血と束縛と

北川とも

文字の大きさ
464 / 1,289
第22話

(1)

しおりを挟む




 かぶっていた帽子を取った和彦は、髪を掻き上げる。気候のよさのせいだけではなく、春が近づいてきている証拠か、思いがけず気温が高い。歩いているうちにすっかり汗ばんでしまった。
 石畳の通りを歩く人たちに目を向ければ、地元住民と観光客の違いが服装に出ているようだ。観光客は持て余し気味にコートやジャケットを腕にかけているが、地元の人たちはすでに春らしい軽装だ。
 春が近づいているどころか、ここはもう春が訪れているのだ。
 和彦は改めて、ここが旅先なのだと実感する。柔らかな風も、空気の匂いも、見渡せる風景も、何もかもが今暮らしている地域とは違う。
 これが一人旅なら、どれだけ肩の力を抜いて楽しめただろうか――。
 和彦は深刻なため息をつくと、帽子をかぶり直して歩き出す。有名な寺が近くにあるという場所柄か、通りに並ぶ土産物屋も落ち着いた雰囲気を醸し出しており、店先に出ている商品も、渋いものが多い。
 特に何か買うつもりはなかった和彦だが、藍染め商品を扱う店が目につき、ついふらふらと中に入る。サングラスを外してざっと店内を見て回る。
 ブックカバーが気に入り、数種類の柄を選んでから、次に扇子に目移りする。いままで扇子など使ったことはないのだが、賢吾がせっかく春に合わせて着物を一揃いあつらえてくれたこともあり、何か一つぐらい、着物に合いそうな小物を自分で揃えてみようかと思ったのだ。
 和彦が扇子の一本を手に取ろうとしたとき、隣にスッと誰かが立つ気配がした。
「――それは、自分で使うのかね?」
 いきなり話しかけられ、飛び上がりそうなほど驚く。隣を見ると、守光が身を乗り出すようにして扇子を眺めていた。さきほどまで、和彦よりずいぶん先を歩いていたはずだが、わざわざ引き返してきたようだ。
 店の入り口のほうに目をやると、スーツ姿の男たちがこちらをうかがいつつ、外で待っていた。
「あっ、すみません。勝手に動き回って……」
「かまわんよ。なんといってもわしは、あんたを〈観光旅行〉に連れてきたんだ。こういうところで買い物をしないと、旅行の醍醐味がないだろう」
 守光から悪戯っぽく笑みを向けられ、和彦はぎこちなく応じる。
 守光だけでなく、その守光に同行している総和会の男たちも、儀礼的ではあるにせよ和彦には丁寧に接し、何かと気遣ってくれる。まさに、大名旅行だ。
「とは言え、観光できる時間はあまり取れない。会合の間、あんただけでも自由に出歩かせてやりたいが、賢吾と千尋から預かっている以上、何かあったら申し訳ない」
「……ぼくみたいな人間が一人でふらふらしていたところで、何かあるとも思えませんが……」
「その理屈は、賢吾相手でも通じんだろう。だから、クリニックの送り迎えを組員にさせている」
 和彦が苦い顔となると、守光は低く笑い声を洩らした。差し出された扇子を受け取って広げる。いくら買い物好きの和彦でも、この状況で守光を差し置いて店内をうろうろもできず、並んで扇子を選ぶことになる。
「まさか、あんたが今回の旅行についてきてくれるとは思わなかったよ」
 守光の言葉に、和彦の罪悪感が疼く。自分でも、誰に対して抱いているのか判断できない感情だ。
 守光から、旅行の出発日を知らせる連絡を受けたとき、和彦の気持ちは大きく揺れている最中だった。里見の職場近くで偶然、なぜか英俊と一緒に歩いているところを見かけたせいだ。かつての上司と部下である二人が、里見が転職後も親交があっても不思議ではない。里見自身、佐伯家といまだ繋がっていることを認めていた。
 頭では、そんな事情を理解しているのだ。だが、二人が一緒にいる場面を見た和彦を支配したのは、嫉妬だ。事情も理屈も関係ない、率直な感情だ。
 動揺していた和彦は、守光からの旅行の誘いに応じた。上手く断る理由が思いつかなかったというのは、単なる言い訳にしかならない。賢吾に相談して改めて返事を、と言うことはできたはずなのに、和彦はあえて一人で決めた。
 旅行に同行する件は守光から賢吾に告げられたようだが、和彦はその賢吾から何も言われなかった。正確には、和彦が本宅に顔を出さなかった。顔を合わせるのを避けたのだ。
「――何か、悩み事でもあるのかね?」
 かけられた言葉に、和彦はハッとして隣を見る。返事をしなくとも、肯定したようなものだ。守光は相変わらず団扇を選んでいる。
「連れてきておいて、いまさらこんなことを言うのもあれだが、今回の誘いを遠慮なく断ってもらってもよかったんだ。無理強いは、わしの本意じゃない」
 そう思っていながら、総和会会長自ら、和彦に旅行の日程を知らせてきたのだとしたら、やはり心理的圧力を狙っていたのだろうか――。

