……」
村長であった。彼女は目を細め、川の向こうを見つめていた。
「村長殿、どうかしたでござるか?」
「……いえ、なんでもありません」
白狐が聞くと、村長は一瞬だけ何かを考える素振りを見せたがすぐに首を横に振った。
村長は違和感を覚えていた。川の向こうの小領都……救援を求めていたにしてはあまりにも静かすぎると。
まるで嵐の前の静けさのような……嫌な雰囲気を感じていた。
だが自分は指揮官ではない。進言しようにも確固たる根拠がある訳でもないし一兵卒の言葉など聞き入れられる訳がない。
「よーし、川を渡るぞ!各々荷物や武器が濡れぬよう注意しろ!」
指揮官の武士が大声で叫ぶ。戦において渡河というのは非常に重要で、渡河中に攻撃を受ける事も多い。
大規模な軍にもなれば橋を掛けたりもするがこのような小規模の軍勢ではそれも出来ない。
幸いにも腰まで浸かる程度なので、溺れる心配はないがそれでも行動は著しく制限されてしまう。
故に川を渡る際は斥候を放ち敵がいないのを確認して渡るのが定石なのだがそれをしない指揮官に村長は不安を募らせていた。
「(何故偵察を出さない……今攻撃を受けたらひとたまりも無い)」
そもそもの話救援を求めていた小領都の情報だって入っていないのだ。もしかしたら既に……いや、もう考えるのはよそう。
村長はぶんぶんと頭から悪い予感を払い除け、とにかく今は任務を全うする事にした。
「はふぅ……尻尾が濡れちゃうよぉ……」
成人の女性ならば難なく歩ける川であるが、身長の低い白狐にとっては泳がなくてはならない程の深さがあった。
泳ぐのは得意なので溺れはしないが自慢の尻尾が濡れてしまって彼は少し不機嫌だった。
「大丈夫ですか?白狐くん」
「うん……だけどこれなら川を凍らせて渡れば良かったなぁ」
語尾のござる、を付け忘れる程に白狐は尻尾を気にしていた。だが、村長は彼の呟きにピクリと反応する。
「川を……?白狐くん、川を凍らせる事が出来るんですか?」
「え?うん、出来るよ。妖力をあんまり無駄にしたくないからやらなかったけど」
それを聞いて村長は考え込む。もし、白狐の能力があれば……。万が一、最悪の状況に陥った時でもなんとかなるかもしれない。
最悪の状況……それは川を渡る時に攻撃を受ける事ではない。もっと致命的なものだ。
だが、川を凍らせる事が出来ればそれも……
「白狐くん、お願いがあるのですが……」
「え?」
―――――――――
「全員渡りきったな!これより小領都に向かうぞ!」
無事に川を渡り終え、白狐達一行は小領都へと歩みを進める。
自分達の小領都は見渡しのいい草原が広がっていたが、この小領は林や丘が至るところに広がっており、視界が悪い。
「こりゃあ奇襲にはもってこいの場所だなぁ」
「……そうですね」
力丸がポツリと呟く。村長は彼女の言葉に頷いた。
確かにその通りだ。もしも自分が敵将の立場で、しかも大軍を率いる立場であればまずこの地形を利用するだろう。
「……気をつけて進みましょう」
村長はそう言って皆に注意を促す。
「おうよ、分かってらぁ」
力丸は村長の忠告にそう返す。村人達も無言で首肯し、小領都へと向かった。
だが、白狐は気づいていた。
「……」
先程から、誰かに見られていると。
「(これは……)」
常人には気付かぬであろう微弱な殺気が辺りを漂っている。これに気付いているのは自分だけなのだろうか。
行軍している兵士達は何も気付いていない。指揮官の武士も同様だ。皆、ただ暢気に小領都目指して歩いているだけだ。
これはいよいよ村長が懸念していた通りの展開になっているのかもしれない。焦った白狐は村長にその事を伝えようと彼女に近付く。
「村長さん、これ不味いかも―――」
白狐がそう言ったのと同時であった。
ヒュン、と風切り音が聞こえたかと思うと、次の瞬間。
「なっ……がっ……カヒュ…」
指揮官の武士の首に矢が突き刺さった。
彼女は目を見開き、驚愕の表情を浮かべながらゆっくりと地面に倒れ伏す。
