正義の味方にストーカーされてます。【裏・没ネタ集】

ゆず

文字の大きさ
9 / 23
裏・没ネタ

風邪にご用心3

――空気が、凍った。

「……は?」

黄瀬の口から、思わず間の抜けた声が漏れた。
隣を見ると、桃崎もまた、ぴしっと固まったまま瞬きすら忘れている。

「ボ、ボス……?」

「うん」

トオルは、笑顔のまま穏やかに頷いた。
その態度が、かえって現実感を奪う。――一体、自分はいま誰と話しているのだろう。そう思ってしまうほど、いつものトオルとは別人だった。

胸のざわつきを必死に押し込みながら、黄瀬は念のため、もう一度だけ確認する。

「ボスって……あの、ディヴァイアンの……?」

「そうそう」

軽い肯定。
深く考えていない、あまりにも気の抜けた声。

「慌てた様子で、すぐ行くって言ってたけど……どうしたんだろうな?」

――どうしたんだろうな、じゃねぇよ。

黄瀬は喉元まで込み上げたツッコミを、必死に飲み込んだ。
いつもの、つんけんしていて必要最低限しか喋らないトオルから、愛想良く電話越しで話されたら――心配して駆けつけてくるに決まっている。

黄瀬は、ゆっくりと天を仰いだ。
夜空はやけに澄んでいて、重たいのは現実だけだった。

「あ、その…トオルくん、今日はなんか……いつもと雰囲気が違うくない?なんて言うか、すっごく可愛い感じっていうか…」

桃崎が半ばテンパったように声を上げる。

「俺?そうかな」

トオルはきょとんと首を傾げてから、さらりと言った。

「でも俺は男だし。桃崎さんは、可愛いと思うけど」

爽やかな笑顔で、さらっと言われた言葉は普段のトオルなら言わない一言。桃崎はしばらく固まったまま、それから小さく呟いた。

「……推しが、尊い……」

そう呟きながら、桃崎もまた、ゆっくりと天を仰いだ。

「二人とも、外は寒いだろ。中に戻ろうか」

にっこりと笑ってそう言われてしまえば、抗えるはずもない。

「……はい」

「はい……」

二人はほとんど同時に小さく返事をし、そのまま素直に店内へと戻った。

席に着く頃には、言葉もすっかり失われていた。
仕事へ戻っていくトオルの背中を横目に、二人はただ、黙ってグラスを見つめるしかなかった。

この異様な状況で、もし緑谷が来たら――一体どうなってしまうのか。

(……いや、来るよな。あいつ)

黄瀬が内心でそう呟く一方で、桃崎はというと、まるで逆だった。
この状況そのものが楽しくて仕方ないらしく、目をキラキラさせながら、カウンター越しにトオルを観察していた。

……しばらくして。

「ねぇ」

不意に、カウンターの方からかけられた声に、黄瀬ははっと顔を上げた。

若い男が二人。
どちらも酒は入っているが、酔い潰れているほどではない。軽い笑顔を浮かべたまま、カウンター越しにトオルへ声をかけていた。

「さっきから忙しそうだね」

「終わりって、何時頃?」

トオルはグラスを置き、自然な動作で顔を上げる。

「今日は忙しいので……どうでしょう」

にこりと愛想よく笑ってそれだけ告げると、トオルは再び手を動かした。
――本人は断っているつもりなのだろうが、その態度がかえって相手を安心させてしまう。

「じゃあさ」

もう一人が、少し身を乗り出す。

「近くで飲み直す予定なんだけど。終わったら一緒にどう? 俺ら、終わるまで待ってるし」

「それは申し訳ないので、待たなくて大丈夫ですよ」

柔らかな笑顔のまま返される。

「全然!俺らが待ってたいだけだしさ。な?いいだろ?」

押しの強さにも、トオルの表情は変わらない。困っているのか、それとも本当に気にしていないのか――感情の起伏が読めず、黄瀬は一瞬、割って入るべきか迷った。

だが、その必要はなかった。

「トオルさん」

低く、落ち着いた声。

男たちの背後に、静かに立っていたのは緑谷だった。
いつからそこにいたのかは分からない。だが、その場の空気を変えるには、十分すぎる存在感だった。

男たちはその気配に気づいた瞬間、びくりと肩を震わせた。
向けられた鋭い視線に、言葉を失い、視線を泳がせ――次の瞬間には、そそくさとその場を離れていく。

(……追っ払ったな、視線だけで)

