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第33話
(16)
しおりを挟む翌朝、和彦の心情としては心ゆくまで惰眠を貪りたいところだったが、神経が高ぶったまま眠りについた弊害か、外が明るくなり始めた頃にはすっかり目が覚めてしまった。
まだ眠っている賢吾と千尋に恨みがましい視線を向けてから、洗面所でさっさと身支度を整えると、静かに部屋を出る。二度寝するには目が冴えすぎてしまい、だったらせめて、早朝の外の空気をたっぷり吸い込んでおこうと思ったのだ。
感心なことに、賢吾の部屋の側には長嶺組の組員が待機しており、和彦の姿を見るなり足早に歩み寄ってきた。
「どうかしましたか、先生?」
「目が覚めたから、朝の散歩をしようかと思って」
「でしたら、護衛の者を呼びますから、少しお待ちください」
そこまでしてもらうようなことではないと、和彦は慌てて制止する。しかし組員の立場としては、和彦を一人で外に出すわけにはいかないだろう。どうしても散歩に行きたくて仕方ない、というわけでもないため、和彦は希望を変えた。
宿の別フロアにある展望室へと移動し、コーヒーを飲みつつ、海を眺める。散歩に出たところで、昨夜の行為のせいもあって、どうせ宿の周囲を歩くのが精一杯だっただろう。それを思えば、こうしてゆったりと過ごすのも悪くない。当然、この状況にあっても、組員が側に控えているのだが。
朝刊を読み終えた頃に、朝食の準備ができたと言われ、守光が宿泊しているという部屋に案内される。
すでに膳が並べられ、守光だけではなく、賢吾と千尋も席についている。長嶺の三世代の男たちが揃っているわけだが、ここに自分が加わることに、いまさらながら和彦は強い違和感を覚える。
「どうした、先生」
和彦の逡巡を素早く感じ取ったのか、賢吾に声をかけられる。なんでもないと首を横に振り、急いで千尋の隣に座った。
朝食の席の雰囲気は、和やかの一言だった。
三世代の男たちが穏やかな表情と口調で、他愛ない世間話をしており、たまに話を振られる和彦も、自然に受け答えることができる。
こうして見ると、ごくありふれた家族の一場面なのだが――。
味噌汁の入った椀に口をつけながら、和彦は正直、珍しい場面に遭遇しているという気持ちが心のどこかにあった。三人が一同に会した場面には、これまでも遭遇してはいるのだが、この場所は、長嶺組と総和会のテリトリーではない。そのことが多少なりと関係しているのかもしれない。
「今日、これから向かう宿だったら、もう少しのびのびと寛げるだろう。散歩に出たいと言っても、護衛をつけて歩かなくてもいい程度には。いるのは、身内だけだ。名目はわしの休養ということにしてあるから、不粋な訪問者もいないはずだ」
今朝の些細な出来事が、さっそく守光の耳に入っていたのかと、和彦はわずかに顔を熱くする。
「そうなんですか……?」
そう応じながら、さりげなく賢吾を見る。薄い笑みで返された途端、昨夜の自分の行為が蘇り、ますます顔が熱くなった。
「ただ、宿に向かう途中、立ち寄るところがある。身内だけのささやかな恒例行事だ」
それがなんであるか、その場では誰も教えてくれなかったが、朝食を終え、千尋とともに部屋に戻ると、出るときにはなかった二人分のダークスーツが用意されていた。
「ぼくの分も……」
「〈身内〉の行事だからね。仰々しいものじゃないから、身構えなくても大丈夫だよ」
そう言われはしたものの、あれこれ推測して考え込む和彦だったが、千尋に急かされ、ダークスーツを取り上げる。
着替えを済ませてから、宿をチェックアウトして駐車場に向かうと、長嶺組と総和会の関係者たちが揃っていた。引き締まった表情の男たちが、辺りを慎重にうかがっている様子は、普通の神経をしている者なら、まず近寄りたくはないだろう。和彦も、見知った男たちの顔がなければ、同じ心境になっていたはずだ。
和彦同様、ダークスーツに身を包んだ三田村の姿を見かけ、一瞬胸が甘く疼く。ごく普通のスーツ姿の中嶋と目が合ったときは、つい口元に笑みが浮かんでいた。
千尋の車に同乗し、さっそく出発となったが、車列に守光が乗る車も加わったことで、警護の厳重さが増し、とてもではないが今回はウィンドーを下ろしたいと言える空気ではない。
流れる景色をぼんやりと眺めていると、千尋に手を握られる。横目で見ると、澄ました顔で正面を向いている。あえて注意するほどのことでもないので、好きにさせておく。
程よく冷えた空気と、微かな車の振動、それに、子供を思わせる千尋の熱い手の感触が、和彦の眠気を促す。今朝は強引に起こされたこともあり、強烈な誘惑には抗えない。意識をふっと手放した瞬間に、もう何もわからなくなる。
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