「え……?」
何が起きたのか分からず、周りの兵は呆然と立ち尽くす。
「な、何だ!?」
「敵襲か!?」
兵士の一人が叫び、他の者達もそれに呼応するように声を上げる。
指揮官を射抜いた研ぎ澄まされた弓矢。そこから導き出される答えは一つ。
「敵だ!敵がすぐ近くにいるぞ!!」
誰かがそう叫んだ。それと同時に木々の間、丘の向こうから次々と兵士が姿を現す。
「お、おい……あれ……」
「敵が……こんな数……」
敵の数はざっと見てこちらの総数より遥かに多い。それだけでも絶望的な状況だが、こちらは更に指揮官まで失っているのだ。
混乱と恐怖が伝播していき、兵士達はたちまち恐慌状態に陥るのも無理はなかった。
「に、逃げろ!」
「逃げろっつっても後ろには川があんだぞ!逃げれる訳ないだろ!」
最悪の状況。それは川を渡りきった後に敵に攻撃される事だ。撤退しようにも攻撃されながらの渡河など不可能であり、敵地奥深くまで進んだ兵士達は全滅か降伏かの二択しかなくなるのだ。
右往左往する自軍の兵士。だがそんな事はお構いなしに敵の伏兵は弓矢を放とうとしている。
「ひぃ……!」
怯えた兵が悲鳴を上げ、同時に複数の弓弦が弾かれる音。
無数の矢が雨のように降り注ぐ。その最中にいた兵士達はその瞬間、死を覚悟した。
スローモーションになる視界。まるで世界が止まったかのように感じる時間の中で、彼女達は見た。
「はぁーっ!!!!」
一人の鎧武者が地を蹴り、空中に躍り出る姿を。
村長である。
彼女はその手に持っていた長槍を縦横無尽に振り回し、迫る矢を叩き落とした。
人間業とは思えない程の早技。それをやってのけた村長は着地と同時にぐるぐると槍を回すと力を込めて槍を横に薙いだ。
ブォンと轟音が鳴り響き強烈な風圧が吹き荒れる。降り注いできた矢は全て弾き飛ばされ地面に落ちた。
味方も、敵も彼女の超人じみた動きに唖然とし、その場に立ち尽くしてしまう。
そんな中、村長は叫ぶように言った。
「皆の者、落ち着け!!!全速で後退せよ!!ここは私が殿を務める!!」
村長の声にハッと我に返る兵士達。猛々しい武者の声を聞いた彼らは慌てて走り出す。
彼女の指示に従えばなんとかなる―――何故かそんな思いが兵士達の頭を支配していたからだ。
「白狐くん!!」
村長が叫ぶ。白狐と村長は目を合わせこくりと頷いた。
―――先程の打ち合わせ通りに。
心の中で互いにそう呟き、白狐は逃げる集団を先導するように走る。
「みんな、こっちだよ!」
「で、でもそっちは川があって……」
「大丈夫!なんとかするから!」
白狐に付いていくように撤退を開始する集団。それを尻目に十人程の兵は村長に寄り添うようにその場に残っていた。
碧波村の村人と、力丸である。
「皆さんも早く撤退を……!」
「オ、オラ達も村長さんと一緒に戦うべ……!」
「おうともよ!ここでアンタを見捨てたら女が廃るってもんだ!」
「皆さん……」
村人と力丸は村長の背中を守るように陣形を組む。その光景を見て村長の胸中は熱く燃えていた。
皆は私の命に代えても守り抜く……!絶対に生きて帰るんだ……! そう心に誓い、彼女は迫り来る敵に向き直った。
「皆さん!敵の攻撃を防ぎながら徐々に後退して下さい!包囲されないように注意して!」
村長の指示に従い、村人達と力丸が攻撃を防ぐ盾となる。
村長は槍を振り回しながら敵を牽制し、その隙を縫って村人達や力丸は敵の兵を斬り伏せていった。
「さぁ、次は誰だ!三途の川を渡らせてやるぞ!」
「く、くそ……!怯むな!相手は少数だぞ!一斉に掛かれぇ!!」
敵指揮官の掛け声と共に無数の兵達が村長達に襲いかかった。
だが、それでも村長達の反撃の手は緩まない。
「はぁぁぁぁぁぁ!!!」
裂帛の気合が込められた雄叫びが戦場に木霊する。村長の長槍がしなり、周囲の兵を次々に吹き飛ばしていく。
「くそっ、こんなところに英傑がいるなんて聞いてないぞ……。しかもあの強さ……純血の英傑ではないか!」
