血と束縛と

北川とも

文字の大きさ
427 / 1,292
第20話

(16)

しおりを挟む




 三田村が言うところの『世俗的なイベント』を、和彦は無視できなくなっていた。誕生日を祝ってくれた男たちに対して、ささやかなお返しをしようと考えたとき、これ以上ない口実として利用できるからだ。
 仕事を終え、いつもより早めにクリニックを閉めた和彦は、組員に頼んでデパートへと寄ってもらう。
 そこで、自分の考えがチョコレートよりも甘いことを痛感させられた。
 バレンタインデー前日のデパートのチョコレート売り場は、目を瞠る混雑ぶりだ。
 こんなときだからこそ、豊富な種類が揃ったチョコレートをじっくり見て回ろうと思っていたが、ショーケースに近づくのも苦労しそうだ。とにかく女性客でごった返しており、心なしか殺気立っているようにも感じる。
 すでに他のフロアで買い物を済ませた和彦だが、さすがにこのフロアでの自分の場違いぶりを肌で感じ、怯んでしまう。辺りに漂う甘い香りが、その感覚に拍車をかける。
 当然といえば当然だろう。バレンタインデーのために買い物をするのは、やはり女性だ。もしくは、勇気あるチョコレート好きの男性か。実際、女性客に交じって、ちらほらと男性客の姿もある。
 同性の恋人のために――と勘繰るほど悪趣味ではない和彦は、自分もチョコレート好きなのだと思い込むことで、大勢の女性客の中を進んでいく。
 誰に対する言い訳なのか、自分も食べるから、と心の中で繰り返しつつ、少し値の張るチョコレートをいくつも買い込む。長嶺の本宅に置いておけば、組員の誰かが摘まんでくれるだろう。もちろん、買い込んだチョコレートの中には、〈本命〉に渡すものもある。
 いくつかの袋を手に、和彦はやっと売り場から抜け出す。
 自意識過剰だと思いつつも、途中までは他の客の視線が気になっていたが、買い物好きの気質は、こういうとき便利だ。チョコレート選びに夢中になってしまうと、他人どころではなくなった。どうせ一年に一回のことだと、開き直るのも容易だ。
 肩の荷が下りた気分で歩いていた和彦だが、すぐに歩調を緩め、手にした袋を見下ろす。チョコレートを買って気分が浮ついている一方で、自分のズルさがチクチクと胸に突き刺さる。いつもなら無関心を通すイベントにあえて乗ってみたのは、里見の件を男たちに隠している罪悪感ゆえ、というのが最大の理由だ。
 ただこれは、和彦の胸に仕舞っておけばいいことだ。それだけで、誰も嫌な思いをしなくて済む。
 マフラーを直してデパートを出た途端、冷たい風に顔全体を撫でられる。暖房と熱気で火照っていたため、身を切るような冷気が心地いいと思ったが、それも一瞬だ。次の瞬間には寒さに震え上がり、和彦は急ぎ足で組員が待機している車へと戻る。
 車が走り出すと、ほっと一息をついてマフラーを外す。これでやっと安心して明日を迎えられると、のん気なことを考えていた和彦に、ハンドルを握る組員が遠慮がちに声をかけてきた。
「――……先生、お伝えすることがあるのですが……」
 こういう切り出し方をされるとき、だいたい用件は決まっている。〈誰か〉が、和彦の予定を勝手に決めてしまったときだ。
「本宅に寄れと言うなら、ちょうどよかった――」
「いえ、長嶺会長からです。今、行きつけのクラブにいらっしゃるそうで、先生の都合がつくようなら一緒に飲まないかと。そう、伝言を言付かりました」
 数瞬、和彦は言葉をなくしていた。これまでも守光からの誘いは唐突だったため、こうして誘われること自体に衝撃はない。ただ、先日守光の自宅で一泊したことで、和彦の中で守光の存在は大きく変化した。
 どんな顔をして会えばいいのかと、まずそう思った。動揺と困惑と恐怖、それにわずかな羞恥が胸の奥で入り乱れ、それでも和彦はわかりきった答えを口にする。
「……わかった。このまま向かってくれ」
 それ以外の答えはなかった。守光から誘われたということは、和彦に選択肢は用意されていない。
 強張った息を吐き出すと、ぎこちなくシートに体を預ける。総和会会長の自宅に招かれて一泊しておきながら、今になって和彦は、自分が総和会に深く取り込まれつつあることを実感していた。
 一度の接触はささやかなものかもしれないが、それを重ねることによって和彦の存在が、長嶺組の身内ではなく、総和会の人間として認識されていく可能性もある。長嶺組と総和会は近い組織だが、同じ組織ではない。この二つの組織が反目し合うこともありうる。そう賢吾も言っていた。
 一介の医者でしかない和彦にできることは限られており、逆らえる力は皆無に等しい。ただ、巧く身を委ねるだけだ。
 男たちの機嫌を損ねることなく。そして媚びることなく――。

