血と束縛と

北川とも

文字の大きさ
37 / 1,295
第3話

(7)

 和彦が前髪を掻き上げたそのとき、ここまでずっと黙っていた三田村がやっと口を開いた。
「医者の先生にこんなことを言うのはなんだが……、これから病院に行かないか」
 意味がわからず眉をひそめると、三田村は前を見据えたまま続けた。
「ここのところ疲れているようだから、病院で薬を処方してもらったほうがいいんじゃないかと思ったんだ。安定剤とか……」
「安定剤を飲んだところで、現状がどうにかなるわけでもないだろ」
 ふっと笑った和彦は、実は三田村が何を言おうとしているのか、ようやく察した。三田村の目には、和彦の状態が不安定に映っているのだ。
「組長の忠実な犬としては、精神状態が不安定な〈オンナ〉は、危なっかしくて組長の側に置けないと言いたいのか」
「解釈は先生の自由だ。ただ、今みたいな暗い顔をしているのが、いいとは思えない」
「ヤクザのオンナなんてさせられて、おっとり笑っていろとでも?」
「――初めて組長と会ったとき、笑っただろ、先生。あの状況で笑った人間に対して、俺は素直に感嘆した。見た目に反してタフだと思った」
 三田村なりに、心配してくれているらしい。和彦を一人の人間として気遣っているのか、組長のオンナとしての価値が損なわれることを気にかけているのかまではわからないが、ただ、無茶を言わないという点では、三田村といるのは楽だった。
「ぼくは医者だ。本当にキていると思ったら、自分で病院に行く。友人が心療内科医をしているから、親身になってくれるだろ」
「……ただ眠りたいというなら、そういう薬は簡単に手に入るから言ってくれ」
「変な麻薬でも混ざってそうだから、いらない」
 和彦が即答すると、バックミラーに映る三田村の目元がふっと一瞬だけ和らぐ。
「そうだ。それでいつもの先生だ」
 和彦は顔をしかめてから、シートにしっかりと座り直す。
 三田村の律儀さや誠実さは、ヤクザという人種を見直してしまいそうで、畏怖とは違う怖さがあった。




 つけっぱなしのテレビから聞こえてくるニュースを、広すぎるベッドの上でうつ伏せになりながら、ぼんやりと和彦は聞いていた。
 午前中に目を通しておきたい書類があるのだが、体が言うことを聞かない。
 自分の今の状態はダメだと一度思うと、ますます気分が滅入ってしまう悪循環に入ったのかもしれない。昨日、ゴルフ旅行から戻ったという千尋のメッセージが留守電に残されていたのだが、いまだに和彦は連絡していない。千尋のことなので、会いたいと言い出すのは目に見えている。今の和彦には、とてもではないが生気に溢れた千尋は受け止めかねた。
 三田村の忠告に従うわけではないが、ここ数日の憂鬱ぶりは自分でも気になるため、一度きちんと診てもらおうかと、ベッドの上をごろごろと転がりながら考えていた最中だった。インターホンの音が鳴り響き、びくりと体を強張らせる。
 今日は出かける予定は入っていないため、当然、誰かが迎えに来るということも聞いていない。無視したかったが、もう一度鳴らされて諦めた。
 ベッドから這い出した和彦がテレビモニターを覗くと、薄い笑みを浮かべた賢吾がいた。
「――すぐに出かける準備をしろ、先生。十分だけ待ってやる」
「なんなんだ、いきなり……。今日はぼくは、外に出る気分じゃない」
「出たくないなら、引きずり出すだけだ。お姫様抱っこして連れ出してやろうか?」
 抗うのは諦めた。インターホンを切った和彦は、ふらつく足取りで洗面所に行く。
 適当に選んだスーツを着込んでなんとかエントランスに降りると、扉の向こうに立っているのは三田村だった。
「……なんなんだ、一体……」
 促されて歩きながら、和彦は小さく口中で毒づく。
「詳しいことは組長に聞いてくれ」
 素早く周囲に鋭い視線を向けた三田村が、車止めの横に停めた車の後部座席を開ける。賢吾が悠然と腰掛けており、軽く手招きされたので、仕方なく和彦は車に乗り込んだ。
「珍しく不機嫌そうだな、先生」
 おもしろがるような口調で賢吾に言われ、思わず横目で睨みつける。
「あんたたちと知り合って、ぼくが上機嫌だったことなんて一度もないぞ」
「不機嫌でも、減らず口の冴えは相変わらずだ」
 短く声を洩らして笑う賢吾を、多少気味悪く感じながら和彦は眺める。不意打ちの来訪を受けて何も感じないほど、頭は鈍くなっていなかった。
「――……それで、今日は何をするんだ」
「こちらが思っているより、事態が早く進んでいるようだからな。手を打っておくことにした」
 それでなくても不機嫌な和彦は、賢吾の言い回しに苛立ち、眉をひそめる。
「意味がわからない」
「わからないように言ったんだ」
 こちらを見た賢吾が、唇に憎たらしい笑みを浮かべる。
「こっちの事情だ。先生は、ただ俺の言う通りにすればいい」
「……行き先は?」
「うちの組事務所の一つだ。俺は臆病だからな、毎日あちこちの事務所を転々とする。そうすれば、どこかのバカが綿密に襲撃の計画を立てようが、かち合う確率が減る。俺のやり方を嘲笑う奴もいるが、俺は、度胸と慎重さは分けて考えている」
 臆病だと言っているのは本人だけで、身を潜めているのが、とてつもなく獰猛で残酷な気性を持つ大蛇だというのを、他の人間はわかっているのではないか。少なくとも和彦は、この男と臆病という言葉が、対極に存在していると思っている。
 やや身を引き気味に和彦が見つめると、賢吾が片手を伸ばし、頬に触れてくる。
「調子が悪いそうだな。あの千尋が、迂闊に電話もできないとぼやいていたぞ。一応自分で、有り余りすぎる元気を先生にぶつけたらヤバイと自覚はあるみたいだ」
「その父親にも、同じような配慮は求めたいな」
 和彦が非難がましく言うと、楽しげに賢吾が応じる。
「配慮はしてるだろ。俺はいつでも、丁寧に先生を扱っている」
 頬を撫でられ、髪を梳かれてから、指先に耳の形をなぞられる。疼きにも似た感覚が背筋を駆け抜けて小さく身震いすると、目を細めた賢吾に肩を抱き寄せられた。