敵方の指揮官が悔しげに顔を歪める。彼女の言う通り、村長の実力は只者ではなかった。
槍術・体術のどちらも超一流であり、その戦闘能力は並の武士の比ではない。それは間違いなく英傑と呼ばれる無双の人種であった。
「くそ、急いで信葉様にお伝えしろ!瀬良様にもだ!」
「はっ!」
指揮官の女は部下にそう伝えた。
英傑に対抗出来るのは英傑のみ―――だが、この場にその英傑はいない。
御屋形様の策通りに敵を引き込めたというのに、このままでは意味がない。
無論英傑とて無敵ではないのでいずれは討てるだろうがその間に何百人犠牲になるか分からない。こんな前哨戦で兵を無駄にする訳にはいかないのだ。
歯噛みしながら女は村長達を睨みつけるしかなかった。
蒼鷲地方随一の港を抑える分家、湾織波家は栄えている小領を傘下に収める一族だ。
彼女達一派の勢いは凄まじく、今やその規模は宗家である蒼織波家を凌ぐ程にまで膨れ上がっている。
正直な話、宗家は劣勢である。それでも嫡流というプライドからか分家如きに負ける訳がないと未だ足掻いている。
そんな宗家と分家の争いなのだが、白狐達が所属するのは宗家・蒼織波家であった。
碧波村がある第6小領が宗家直轄領なのだから仕方が無い。村人達に選択の余地はないのだ。
「ふんふん~♪ふんふんふ~ん」
そして当の白狐はそんな事など気にせず上機嫌に鼻歌を歌いながら行軍していた。
誰と誰が戦っているなんてよく分からないし興味も無いからだ。いや、白狐だけではない。碧波村の皆も、力丸も、他の兵士だってなんの為に戦うのか分かっていないだろう。
唯一村長だけは理解しているのだが分かったところで別にどうにかなる訳ではないので彼女は何も言わない。
「おうおう、これから戦だっつーのにえらく余裕そうじゃねぇか白狐よぉ」
白狐に声を掛けてきたのは力丸であった。だがそう言う力丸も余裕そうである。
彼女の実力を考えればそれも当然であろう。
「だって我々がこれから向かうのは主戦場ではなく、他小領への援軍でござろう?戦闘が発生しても小規模だと聞いてるし、少しくらい気を抜いても罰は当たらぬでござるよ」
白狐達が今いる軍勢は小領都に集まった兵を更に分割した約300程の部隊である。
大多数は南東部にある別の小領に向かい宗家本軍に合流するらしいのだが、白狐達の部隊はそれとは別の方面に向かっていた。
隣の小領が助けを求めて来たので小勢ではあるが援軍に向かう事になったのだ。どうやら敵は間近に迫っているらしい。
「主戦場じゃ合わせて一万を超える人数がぶつかるみたいでござるが……こっちはそんな規模にならんでござろ」
「まぁそれもそうだがな、何にせよ油断してると足元すくわれるぜ?」
力丸はそう言って快活に笑った。流石に戦の経験があるだけあって余裕はあるが油断しきってはいないようだ。
確かに油断はいけない。そう白狐は思った。
現に妖怪と戦った時に危険な目に合ったではないか。あの時の自分も油断していた。その結果があれだ。
「確かにそうでござるな……もう戦地も近いしいつ敵が来てもいいような心構えは必要でござるね」
「まぁ、まだ隣の小領まで距離はあるから少しは力抜いてもいいけどな!ずっと気張ってていざ戦の時に力が出ないんじゃ本末転倒だしよぉ!」
今白狐達がいるのは山の中だ。山を下り、川を渡れば目的の小領に辿り着く。
隣と言っても相当な距離だが、それは仕方のない事だ。
「おや……これは砦でござるか?」
山の中を行軍中、不意に白狐は前方にそれを見つけた。
砦……にしては少々小さいが、一応砦とも言えなくもない物が視界に入る。
「こんなところに砦かぁ?ちと頼りなさそうなもんだな……」
「山の中にある砦ならこれで充分な造りですよ。後ろは崖になっているし、この辺りには湧き水もあるから飲水の心配はいらなそうですしね」
力丸の呟きに村長が答える。一目見ただけでそんな事が分かるとは、彼女は築城や戦術にも詳しいのだろうか?
