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1章
囲われます1
俺は全力で走っていた。
靴底が地面を叩く音だけが、やけに大きく響く。
周囲は不自然なほど静かで、まるで世界から音だけが削ぎ落とされたみたいだった。
――とっくに気づいていた。
無意識に言葉にしてしまうくらいには、とっくに気を許していた、と思う。ただ、今の関係を変えることに怖気づいていただけかもしれない。
曖昧なままでいれば、始まらないし、終わりもしない。
人間関係なんて、それが一番楽だ。
一歩踏み出せば、もう戻れない……。
角を曲がり、人気のない路地へ滑り込む。その瞬間、背後に気配が落ちた。
速い。
けれど、本気ではない。
本気で捕まえるつもりなら、とっくに捕まっているはずだ。それをせず、一定の距離を保ったまま追ってくる。
(ヒーローに……身体能力で勝てるわけがないだろ……っ!)
最初からわかっていた。
自分が彼の手のひらの上にいることを、悔しいほど思い知らされる。
捕まれば先ほどの言葉の意味を、問い詰められるのだろう。
……認めてもいい。
けれど、ただで捕まるのはどうにも悔しかった。
だから――
俺は、ある場所へ向かってひたすら走った。息が焼けるように苦しい。
(くっそ、遠い……!!)
目的地までは、まだ距離がある。
途中で捕まるかもしれない。そう思いながらも、足は止めなかった。
背後には、ずっとグリーンの気配がある。
追いつかれそうで、追いつかれない。いつ腕を掴まれるのかと、気が気じゃない。
――だが。
しばらくして、その気配がわずかに変わった。
捕まえるためのそれじゃない。まるで、見守るような――そんな距離。
(……俺の行き先に、気づいたのか…?)
そう思った瞬間、妙に心臓がうるさくなる。
捕まる心配が薄れると、さすがに全力疾走は続かなかった。
速度を落とし、荒れた呼吸を整えながら歩き出す。
歩きながら、このあと奴とどう向き合うのか、何を言えばいいのか――そんなことばかり考える。
……いや、考えないようにしているのかもしれない。
気がつけば足音が、もう一つ。
いつの間にか私服姿になっているグリーンが、俺の数歩後ろを歩いている。
追い抜きもしない。
距離を詰めもしない。
ただ、そこにいる。
何も言わない。触れもしない。それが、かえって落ち着かなかった。まるでストーカーだ。いや、事実そうなんだが。
……ストーカーを好きになるなんて、想像もしていなかった。
けれど、あいつがいないと気になるのも事実だ。
信頼しているのも、事実。
いつの間にか、当たり前の存在になっているのも――それも、認めるしかない。
無言のまま歩き続ける。どれだけ時間が過ぎたのかも、もうわからない。
やがて視界に入ったのは、見慣れた外観――
グリーンのマンション。
マンションを見上げた瞬間、足が止まった。
(……ここまで来て、今さら逃げるなよ)
自分に言い聞かせる。小さく息を吸い込み、覚悟を決めて最後の数歩を踏み出した。
階段を上る。
一段ごとに、鼓動がやけにうるさい。
見慣れた扉の前に立ったところで、ようやく溜め込んでいた息を吐いた。
背後に、気配。
振り返らなくてもわかる。
さっきから、ずっとそこにある。
グリーンが――すぐ後ろにいる。
しばらく、そのまま立ち尽くしていた。胸の奥が落ち着かない。
やがて、意を決して口を開く。
「……囲うんだろ」
本当は、もっと別の言い方をするつもりだった。
頭の中で何度もシミュレーションしたはずなのに。
出てきたのは、こんな可愛げのない言葉だ。
それでも、心臓は落ち着く気配もなく騒ぎ続けている。顔が、どうしようもなく熱い。
「トオルさん」
名前を呼ばれる。それだけで、背筋が震えた。
顔を、上げられない。視線を合わせた瞬間、全部見透かされてしまいそうで。
「こっちを、向いてください」
静かな声。
次の瞬間、背後から手が伸びてくる。さらりと、後ろ髪を撫でられた。優しいはずなのに、逃げ道を塞ぐみたいな触れ方。この空気に耐えられるはずがない。足が床に縫い留められたみたいに、動けない。
小さく息を吐く気配がして――
次の瞬間、背後から腕が回る。包み込まれるように引き寄せられた。背中に触れる体温。すぐ真横に、グリーンの顔。
「トオルさんが向かった先がどこかわかった時、私がどれだけ歓喜したか……わかりますか?」
耳元に落ちる、囁くような声。吐息が、かすかに触れる。
「もう、この先に進んだら……手放すことは不可能ですよ」
甘い声音のはずなのに逃げ道を塞ぐ宣告だった。
「……手放す気、あったのかよ」
かろうじて絞り出した声は、思ったより震えていない。
「愚問ですね」
即答だった。
抱きしめたまま、グリーンは器用に鍵を取り出し、そのまま鍵穴に差し込んだ。がちゃり、とやけに大きく解錠音が響く。
次の瞬間、扉が開く。
腕を引かれ、そのまま室内へと引き込まれる。体勢を崩しかけたところを、背後から支えられた。
「選んだのは、トオルさんですよ」
静かに――ドアが閉まる。
外の空気が、完全に遮断された。
靴底が地面を叩く音だけが、やけに大きく響く。
周囲は不自然なほど静かで、まるで世界から音だけが削ぎ落とされたみたいだった。
――とっくに気づいていた。
無意識に言葉にしてしまうくらいには、とっくに気を許していた、と思う。ただ、今の関係を変えることに怖気づいていただけかもしれない。
曖昧なままでいれば、始まらないし、終わりもしない。
人間関係なんて、それが一番楽だ。
一歩踏み出せば、もう戻れない……。
角を曲がり、人気のない路地へ滑り込む。その瞬間、背後に気配が落ちた。
速い。
けれど、本気ではない。
本気で捕まえるつもりなら、とっくに捕まっているはずだ。それをせず、一定の距離を保ったまま追ってくる。
(ヒーローに……身体能力で勝てるわけがないだろ……っ!)