しおりを挟む
感想 92

あなたにおすすめの小説

執着

紅林
BL
聖緋帝国の華族、瀬川凛は引っ込み思案で特に目立つこともない平凡な伯爵家の三男坊。だが、彼の婚約者は違った。帝室の血を引く高貴な公爵家の生まれであり帝国陸軍の将校として目覚しい活躍をしている男だった。

秘花~王太子の秘密と宿命の皇女~

めぐみ
BL
☆俺はお前を何度も抱き、俺なしではいられぬ淫らな身体にする。宿命という名の数奇な運命に翻弄される王子達☆ ―俺はそなたを玩具だと思ったことはなかった。ただ、そなたの身体は俺のものだ。俺はそなたを何度でも抱き、俺なしではいられないような淫らな身体にする。抱き潰すくらいに抱けば、そなたもあの宦官のことなど思い出しもしなくなる。― モンゴル大帝国の皇帝を祖父に持ちモンゴル帝国直系の皇女を生母として生まれた彼は、生まれながらの高麗の王太子だった。 だが、そんな王太子の運命を激変させる出来事が起こった。 そう、あの「秘密」が表に出るまでは。

奇跡に祝福を

善奈美
BL
 家族に爪弾きにされていた僕。高等部三学年に進級してすぐ、四神の一つ、西條家の後継者である彼が記憶喪失になった。運命であると僕は知っていたけど、ずっと避けていた。でも、記憶がなくなったことで僕は彼と過ごすことになった。でも、記憶が戻ったら終わり、そんな関係だった。 ※不定期更新になります。

かわいい美形の後輩が、俺にだけメロい

日向汐
BL
過保護なかわいい系美形の後輩。 たまに見せる甘い言動が受けの心を揺する♡ そんなお話。 【攻め】 雨宮千冬(あめみや・ちふゆ) 大学1年。法学部。 淡いピンク髪、甘い顔立ちの砂糖系イケメン。 甘く切ないラブソングが人気の、歌い手「フユ」として匿名活動中。 【受け】 睦月伊織(むつき・いおり) 大学2年。工学部。 黒髪黒目の平凡大学生。ぶっきらぼうな口調と態度で、ちょっとずぼら。恋愛は初心。

後宮の男妃

紅林
BL
碧凌帝国には年老いた名君がいた。 もう間もなくその命尽きると噂される宮殿で皇帝の寵愛を一身に受けていると噂される男妃のお話。

何故か正妻になった男の僕。

selen
BL
『側妻になった男の僕。』の続きです(⌒▽⌒) blさいこう✩.*˚主従らぶさいこう✩.*˚✩.*˚

帝は傾国の元帥を寵愛する

tii
BL
セレスティア帝国、帝国歴二九九年――建国三百年を翌年に控えた帝都は、祝祭と喧騒に包まれていた。 舞踏会と武道会、華やかな催しの主役として並び立つのは、冷徹なる公子ユリウスと、“傾国の美貌”と謳われる名誉元帥ヴァルター。 誰もが息を呑むその姿は、帝国の象徴そのものであった。 だが祝祭の熱狂の陰で、ユリウスには避けられぬ宿命――帝位と婚姻の話が迫っていた。 それは、五年前に己の采配で抜擢したヴァルターとの関係に、確実に影を落とすものでもある。 互いを見つめ合う二人の間には、忠誠と愛執が絡み合う。 誰よりも近く、しかし決して交わってはならぬ距離。 やがて帝国を揺るがす大きな波が訪れるとき、二人は“帝と元帥”としての立場を選ぶのか、それとも――。 華やかな祝祭に幕を下ろし、始まるのは試練の物語。 冷徹な帝と傾国の元帥、互いにすべてを欲する二人の運命は、帝国三百年の節目に大きく揺れ動いてゆく。 【第13回BL大賞にエントリー中】 投票いただけると嬉しいです((꜆꜄ ˙꒳˙)꜆꜄꜆ポチポチポチポチ

君に望むは僕の弔辞

爺誤
BL
僕は生まれつき身体が弱かった。父の期待に応えられなかった僕は屋敷のなかで打ち捨てられて、早く死んでしまいたいばかりだった。姉の成人で賑わう屋敷のなか、鍵のかけられた部屋で悲しみに押しつぶされかけた僕は、迷い込んだ客人に外に出してもらった。そこで自分の可能性を知り、希望を抱いた……。 全9話 匂わせBL(エ◻︎なし)。死ネタ注意 表紙はあいえだ様!! 小説家になろうにも投稿

処理中です...