しおりを挟む
感想 94

あなたにおすすめの小説

逃げた弟のかわりに溺愛アルファに差し出されました。初夜で抱かれたら身代わりがばれてしまいます💦

雪代鞠絵/15分で萌えるBL小説
BL
逃げた弟の身代わりとなり、 隣国の国王である溺愛アルファに嫁いだオメガ。 しかし実は、我儘で結婚から逃げ出した双子の弟の身代わりなのです… オメガだからと王宮で冷遇されていたので、身代わり結婚にも拒否権が なかたのでした。 本当の花嫁じゃない。 だから何としても初夜は回避しなければと思うのですが、 だんだん王様に惹かれてしまい、苦しくなる…という お話です。よろしくお願いします<(_ _)>

伝説のS級おじさん、俺の「匂い」がないと発狂して国を滅ぼすらしいい

マンスーン
BL
ギルドの事務職員・三上薫は、ある日、ギルドロビーで発作を起こしかけていた英雄ガルド・ベルンシュタインから抱きしめられ、首筋を猛烈に吸引。「見つけた……俺の酸素……!」と叫び、離れなくなってしまう。 最強おじさん(変態)×ギルドの事務職員(平凡) 世界観が現代日本、異世界ごちゃ混ぜ設定になっております。

一軍男子と兄弟になりました

しょうがやき
BL
親の再婚で一軍男子と兄弟になった、平凡男子の話。

過保護な父の歪んだ愛着。旅立ちを控えた俺の身体は、夜ごとに父の形で塗り潰される

中山(ほ)
BL
「パックの中、僕の形になっちゃったね」 夢か現か。耳元で囁かれる甘い声と、内側を執拗に掻き回す熱。翌朝、自室で目覚めたパックに、昨夜の記憶はない。ただ、疼くような下腹部の熱だけが残っていた。 相談しようと向かった相手こそが、自分を侵食している張本人だとも知らずに、パックは父の部屋の扉を開く。 このお話はムーンライトでも投稿してます〜

悪役の僕 何故か愛される

いもち
BL
BLゲーム『恋と魔法と君と』に登場する悪役 セイン・ゴースティ 王子の魔力暴走によって火傷を負った直後に自身が悪役であったことを思い出す。 悪役にならないよう、攻略対象の王子や義弟に近寄らないようにしていたが、逆に構われてしまう。 そしてついにゲーム本編に突入してしまうが、主人公や他の攻略対象の様子もおかしくて… ファンタジーラブコメBL シリアスはほとんどないです 不定期更新

劣等アルファは最強王子から逃げられない

BL
リュシアン・ティレルはアルファだが、オメガのフェロモンに気持ち悪くなる欠陥品のアルファ。そのことを周囲に隠しながら生活しているため、異母弟のオメガであるライモントに手ひどい態度をとってしまい、世間からの評判は悪い。 ある日、気分の悪さに逃げ込んだ先で、ひとりの王子につかまる・・・という話です。

悪役令息を改めたら皆の様子がおかしいです?

  *  ゆるゆ
BL
王太子から伴侶(予定)契約を破棄された瞬間、前世の記憶がよみがえって、悪役令息だと気づいたよ! しかし気づいたのが終了した後な件について。 悪役令息で断罪なんて絶対だめだ! 泣いちゃう! せっかく前世を思い出したんだから、これからは心を入れ替えて、真面目にがんばっていこう! と思ったんだけど……あれ? 皆やさしい? 主人公はあっちだよー? ユィリと皆の動画をつくりました! インスタ @yuruyu0 絵も動画もあがります。ほぼ毎日更新 Youtube @BL小説動画 アカウントがなくても、どなたでもご覧になれます。動画を作ったときに更新 プロフのWebサイトから、両方に飛べるので、もしよかったら! 名前が  *   ゆるゆ  になりましたー! 中身はいっしょなので(笑)これからもどうぞよろしくお願い致しますー! ご感想欄 、うれしくてすぐ承認を押してしまい(笑)ネタバレ 配慮できないので、ご覧になる時は、お気をつけください!

処理中です...