血と束縛と

北川とも

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第34話

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「なんだか先生、すっかり心配性になりましたね。俺のことは心配しなくても大丈夫ですよ。少なくとも先生のせいで、俺の立場が悪くなることはありませんから」
「……感覚がよく掴めないんだ。ぼくの言動が、周囲にどういう影響を与えるか。長嶺組とだけ関わっているときは、まだ平気だったんだ。だけど……」
「総和会――というより、長嶺会長と関わると、自分の存在の大きさがわからなくなりますか」
「実体や実力以上の影響力を得たようで、怖くなる。ぼくにその気がなくても、誰かを傷つけるかもしれない」
 エレベーターが最上階に到着し、先に降りた中嶋が慎重に辺りをうかがってから、こちらに向かって頷く。
 秦の部屋は、前回訪れたときからあまり様子は変わっていないように見えた。秦自身が、仕事で出張の多い生活を送っているせいもあるだろうが、中嶋が主に代わってきちんと管理しているのかもしれない。
「きれいなままだな」
「隣の部屋は覗かないでくださいね。秦さんが、雑貨の商品サンプルを溜め込んでいるんで」
 和彦は思わず噴き出してしまう。
「すっかり雑貨屋の経営者だな」
「こまごまとした商品を扱うと手間がかかると、よくぼやいていますよ。でも、利益はけっこう出しているようです。――どんな雑貨を扱っているんだか」
 中嶋から意味ありげな流し目を向けられ、和彦は苦笑で返す。
「ぼくは何も知らないからな。秘密主義の男たちが顔寄せ合って相談したんだろうから、探ろうという気にもならない」
「先生、隠し事に向かないタイプですから、それでいいかもしれませんね」
 いろいろと身に覚えがある和彦は、あえて返事は避けておく。
 中嶋を手伝い、買ってきたものをさっそく温め直したり、皿に盛り付けたりして、ラグの上に並べていく。
 ハンバーガーにかぶりつく和彦を、中嶋はいくぶん呆れた様子で眺めながら、フライドポテトを口に放り込む。
「こういうもので喜んでくれるなら、俺に言ってくれれば、いつでも買ってきて、配達しますよ」
「……会長の部屋で、ハンバーガーの匂いをプンプンさせている光景を想像できるか?」
 一瞬の間を置いて、中嶋が大仰に首を竦めた。
「考えただけで、首筋が冷たくなりました」
 そう言って中嶋は缶ビールを呷ったが、和彦はグラスに注いだワインを飲む。やはり、気楽な雰囲気の中で飲むアルコールは美味しい。すぐにグラスを空けてしまうと、すかさず中嶋がワイン瓶を傾けたので、遠慮なく注いでもらう。
 本部を出る直前の南郷とのやり取りを忘れ、いくらか楽しい気分になってきていたが、次の中嶋の言葉で、瞬く間に現実に引き戻された。
「――やっぱり先生、本部では長嶺会長の部屋で生活しているんですね」
「もちろん部屋は別々だけど、感覚としては、同じ家、だな。一応名目として、会長の健康管理のためということになっているし。もっとも本部では、あまり医者らしいことはしてないけど……」
 必要とされているのは、守光に尽くし、可愛がられる〈オンナ〉だ。
 口調に滲んだ苦々しさに気づいたのか、中嶋がぐいっと身を乗り出してくる。
「いろいろと溜め込んでいるようですね。海で泳いで、少しは気晴らしができていたように見えたんですが」
「連休が終わって、逃げられない現実を眼前に突きつけられている最中というか――。でも、君と海で泳いだのは楽しかった」
 食べたかったはずのハンバーガーなのに、半分も食べないうちに濃い味つけに辟易してしまう。水代わりにワインを喉に流し込み、思わずため息をついた次の瞬間、我に返った。慌てて中嶋に謝罪する。
「すまない。せっかくつき合ってもらっているのに、ため息なんて――……」
「だから先生は、気をつかいすぎなんですよ。ほら、どんどん飲んでください。動けなくなっても、帰りのことは心配しなくていいですから」
 それはそれで、総和会から中嶋が注意を受けるのではないかと思ったが、気をつかいすぎだと言われたばかりだということもあり、和彦は頷いてグラスにワインを注いでもらった。


 ラグの上に転がった和彦は、思いきり手足を伸ばして天井を見上げていた。アルコールが全身を駆け巡り、軽い酩酊感が心地いい。
「先生、水飲みますか?」
 片付けを終えた中嶋が傍らに膝を突き、真上から顔を覗き込んでくる。頷くと、肩を支えて起こされ、ペットボトルを渡される。冷たい水を一口、二口と飲んでからペットボトルを返すと、中嶋も口をつけた。
 和彦は髪を掻き上げ、壁にかかった時計にちらりと目をやる。
「……ここに泊まりたいな」
「俺としては、先生の要望はなんでも叶えてあげたいですけど、それは多分、許可が下りないと思いますよ。南郷さんが嫌がる」

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