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裏・没ネタ
風邪にご用心4
桃崎はまだ興奮が収まらない様子で、カウンターの方をちらりちらりと盗み見ながら口を開いた。
「熱があるのに、あんなに愛想よくしてたってことはさ……相当、無理してたってことでしょ?」
そう言ってから、にやりと口元を歪め、今度は緑谷へと視線を向ける。
「それなのに、緑谷くんにだけ素っ気ないって……」
一瞬の間。
「それ、完全に“甘えてる”よね!?緑谷くんに!」
――そういうこと!?
黄瀬は心の中で思わずツッコミを入れ、反射的に緑谷の方を見た。
しかし当の本人は、こちらの会話などまるで耳に入っていない。視線はカウンターの向こう――仕事に戻ったトオルの背中だけを追い続けている。
「可愛すぎでしょ……。あんなギャップ持ってるとか最強かよ……尊い……!」
桃崎はもはや独り言のように呟き、再びきらきらと瞳を輝かせている。一方の緑谷は相変わらず無反応。完全に心ここにあらず、といった様子だった。
(……なんなんだよ、この空間)
黄瀬は二人を交互に見比べ、冷めた目つきのままグラスを傾ける。
(片や推し活全開、片や執着を通り越してもはや狂気レベル。……カオスすぎるだろ)
バーの喧騒に包まれながらも、そのテーブルだけが不自然なほど浮き上がっていた。
「あ」
ふと、何かを思い出したように、黄瀬が小さく声を漏らした。
「……なあ、緑谷」
呼びかけても、返事はない。
ただ緑谷は、カウンターへ向けた視線を一切動かさぬまま、耳だけをこちらに向けている。
「最初から分かってたんだろ」
「何のことですか」
淡々とした問い返し。
「トオルさんが、今日おかしかった理由」
一拍、沈黙。
緑谷の視線は、相変わらずカウンターの向こうに向けられていた。
「おかしいわけではありません。限界を超えているだけです」
低く抑えた声。穏やかさの奥に、確かな苛立ちが滲んでいる。
「……それで会議中、あんなに機嫌悪かったってわけか」
黄瀬が半ば納得したように呟いた。
その言葉に、緑谷は一瞬だけこちらを見やる。冷静でありながら、感情を隠すつもりのない視線。
「あなた方が、のこのこ先に来ていたことも原因の一つですが」
「うわ、完全に根に持ってるな」
黄瀬は軽く笑ってその場を流そうとした。だが、緑谷の目はまったく笑っていない。
これ以上何か口にすれば、問答無用で封じられそうだと察し、黄瀬は言葉を飲み込んだ。そうして、会話は途切れる。
――その瞬間だった。
カラン。
店の扉が鳴る音は、ついさっきまでと同じはずなのに、
なぜかその一音だけが、妙に重く響いた。
黄瀬は反射的に、そちらへ視線を向けた。
入ってきたのは、三人。
「ゲッ……」
先頭に立っていたのは、落ち着いたスーツ姿の男だった。
年齢は判然としない。穏やかな笑みを浮かべているものの、その目だけが異様なほど鋭い。
体格もいい。
広い肩幅に、無駄のない引き締まった身体。そこに立っているだけで、周囲の空気を押し下げるような圧倒的な存在感があった。
意識せずとも視線を引き寄せられてしまう――そんな威圧感。
「……マジで来たよ、ボス……」
黄瀬は思わず、喉の奥で呟く。
間違いない。
目の前にいるのは――ディヴァイアンのボス、その人だった。
その背後には、二人の人物が控えている。
一人は、銀縁眼鏡をかけたディヴァイアンの幹部――クロウ。
理知的な佇まいとは裏腹に、視線は常に周囲を鋭く観察しており、隙を許さない空気を纏っていた。
そしてもう一人。
無駄に――と言いたくなるほど鍛え上げられた筋肉を誇りつつ、所作も言動もどこか艶やかなおねぇ口調の幹部――エリス。
並んで立つだけで、ただ者ではないと一目で分かる面々だった。
「(……ねぇ、なんかとんでもない人たち来てない?え、なに、全員トオルくん信者?集団お迎え?)」
「(お前は少し黙っとけ。……それにしても、現場でもあの三人が揃ってるのなんて見たことねぇぞ)」
ひそひそと声を潜め、言葉を交わす。
だがその隣で――緑谷だけが、一言も発しなかった。
それが、何よりも恐ろしい。
ただ静かに状況を見据え、カウンターの奥を見つめ続けるその横顔は、まさに嵐の前の静けさだった。
このまま何事も起きなければいい――そんな希望は、あまりにも楽観的すぎる。
(……これ、絶対もっとカオスになるやつだろ)
異様な顔ぶれに、店内の客たちがざわつき始める。囁き声が波紋のように広がり、視線が一斉に入口へ集まっていた。
「……トオル」