一体何者なのか……ますます白狐の疑問は深まるばかりであった。
「まぁ今回は俺らは隣の小領都の軍と合流するらしいからこんな山の中では戦わねぇだろうがな」
そんな会話をしながら歩く事数十分。白狐達はようやく山から出る事ができた。
眼前には川が流れており、その先には小領都が広がっている。
「おお、あれが隣の小領都でござるか。思っていたよりも賑やかそうでござるな」
心無しか自分達の小領都よりも大きく見える。それだけ人口が多いのかもしれない。
「あの川を渡ればやっと目的地だべか。ここまで長かった~……」
ようやく見えた目的地に皆も安堵の表情を浮かべる。
だが、そんな中で一人だけ険しい顔をしている者がいた。
「……」
村長であった。彼女は目を細め、川の向こうを見つめていた。
「村長殿、どうかしたでござるか?」
「……いえ、なんでもありません」
白狐が聞くと、村長は一瞬だけ何かを考える素振りを見せたがすぐに首を横に振った。
村長は違和感を覚えていた。川の向こうの小領都……救援を求めていたにしてはあまりにも静かすぎると。
まるで嵐の前の静けさのような……嫌な雰囲気を感じていた。
だが自分は指揮官ではない。進言しようにも確固たる根拠がある訳でもないし一兵卒の言葉など聞き入れられる訳がない。
「よーし、川を渡るぞ!各々荷物や武器が濡れぬよう注意しろ!」
指揮官の武士が大声で叫ぶ。戦において渡河というのは非常に重要で、渡河中に攻撃を受ける事も多い。
大規模な軍にもなれば橋を掛けたりもするがこのような小規模の軍勢ではそれも出来ない。
幸いにも腰まで浸かる程度なので、溺れる心配はないがそれでも行動は著しく制限されてしまう。
故に川を渡る際は斥候を放ち敵がいないのを確認して渡るのが定石なのだがそれをしない指揮官に村長は不安を募らせていた。
「(何故偵察を出さない……今攻撃を受けたらひとたまりも無い)」
そもそもの話救援を求めていた小領都の情報だって入っていないのだ。もしかしたら既に……いや、もう考えるのはよそう。
村長はぶんぶんと頭から悪い予感を払い除け、とにかく今は任務を全うする事にした。
「はふぅ……尻尾が濡れちゃうよぉ……」
成人の女性ならば難なく歩ける川であるが、身長の低い白狐にとっては泳がなくてはならない程の深さがあった。
泳ぐのは得意なので溺れはしないが自慢の尻尾が濡れてしまって彼は少し不機嫌だった。
「大丈夫ですか?白狐くん」
「うん……だけどこれなら川を凍らせて渡れば良かったなぁ」
語尾のござる、を付け忘れる程に白狐は尻尾を気にしていた。だが、村長は彼の呟きにピクリと反応する。
「川を……?白狐くん、川を凍らせる事が出来るんですか?」
「え?うん、出来るよ。妖力をあんまり無駄にしたくないからやらなかったけど」
それを聞いて村長は考え込む。もし、白狐の能力があれば……。万が一、最悪の状況に陥った時でもなんとかなるかもしれない。
最悪の状況……それは川を渡る時に攻撃を受ける事ではない。もっと致命的なものだ。
だが、川を凍らせる事が出来ればそれも……
「白狐くん、お願いがあるのですが……」
「え?」
―――――――――
「全員渡りきったな!これより小領都に向かうぞ!」
無事に川を渡り終え、白狐達一行は小領都へと歩みを進める。
自分達の小領都は見渡しのいい草原が広がっていたが、この小領は林や丘が至るところに広がっており、視界が悪い。
「こりゃあ奇襲にはもってこいの場所だなぁ」
「……そうですね」
力丸がポツリと呟く。村長は彼女の言葉に頷いた。