黄瀬は心の中で呟く。

(確かに、あいつ……トオルさんのことになると、目で人を殺せそうだしな)

ようやく来たかという安堵と、そして――トオルが緑谷にどう反応するのか。
黄瀬は息を潜め、その様子をじっと見守った。

「……また来たのかよ」

あれ?と黄瀬、桃崎はすぐさま違和感を抱く。

さっきまでの柔らかさは消え、口角が上がらない、無表情で落ち着いた――いつものトオルそのものだった。

「ええ。もちろんですよ。トオルさんの事が心配なので」

「心配されるようなことはねぇよ…」

「そうですか?先ほどナンパされてたようですし、それに…無理、してますよね?トオルさん」

緑谷はそう言いながら、ふいにトオルの手首を掴んだ。
突然のことに、トオルはわずかに目を見開く。

「……してねぇよ」

短くそう告げると、トオルは迷いなくその手を振り払った。

「あいにく、今日は満席だぞ。飲んでいくなら、黄瀬たちの席に座れよ」

それだけ言い残し、トオルは何事もなかったかのように仕事へ戻っていく。

緑谷はその背中をしばらく見つめ、静かに一息ついた。
それから店内を見回し、黄瀬たちの姿を見つける。

緑谷の視線は自然と、何度もカウンターへと戻ってしまう。トオルの様子が気になるのを隠しきれないまま、緑谷はゆっくりと黄瀬たちの席へ向かった。

席に着いた緑谷へ、真っ先に声をかけたのは桃崎だった。

「ちょっと……トオルくん、めっちゃ普通じゃない?!他の人にはあんなニッコニコなのに、緑谷くんにだけ、完全に通常運転だったよね!?」

「ええ、そうですね」

緑谷はそう答え、わずかに口元を緩めた。それは隠す気もない――優越感を帯びた笑みだった。

「……お前、なんでちょっと嬉しそうなんだよ」

思わず黄瀬が突っ込むと、緑谷は一瞬だけ視線をカウンターの方へ向ける。
仕事に戻ったトオルの背中を、ほんの一瞬。

「だって」

それから、静かに言った。

「私にだけ、気を許していると思うと……愛しくて仕方ありませんから」

黄瀬は、言葉を失った。

(……こいつ、強すぎるだろ)