低く、抑えた声で――ボスがその名を呼んだ。
その声に反応し、カウンターにいたトオルが顔を上げた。
そして――その姿を視界に捉えた瞬間、わずかに目を見開く。
だが次の瞬間には、笑顔。いつもならありえない柔らかな笑顔を浮かべていた。
どこか申し訳なさそうな色を滲ませながら、ディヴァイアン一同の方へと歩み寄ってくる。
「本当に来たんですか?」
穏やかな声だった。
「生憎ですが、今日は満席です。案内はできませんよ」
にこやかにそう応じるトオルに、ボスたちは一瞬、言葉を失ったように見えた。
明らかに、想定していた反応とは違う。
「ちょっと、トオルちゃん!どうしたのよ、その笑顔!あたしたちをそんな顔で迎えてくれるなんて、初めてじゃない!」
最初に声を上げたのは、エリスだった。
「そうですか?」
トオルは小さく首を傾げた。
本気で心当たりがない、と言わんばかりの表情に、周囲の動揺はさらに広がっていく。
「ボスが様子がおかしいと言うから来てみれば……本当だったか。いつも通り、ゴミを見るような目をしていると思ったが……一体どうしたというのだ」
クロウはそう言いながら眼鏡を押し上げる。その仕草には、珍しく落ち着きのなさが滲み、彼自身も動揺していることがありありと伝わってきた。
「?どうもしてませんよ」
短い返答。だが、笑顔。
それだけのはずなのに、場の空気がわずかに揺れた。
いつものトオルなら、冷ややかな視線を一瞥くれて、面倒そうに会話を断ち切っていたはずだ。
けれど今は違う。表情は柔らかく、無防備で、本人も気づいていない隙をさらしている。
「普段あんなに無表情な子が、こんな顔するなんて……反則ね」
エリスは楽しそうに目を細め、トオルを値踏みするように眺めた。
「これはもう、落ちる人が出ても不思議じゃないわ」
「……エリス、冗談が過ぎる」
クロウはそう言いながらも、視線はトオルから離れない。落ち着かない様子で眼鏡の位置を直す仕草が、かえって動揺を露わにしていた。
「あら、クロウ。さっきから眼鏡ばっかり触って、動揺が隠せてないわよ?」
そのやり取りを聞きながら、ボスはひとつ大きく息を吐いた。わずかに細められた目が、トオルだけを真っ直ぐに捉える。
「……このままの状態で、これ以上人前に立たせるつもりはない」
静かに、しかし断定的に言い切る。
「帰るぞ、トオル」
そう告げると同時に、拒否を許さぬ所作で、ボスはゆっくりとトオルへ手を伸ばした。
「熱があるのに、あんなに愛想よくしてたってことはさ……相当、無理してたってことでしょ?」
そう言ってから、にやりと口元を歪め、今度は緑谷へと視線を向ける。
「それなのに、緑谷くんにだけ素っ気ないって……」
一瞬の間。
「それ、完全に“甘えてる”よね!?緑谷くんに!」
――そういうこと!?
黄瀬は心の中で思わずツッコミを入れ、反射的に緑谷の方を見た。
しかし当の本人は、こちらの会話などまるで耳に入っていない。視線はカウンターの向こう――仕事に戻ったトオルの背中だけを追い続けている。
「可愛すぎでしょ……。あんなギャップ持ってるとか最強かよ……尊い……!」
桃崎はもはや独り言のように呟き、再びきらきらと瞳を輝かせている。一方の緑谷は相変わらず無反応。完全に心ここにあらず、といった様子だった。
(……なんなんだよ、この空間)
黄瀬は二人を交互に見比べ、冷めた目つきのままグラスを傾ける。
(片や推し活全開、片や執着を通り越してもはや狂気レベル。……カオスすぎるだろ)
バーの喧騒に包まれながらも、そのテーブルだけが不自然なほど浮き上がっていた。
「あ」
ふと、何かを思い出したように、黄瀬が小さく声を漏らした。
「……なあ、緑谷」
呼びかけても、返事はない。
ただ緑谷は、カウンターへ向けた視線を一切動かさぬまま、耳だけをこちらに向けている。
「最初から分かってたんだろ」
「何のことですか」
淡々とした問い返し。
「トオルさんが、今日おかしかった理由」
一拍、沈黙。
緑谷の視線は、相変わらずカウンターの向こうに向けられていた。
「おかしいわけではありません。限界を超えているだけです」
低く抑えた声。穏やかさの奥に、確かな苛立ちが滲んでいる。
「……それで会議中、あんなに機嫌悪かったってわけか」
黄瀬が半ば納得したように呟いた。
その言葉に、緑谷は一瞬だけこちらを見やる。冷静でありながら、感情を隠すつもりのない視線。
「あなた方が、のこのこ先に来ていたことも原因の一つですが」
「うわ、完全に根に持ってるな」
黄瀬は軽く笑ってその場を流そうとした。だが、緑谷の目はまったく笑っていない。
