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第12話
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しおりを挟む次第に現実感が薄れているようだと、寝返りを打った和彦は、自分の手首に指先を這わせる。鷹津にかけられた手錠の痕は、すでにそこにはない。もともとひどい痕ではなかったので、数日ほどできれいに消えてしまったのだ。
残っているのは、手錠の感触の記憶だけだ。
痕が消えるのに比例するように、鷹津と体を重ねたという事実の重みが、和彦の中で失われていく。それが、現実感が薄れていくという表現になる。
別に鷹津と会いたいわけではないが、連絡も取り合っていないため、あの男は本当に無事なのだろうかと、気にならないわけではない。だが、それ以上に気になるのは、和彦の〈オトコ〉の存在だ。
いまさら自分が穢れたなどと、初心な小娘のようなことを言うつもりはない。ただ漠然と、三田村と合わせる顔がないと感じている。
鷹津とのことは、三田村はすべて承知のうえだが、だからといって何もかも平気というわけではない。
いつもなら和彦が望むときに、声を聞かせてくれ、会いに来てくれる三田村だが、鷹津とのことがあってからは、まだ電話すらかかってこない。いや、本当は和彦のほうから、大丈夫だと連絡を取るべきなのだ。
三田村は、これまで通りの優しい声を聞かせてくれるだろうか。
手錠の痕が消えるまで――こうして消えたあとまでも、この不安が和彦を苛む。だから行動が起こせない。
こんな気持ちになるのは、三田村だからだ。今の和彦に、特別な男は複数いるが、特別なオトコは一人だけ、三田村だけだ。
今日は何も予定が入っていないのをいいことに、和彦はベッドの上を何度もごろごろと転がりながら思い悩む。そしてやっと、サイドテーブルに手を伸ばした。
携帯電話を取り上げ、いつものように、何事もなかったように三田村に電話をかけようとした。しかし、もう少しのところで踏ん切りがつかない。仕方なく携帯電話を戻そうとしたとき、突然、着信音が鳴り響いた。
慌てて体を起こした和彦は、液晶に表示された名を見て、咄嗟にどんな表情も浮かべられなかった。
安堵したような、少しだけ拍子抜けしたような、そんな気持ちになったせいだ。
「――久しぶりだな、澤村先生」
自分の微妙な気持ちを読み取られないよう、冗談めかして電話に出る。すると、呆れたような声が返ってきた。
『そう思うなら、お前から電話してこい。薄情な奴だな』
生活が一変したあとも、何事もなかったように連絡をくれる友人の存在は、ありがたい。
和彦なりに、ヤクザに囲まれているうえに、複雑になる一方の人間関係とも、なんとかバランスを取って生活をしているが、精神的負担は少なからずある。普通の生活を送っていないという事実は、和彦に罪悪感のようなものを抱かせるのだ。
ただ、澤村との間にある境界線には、慣れた。諦観したと表現したほうがいいかもしれない。澤村がいる境界線の向こう側にある日常を、懐かしく、輝かしいものだと思いはするものの、もう恋しいという感情は湧かなくなっている。
それだけ和彦が、表の世界からますます遠ざかったのかもしれない。
澤村の声を聞くと感傷的になってしまうなと、和彦は密かに苦笑を洩らす。
「……ぼくも、いろいろと忙しいんだ。澤村先生ほどじゃないけど」
『おう、俺は忙しいぞ。患者の予約は常にいっぱい。プライベートも、身がもたないんじゃないかってぐらい、充実してる』
「モテモテの澤村先生が言うと、冗談に聞こえない」
『いや、そこは素直に信じろよ』
挨拶代わりの他愛ない会話を交わしてから、二人は同時に笑う。和彦は頭の片隅で、ちらりとこんなことを考えていた。
ほんの数分ほど前まで、自分は〈オトコ〉のことで思い悩んでいたと知ったら、澤村はどんな反応を示すだろうか、と。
『――たまには顔を見たいから、これから外で昼飯を食わないか』
澤村の提案に、和彦はハッと我に返る。
「えっ……、これから?」
『お前とは頻繁に会えないから、せめて二、三か月に一度ぐらいは、顔を見せろよ。いまだに俺は、お前がどこに住んでいて、勤務先はどこかすら、教えてもらってないんだ。電話やメールじゃ、本当に元気かどうかわからないしな』
澤村は、屈託なく和彦に連絡を寄越しているようで、しっかり気をつかってくれている。立ち入ったことを尋ねてこないし、無理に和彦を外に連れ出そうともしない。和彦の意思を尊重しているのだ。
普段であれば、即座に誘いに乗っただろう、しかしここ数日、和彦は組事務所とクリニックに足を運ぶぐらいで、外出そのものが気乗りしない状態だった。三田村とまだ話せていないということもあるし、体が少しだるい。
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