確かにその通りだ。もしも自分が敵将の立場で、しかも大軍を率いる立場であればまずこの地形を利用するだろう。
「……気をつけて進みましょう」
村長はそう言って皆に注意を促す。
「おうよ、分かってらぁ」
力丸は村長の忠告にそう返す。村人達も無言で首肯し、小領都へと向かった。
だが、白狐は気づいていた。
「……」
先程から、誰かに見られていると。
「(これは……)」
常人には気付かぬであろう微弱な殺気が辺りを漂っている。これに気付いているのは自分だけなのだろうか。
行軍している兵士達は何も気付いていない。指揮官の武士も同様だ。皆、ただ暢気に小領都目指して歩いているだけだ。
これはいよいよ村長が懸念していた通りの展開になっているのかもしれない。焦った白狐は村長にその事を伝えようと彼女に近付く。
「村長さん、これ不味いかも―――」
白狐がそう言ったのと同時であった。
ヒュン、と風切り音が聞こえたかと思うと、次の瞬間。
「なっ……がっ……カヒュ…」
指揮官の武士の首に矢が突き刺さった。
彼女は目を見開き、驚愕の表情を浮かべながらゆっくりと地面に倒れ伏す。
「え……?」
何が起きたのか分からず、周りの兵は呆然と立ち尽くす。
「な、何だ!?」
「敵襲か!?」
兵士の一人が叫び、他の者達もそれに呼応するように声を上げる。
指揮官を射抜いた研ぎ澄まされた弓矢。そこから導き出される答えは一つ。
「敵だ!敵がすぐ近くにいるぞ!!」
誰かがそう叫んだ。それと同時に木々の間、丘の向こうから次々と兵士が姿を現す。
「お、おい……あれ……」
「敵が……こんな数……」
敵の数はざっと見てこちらの総数より遥かに多い。それだけでも絶望的な状況だが、こちらは更に指揮官まで失っているのだ。
混乱と恐怖が伝播していき、兵士達はたちまち恐慌状態に陥るのも無理はなかった。
「に、逃げろ!」
「逃げろっつっても後ろには川があんだぞ!逃げれる訳ないだろ!」
最悪の状況。それは川を渡りきった後に敵に攻撃される事だ。撤退しようにも攻撃されながらの渡河など不可能であり、敵地奥深くまで進んだ兵士達は全滅か降伏かの二択しかなくなるのだ。
右往左往する自軍の兵士。だがそんな事はお構いなしに敵の伏兵は弓矢を放とうとしている。
「ひぃ……!」
怯えた兵が悲鳴を上げ、同時に複数の弓弦が弾かれる音。
無数の矢が雨のように降り注ぐ。その最中にいた兵士達はその瞬間、死を覚悟した。
スローモーションになる視界。まるで世界が止まったかのように感じる時間の中で、彼女達は見た。
「はぁーっ!!!!」
一人の鎧武者が地を蹴り、空中に躍り出る姿を。
村長である。
彼女はその手に持っていた長槍を縦横無尽に振り回し、迫る矢を叩き落とした。
人間業とは思えない程の早技。それをやってのけた村長は着地と同時にぐるぐると槍を回すと力を込めて槍を横に薙いだ。
ブォンと轟音が鳴り響き強烈な風圧が吹き荒れる。降り注いできた矢は全て弾き飛ばされ地面に落ちた。
味方も、敵も彼女の超人じみた動きに唖然とし、その場に立ち尽くしてしまう。
そんな中、村長は叫ぶように言った。
「皆の者、落ち着け!!!全速で後退せよ!!ここは私が殿を務める!!」
村長の声にハッと我に返る兵士達。猛々しい武者の声を聞いた彼らは慌てて走り出す。
彼女の指示に従えばなんとかなる―――何故かそんな思いが兵士達の頭を支配していたからだ。
「白狐くん!!」
村長が叫ぶ。白狐と村長は目を合わせこくりと頷いた。
―――先程の打ち合わせ通りに。
心の中で互いにそう呟き、白狐は逃げる集団を先導するように走る。