最初からわかっていた。
自分が彼の手のひらの上にいることを、悔しいほど思い知らされる。
捕まれば先ほどの言葉の意味を、問い詰められるのだろう。
……認めてもいい。
けれど、ただで捕まるのはどうにも悔しかった。
だから――
俺は、ある場所へ向かってひたすら走った。息が焼けるように苦しい。
(くっそ、遠い……!!)
目的地までは、まだ距離がある。
途中で捕まるかもしれない。そう思いながらも、足は止めなかった。
背後には、ずっとグリーンの気配がある。
追いつかれそうで、追いつかれない。いつ腕を掴まれるのかと、気が気じゃない。
――だが。
しばらくして、その気配がわずかに変わった。
捕まえるためのそれじゃない。まるで、見守るような――そんな距離。
(……俺の行き先に、気づいたのか…?)
そう思った瞬間、妙に心臓がうるさくなる。
捕まる心配が薄れると、さすがに全力疾走は続かなかった。
速度を落とし、荒れた呼吸を整えながら歩き出す。
歩きながら、このあと奴とどう向き合うのか、何を言えばいいのか――そんなことばかり考える。
……いや、考えないようにしているのかもしれない。
気がつけば足音が、もう一つ。
いつの間にか私服姿になっているグリーンが、俺の数歩後ろを歩いている。
追い抜きもしない。
距離を詰めもしない。
ただ、そこにいる。
何も言わない。触れもしない。それが、かえって落ち着かなかった。まるでストーカーだ。いや、事実そうなんだが。
……ストーカーを好きになるなんて、想像もしていなかった。
けれど、あいつがいないと気になるのも事実だ。
信頼しているのも、事実。
いつの間にか、当たり前の存在になっているのも――それも、認めるしかない。
無言のまま歩き続ける。どれだけ時間が過ぎたのかも、もうわからない。
やがて視界に入ったのは、見慣れた外観――
グリーンのマンション。
マンションを見上げた瞬間、足が止まった。
(……ここまで来て、今さら逃げるなよ)
自分に言い聞かせる。小さく息を吸い込み、覚悟を決めて最後の数歩を踏み出した。
階段を上る。
一段ごとに、鼓動がやけにうるさい。
見慣れた扉の前に立ったところで、ようやく溜め込んでいた息を吐いた。
背後に、気配。
振り返らなくてもわかる。
さっきから、ずっとそこにある。
グリーンが――すぐ後ろにいる。
しばらく、そのまま立ち尽くしていた。胸の奥が落ち着かない。
やがて、意を決して口を開く。
「……囲うんだろ」
本当は、もっと別の言い方をするつもりだった。
頭の中で何度もシミュレーションしたはずなのに。
出てきたのは、こんな可愛げのない言葉だ。
それでも、心臓は落ち着く気配もなく騒ぎ続けている。顔が、どうしようもなく熱い。
「トオルさん」
名前を呼ばれる。それだけで、背筋が震えた。
顔を、上げられない。視線を合わせた瞬間、全部見透かされてしまいそうで。
「こっちを、向いてください」
静かな声。
次の瞬間、背後から手が伸びてくる。さらりと、後ろ髪を撫でられた。優しいはずなのに、逃げ道を塞ぐみたいな触れ方。この空気に耐えられるはずがない。足が床に縫い留められたみたいに、動けない。
小さく息を吐く気配がして――
次の瞬間、背後から腕が回る。包み込まれるように引き寄せられた。背中に触れる体温。すぐ真横に、グリーンの顔。
「トオルさんが向かった先がどこかわかった時、私がどれだけ歓喜したか……わかりますか?」
耳元に落ちる、囁くような声。吐息が、かすかに触れる。
「もう、この先に進んだら……手放すことは不可能ですよ」
甘い声音のはずなのに逃げ道を塞ぐ宣告だった。
「……手放す気、あったのかよ」
かろうじて絞り出した声は、思ったより震えていない。
「愚問ですね」
即答だった。
抱きしめたまま、グリーンは器用に鍵を取り出し、そのまま鍵穴に差し込んだ。がちゃり、とやけに大きく解錠音が響く。
次の瞬間、扉が開く。
腕を引かれ、そのまま室内へと引き込まれる。体勢を崩しかけたところを、背後から支えられた。
「選んだのは、トオルさんですよ」
静かに――ドアが閉まる。
外の空気が、完全に遮断された。
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