感想 99

あなたにおすすめの小説

女子が苦手になったイケメン家庭教師の行き先は男子に向いた

henoru
BL
女子が苦手になったイケメン家庭教師の行き先は男子に向いた 子供の頃から勉強一筋で 気がつけば女性との接触が苦手になっていた 得意の勉強を 生かして 家庭教師のアルバイトを始める 性の吐口は-----

冤罪で堕とされた最強騎士、狂信的な男たちに包囲される

マンスーン
BL
​王国最強の聖騎士団長から一転、冤罪で生存率0%の懲罰部隊へと叩き落とされたレオン。 泥にまみれてもなお気高く、圧倒的な強さを振るう彼に、狂った執着を抱く男たちが集結する。

邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ

BL
世間に秘された名門男子校・平坂学園体育科 空手の名選手であった高尾雄一は、新任教師として赴任する 高潔な人格と鋼のように鍛えられた肉体 それは、学園にとって最高の生贄の候補に他ならなかった 至高の筋肉を持つ、精神を削られ意志をなくした青年を太古の神に捧げるため、“水”、“風”、“土”の信奉者達が暗躍する 意志をなくし筋肉の操り人形と化した“デク” 消える教師 山奥の男子校で繰り広げられるダークファンタジー

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

【完結】束縛彼氏から逃げたのに、執着が想像以上に重すぎた

鱗。
BL
束縛の強い恋人、三浦悠真から逃げた風間湊。 逃げた先で出会ったのは、優しく穏やかな占い師、榊啓司だった。 心身を癒やされ、穏やかな日常を取り戻したかに見えた——はずだった。 だが再び現れた悠真の執着は、かつてとは比べ物にならないほど歪んでいて。 そして気付く。 誰のものにもなれないはずの自分が。 『壊れていく人間』にしか愛を見出せないということに。 依存、執着、支配。 三人の関係は、やがて取り返しのつかない形へと崩れていく。 ——これは、『最も壊れている人間』が愛を選び取る物語。 逃げた先にあったのは、『もっと歪んだ愛』だった。 【完結済み】

過保護すぎる家族に囲まれて育ったら、外の世界が危険すぎました 〜冷酷公爵の父と最強兄たちに溺愛される日々〜

由香
恋愛
過保護な父と兄たちに囲まれて育った少女。 初めての外は危険だらけ——のはずが、全部“秒で解決”。 溺愛×コメディ×ほんのり成長の、ほっこり家族物語。

一妻多夫の獣人世界でマッチングアプリします♡

具なっしー
恋愛
前世の記憶を持つソフィアは、綿菓子のような虹色の髪を持つオコジョ獣人の令嬢。 この世界では男女比が極端に偏っており、女性が複数の夫を持つ「一妻多夫制」が当たり前。でも、前世日本人だったソフィアには、一人の人を愛する感覚しかなくて……。 そんな私に、20人の父様たちは「施設(強制繁殖システム)送り」を避けるため、マッチングアプリを始めさせた。 最初は戸惑いながらも、出会った男性たちはみんな魅力的で、優しくて、一途で――。 ■ 大人の余裕とちょっと意地悪な研究者 ■ 不器用だけど一途な騎士 ■ ぶっきらぼうだけど優しい元義賊 ■ 完璧主義だけど私にだけ甘えん坊な商人 ■ 超ピュアなジムインストラクター ■ コミュ力高めで超甘々なパティシエ ■ 私に一生懸命な天才年下魔法学者 気づけば7人全員と婚約していた!? 「私達はきっと良い家族になれます!」 これは、一人の少女と七人(…)の婚約者たちが、愛と絆を育んでいく、ちょっと甘くて笑える逆ハーレム・ラブコメディ。 という異世界×獣人×一妻多夫×マッチングアプリの、設定盛りだくさんな話。超ご都合主義なので苦手な人は注意! ※表紙はAIです

鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる

結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。 冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。 憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。 誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。 鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。