「みんな、こっちだよ!」
「で、でもそっちは川があって……」
「大丈夫!なんとかするから!」
白狐に付いていくように撤退を開始する集団。それを尻目に十人程の兵は村長に寄り添うようにその場に残っていた。
碧波村の村人と、力丸である。
「皆さんも早く撤退を……!」
「オ、オラ達も村長さんと一緒に戦うべ……!」
「おうともよ!ここでアンタを見捨てたら女が廃るってもんだ!」
「皆さん……」
村人と力丸は村長の背中を守るように陣形を組む。その光景を見て村長の胸中は熱く燃えていた。
皆は私の命に代えても守り抜く……!絶対に生きて帰るんだ……! そう心に誓い、彼女は迫り来る敵に向き直った。
「皆さん!敵の攻撃を防ぎながら徐々に後退して下さい!包囲されないように注意して!」
村長の指示に従い、村人達と力丸が攻撃を防ぐ盾となる。
村長は槍を振り回しながら敵を牽制し、その隙を縫って村人達や力丸は敵の兵を斬り伏せていった。
「さぁ、次は誰だ!三途の川を渡らせてやるぞ!」
「く、くそ……!怯むな!相手は少数だぞ!一斉に掛かれぇ!!」
敵指揮官の掛け声と共に無数の兵達が村長達に襲いかかった。
だが、それでも村長達の反撃の手は緩まない。
「はぁぁぁぁぁぁ!!!」
裂帛の気合が込められた雄叫びが戦場に木霊する。村長の長槍がしなり、周囲の兵を次々に吹き飛ばしていく。
「くそっ、こんなところに英傑がいるなんて聞いてないぞ……。しかもあの強さ……純血の英傑ではないか!」
敵方の指揮官が悔しげに顔を歪める。彼女の言う通り、村長の実力は只者ではなかった。
槍術・体術のどちらも超一流であり、その戦闘能力は並の武士の比ではない。それは間違いなく英傑と呼ばれる無双の人種であった。
「くそ、急いで信葉様にお伝えしろ!瀬良様にもだ!」
「はっ!」
指揮官の女は部下にそう伝えた。
英傑に対抗出来るのは英傑のみ―――だが、この場にその英傑はいない。
御屋形様の策通りに敵を引き込めたというのに、このままでは意味がない。
無論英傑とて無敵ではないのでいずれは討てるだろうがその間に何百人犠牲になるか分からない。こんな前哨戦で兵を無駄にする訳にはいかないのだ。
歯噛みしながら女は村長達を睨みつけるしかなかった。
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危険を感じた阿宮は自転車を押して帰ることにした。そして徒歩で歩き、喉も乾いてきた時、運良く喫茶店の看板を発見する。
彼は霧が晴れるまでそこで休憩しようと思い、扉を開く。そこには女性の店員が一人居るだけだった。
初めは男装だと考えていた女性の店員、阿宮と会話していくうちに彼が男性だということに気がついた。そして同時に阿宮も世界の常識がおかしいことに気がつく。
そして話していくうちに貞操逆転世界へ転移してしまったことを知る。
警察へ連れて行かれ、戸籍がないことも発覚し、家もない状況。先が不安ではあるが、戻れないだろうと考え新たな世界で生きていくことを決意した。
これはひょんなことから貞操逆転世界に転移してしまった阿宮が高身長女子と関わり、関係を深めながら貞操逆転世界を謳歌する話。
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といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。
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