「え、待って……なんでそう思うの?気を許してるってどういうこと?」

桃崎の声に、緑谷は答えない。
にこりと微笑んだまま、視線はすでにカウンターの方――トオルの背中に向けられていた。
こちらの反応など、完全に眼中にない。

だが、理由が気になって仕方ない桃崎は引き下がらない。

「ねぇ、黙らないで教えてよー!」

そう言って、桃崎はぐいっと緑谷の袖を掴み、軽く揺する。緑谷は一瞬だけ面倒そうな視線を向け、それから小さくため息をついた。

「……気を張っているトオルさんが、私にだけ気を許しているからですよ」

「……気を、張ってる?」

「ええ」

緑谷は淡々と続ける。

「手首の温度からして……38.7度、といったところでしょうか」

さらりと言い切ってから、どこか考え込むように視線を伏せる。

「このあと、どう連れ帰るか考えています。ですから、お二人は大人しくしていてください」

「……38度……ってまさか?」

黄瀬が思わず復唱すると、桃崎が目を見開いた。

「え、あ……まさか。トオルさん、熱あるの!?」

あの不自然なほどの笑顔の正体が、まさか熱のせいだったとは。二人は驚きつつも、同時に――すとんと腑に落ちたのだった。

「…っていうか緑谷くん、手首掴んだだけで体温わかるの?ちょっと黄瀬の体温測ってみてよ」

「わかるわけないでしょう?気持ち悪い事言わないでください」

「俺は無理でトオルさんは即判定って、それはそれで十分気持ち悪くない?!」
感想 12

あなたにおすすめの小説

また恋人に振られたので酒に飲まれていたらゴツい騎士に求婚していた件

月衣
BL
また恋人に振られた魔導省のエリート官吏アルヴィス。失恋のショックで酒に溺れた彼は勢いのまま酒場に現れた屈強な王宮騎士ガラティスに求婚してしまう。 翌朝すべての記憶を保持したまま絶望するアルヴィスだったが当のガラティスはなぜか本気だった。 「安心しろ。俺は誠実な男だ。一度決めたことは覆さない」 逃げようとするエリート魔導師と絶対に逃がさない最強騎士 貢ぎ体質な男が捕まる強制恋愛コメディのつもりです!!

総長の彼氏が俺にだけ優しい

桜子あんこ
BL
ビビりな俺が付き合っている彼氏は、 関東で最強の暴走族の総長。 みんなからは恐れられ冷酷で悪魔と噂されるそんな俺の彼氏は何故か俺にだけ甘々で優しい。 そんな日常を描いた話である。

息の合うゲーム友達とリア凸した結果プロポーズされました。

ふわりんしず。
BL
“じゃあ会ってみる?今度の日曜日” ゲーム内で1番気の合う相棒に突然誘われた。リアルで会ったことはなく、 ただゲーム中にボイスを付けて遊ぶ仲だった 一瞬の葛藤とほんの少しのワクワク。 結局俺が選んだのは、 “いいね!あそぼーよ”   もし人生の分岐点があるのなら、きっとこと時だったのかもしれないと 後から思うのだった。

【BL】男なのになぜかNo.1ホストに懐かれて困ってます

猫足
BL
「俺としとく? えれちゅー」 「いや、するわけないだろ!」 相川優也(25) 主人公。平凡なサラリーマンだったはずが、女友達に連れていかれた【デビルジャム】というホストクラブでスバルと出会ったのが運の尽き。 碧スバル(21) 指名ナンバーワンの美形ホスト。自称博愛主義者。優也に懐いてつきまとう。その真意は今のところ……不明。 「絶対に僕の方が美形なのに、僕以下の女に金払ってどーすんだよ!」 「スバル、お前なにいってんの……?」 冗談?本気?二人の結末は? 美形病みホス×平凡サラリーマンの、友情か愛情かよくわからない日常。 ※現在、続編連載再開に向けて、超大幅加筆修正中です。読んでくださっていた皆様にはご迷惑をおかけします。追加シーンがたくさんあるので、少しでも楽しんでいただければ幸いです。

人気アイドルの俺、なぜかメンバー全員に好かれてます

七瀬
BL
デビュー4年目の人気アイドルグループ「ECLIPSE(エクリプス)」に所属する芹沢 美澄(せりざわみすみ)は、昔からどこか抜けていてマイペースな性格。 歌もダンスも決して一番ではないはずなのに、なぜかファンからもメンバーからも目を離されない存在だった。 世話焼きな幼なじみ、明るく距離の近い同い年、しっかり者で面倒見のいい年上、掴みどころのない自由人、そして無言で隣にいるリーダー——。 気づけば、美澄の周りにはいつも誰かがいて、当たり前のように甘やかされていく。

帰宅

pAp1Ko
BL
遊んでばかりいた養子の長男と実子の双子の次男たち。 双子を庇い、拐われた長男のその後のおはなし。 書きたいところだけ書いた。作者が読みたいだけです。

【大至急】誰でもいいので、魔王からの求婚を穏便に断る方法を教えてください。

志子
BL
魔王(美形でめっちゃピュア)×聖職者(平凡)のお話。 聖女の力を持っている元孤児ロニーは教会で雑用をこなす日々。そんなロニーの元に一匹の黒猫が姿を現し、いつしかロニーの小さな友人となった。 注意)性的な言葉と表現があります。

あなたの愛したご令嬢は俺なんです

久野字
BL
「愛しい令息と結ばれたい。お前の家を金銭援助するからなんとかしろ」 没落寸前の家を救うため、強制的な契約を結ばれたアディル。一年限りで自分の体が令嬢に変わる秘薬を飲まされた彼は、無事に令息と思いを通じ合わせることに成功するが……