これ以上何か口にすれば、問答無用で封じられそうだと察し、黄瀬は言葉を飲み込んだ。そうして、会話は途切れる。
――その瞬間だった。
カラン。
店の扉が鳴る音は、ついさっきまでと同じはずなのに、
なぜかその一音だけが、妙に重く響いた。
黄瀬は反射的に、そちらへ視線を向けた。
入ってきたのは、三人。
「ゲッ……」
先頭に立っていたのは、落ち着いたスーツ姿の男だった。
年齢は判然としない。穏やかな笑みを浮かべているものの、その目だけが異様なほど鋭い。
体格もいい。
広い肩幅に、無駄のない引き締まった身体。そこに立っているだけで、周囲の空気を押し下げるような圧倒的な存在感があった。
意識せずとも視線を引き寄せられてしまう――そんな威圧感。
「……マジで来たよ、ボス……」
黄瀬は思わず、喉の奥で呟く。
間違いない。
目の前にいるのは――ディヴァイアンのボス、その人だった。
その背後には、二人の人物が控えている。
一人は、銀縁眼鏡をかけたディヴァイアンの幹部――クロウ。
理知的な佇まいとは裏腹に、視線は常に周囲を鋭く観察しており、隙を許さない空気を纏っていた。
そしてもう一人。
無駄に――と言いたくなるほど鍛え上げられた筋肉を誇りつつ、所作も言動もどこか艶やかなおねぇ口調の幹部――エリス。
並んで立つだけで、ただ者ではないと一目で分かる面々だった。
「(……ねぇ、なんかとんでもない人たち来てない?え、なに、全員トオルくん信者?集団お迎え?)」
「(お前は少し黙っとけ。……それにしても、現場でもあの三人が揃ってるのなんて見たことねぇぞ)」
ひそひそと声を潜め、言葉を交わす。
だがその隣で――緑谷だけが、一言も発しなかった。
それが、何よりも恐ろしい。
ただ静かに状況を見据え、カウンターの奥を見つめ続けるその横顔は、まさに嵐の前の静けさだった。
このまま何事も起きなければいい――そんな希望は、あまりにも楽観的すぎる。
(……これ、絶対もっとカオスになるやつだろ)
異様な顔ぶれに、店内の客たちがざわつき始める。囁き声が波紋のように広がり、視線が一斉に入口へ集まっていた。
「……トオル」
低く、抑えた声で――ボスがその名を呼んだ。
その声に反応し、カウンターにいたトオルが顔を上げた。
そして――その姿を視界に捉えた瞬間、わずかに目を見開く。
だが次の瞬間には、笑顔。いつもならありえない柔らかな笑顔を浮かべていた。
どこか申し訳なさそうな色を滲ませながら、ディヴァイアン一同の方へと歩み寄ってくる。
「本当に来たんですか?」
穏やかな声だった。
「生憎ですが、今日は満席です。案内はできませんよ」
にこやかにそう応じるトオルに、ボスたちは一瞬、言葉を失ったように見えた。
明らかに、想定していた反応とは違う。
「ちょっと、トオルちゃん!どうしたのよ、その笑顔!あたしたちをそんな顔で迎えてくれるなんて、初めてじゃない!」
最初に声を上げたのは、エリスだった。
「そうですか?」
トオルは小さく首を傾げた。
本気で心当たりがない、と言わんばかりの表情に、周囲の動揺はさらに広がっていく。
「ボスが様子がおかしいと言うから来てみれば……本当だったか。いつも通り、ゴミを見るような目をしていると思ったが……一体どうしたというのだ」
クロウはそう言いながら眼鏡を押し上げる。その仕草には、珍しく落ち着きのなさが滲み、彼自身も動揺していることがありありと伝わってきた。
「?どうもしてませんよ」
短い返答。だが、笑顔。
それだけのはずなのに、場の空気がわずかに揺れた。
いつものトオルなら、冷ややかな視線を一瞥くれて、面倒そうに会話を断ち切っていたはずだ。
けれど今は違う。表情は柔らかく、無防備で、本人も気づいていない隙をさらしている。
「普段あんなに無表情な子が、こんな顔するなんて……反則ね」
エリスは楽しそうに目を細め、トオルを値踏みするように眺めた。
「これはもう、落ちる人が出ても不思議じゃないわ」
「……エリス、冗談が過ぎる」
クロウはそう言いながらも、視線はトオルから離れない。落ち着かない様子で眼鏡の位置を直す仕草が、かえって動揺を露わにしていた。
「あら、クロウ。さっきから眼鏡ばっかり触って、動揺が隠せてないわよ?」
そのやり取りを聞きながら、ボスはひとつ大きく息を吐いた。わずかに細められた目が、トオルだけを真っ直ぐに捉える。
「……このままの状態で、これ以上人前に立たせるつもりはない」
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