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第35話
(23)
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「布団を敷かせるよう言って、ついでに、安定剤も持ってこさせる。飲んで、さっさと横になれ。――総和会のことは、当分気にするな」
顔を伏せたまま和彦は微かに頷く。厳しい追及を受けなかったことに安堵する余裕すらなかった。
静かに襖が閉められて再び一人になった途端、まるで自分自身を安心させるかのように考える。
俊哉が意味ありげに言った、準備が必要だという発言は、今すぐ総和会や長嶺組を相手に事を荒立てる気はないと判断していいだろう。
いくらか時間が稼げる間に、自分に何ができるか考えなければならない。情を注いで大事にしてくれる男たちに手が及ばないようできるかということが最優先だが、できることなら、鷹津の消息も知りたい。
「――……最低だ、ぼくは……」
いまさらながら自分の多情さを心の中で罵り、和彦は小さくため息をこぼした。
ラテックス手袋をゴミ袋に放り込んだ和彦は、すっかり強張ってしまった眉間を指の腹で押さえる。機嫌は確かによくないが、光量が十分でない場所でずっと目を凝らして縫合を行っていたため、気がつけば険しい顔になっていた。
「お疲れ様でした、先生」
治療に立ち合っていた組員に声をかけられ、ああ、と短く応じる。すっかり和彦の手順を覚えたらしく、すかさずメモ用紙とボールペンが差し出される。受け取ると、必要なことを手早く書いていく。
メモ用紙を破り取って組員に手渡してから、手術衣を脱いだ和彦は、患者の男をちらりと振り返る。顔半分を覆うようにガーゼを貼った男は、悄然とした様子でイスに腰掛けていた。他の組の組員と乱闘になり、その最中に顔を切りつけられたそうだ。
和彦がここに到着したときは、妙な薬でも飲んでいるのかと思うような興奮状態だったが、無造作な手つきで縫合を始めたときには、人が変わったようにおとなしくなり、とうとう今のような状態となった。
首を傾げつつ部屋を出た和彦に、同行してきた組員が苦笑交じりに話しかけてきた。
「切りつけてきた連中よりも、無表情で皮膚を縫い合わせる先生のほうが怖かったんでしょうね」
「……絶対、刃物を向けてくる人間のほうが怖いと思うんだが……」
「先生の背後にいる、どなたかの影も見えていたのかもしれません」
なるほど、と和彦は口中で呟く。
建物を出ると、待機していた長嶺組の車に乗り込む。シートに体を預けた途端に一気に疲労感が押し寄せてきて、心の底からのため息が出た。
クリニックの仕事を終えてから、送迎の車に乗り込んだところで、至急診てもらいたい患者がいると言われて連れてこられたのだ。組の仕事をこなすのは久しぶりで、自分にとっての日常が戻ってきたような、複雑な感覚に陥る。
鷹津による騒動があってからおよそ半月が経ったが、和彦の身はいまだに長嶺組の預かりとなっていた。その間、総和会からの接触はなく、和彦から一度だけ、騒動を詫びるために守光に連絡を取ったきりだ。それですべてが終わったと思えるはずもなく、男たちは血眼になって鷹津を捜しているだろう。もしかすると、すでに身柄を押さえているかもしれない。
なんにしても、今の和彦はすべての事情や情報から、我が身を遠ざけていた。何も知りたくないと、耳を塞ぎ、目を閉じているのだ。そうやって、精神の安定を図っている。
途中でコンビニに寄ってもらい、ささやかな夕食や飲み物を買い込む。店を出た和彦が提げた袋を見て、組員は一瞬物言いたげな顔をしたものの、結局は何も言わずに後部座席のドアを開けてくれた。
賢吾はどうやら組員たちに、今は和彦の好きにさせるよう言っているようだった。その証拠に、車は本宅に寄ることなく、まっすぐ自宅マンションへと向かう。和彦の身に何か起これば、本宅で寝泊まりさせるのが常だったが、今回ばかりはそれが和彦の精神を圧迫すると、皆、感じているのだ。
和彦がマンションで一人で過ごすことについて、いまだに何も言われない。
部屋に帰りついたときには、何もする気力が起きなくて、着替えてベッドに潜り込みたい衝動に駆られたが、明日はクリニックが休みだということで、なんとか思い直す。
手早くシャワーを済ませて出ると、いくらか気持ちもマシになり、簡単な夕食を済ませた。
和彦はペットボトルを手に書斎に入る。イスに腰掛け、二台の携帯電話をデスクに並べて置いたが、そのうちの一台を手に取った。
表面上、鷹津の件では驚くほど理性的な反応を見せていた賢吾だが、激しい嫉妬心をうかがわせる出来事があった。本宅に一泊した翌朝、和彦は自分の携帯電話を見ていて気がついたが、いつの間にか、アドレスから鷹津の名が消去されていたのだ。
顔を伏せたまま和彦は微かに頷く。厳しい追及を受けなかったことに安堵する余裕すらなかった。
静かに襖が閉められて再び一人になった途端、まるで自分自身を安心させるかのように考える。
俊哉が意味ありげに言った、準備が必要だという発言は、今すぐ総和会や長嶺組を相手に事を荒立てる気はないと判断していいだろう。
いくらか時間が稼げる間に、自分に何ができるか考えなければならない。情を注いで大事にしてくれる男たちに手が及ばないようできるかということが最優先だが、できることなら、鷹津の消息も知りたい。
「――……最低だ、ぼくは……」
いまさらながら自分の多情さを心の中で罵り、和彦は小さくため息をこぼした。
ラテックス手袋をゴミ袋に放り込んだ和彦は、すっかり強張ってしまった眉間を指の腹で押さえる。機嫌は確かによくないが、光量が十分でない場所でずっと目を凝らして縫合を行っていたため、気がつけば険しい顔になっていた。
「お疲れ様でした、先生」
治療に立ち合っていた組員に声をかけられ、ああ、と短く応じる。すっかり和彦の手順を覚えたらしく、すかさずメモ用紙とボールペンが差し出される。受け取ると、必要なことを手早く書いていく。
メモ用紙を破り取って組員に手渡してから、手術衣を脱いだ和彦は、患者の男をちらりと振り返る。顔半分を覆うようにガーゼを貼った男は、悄然とした様子でイスに腰掛けていた。他の組の組員と乱闘になり、その最中に顔を切りつけられたそうだ。
和彦がここに到着したときは、妙な薬でも飲んでいるのかと思うような興奮状態だったが、無造作な手つきで縫合を始めたときには、人が変わったようにおとなしくなり、とうとう今のような状態となった。
首を傾げつつ部屋を出た和彦に、同行してきた組員が苦笑交じりに話しかけてきた。
「切りつけてきた連中よりも、無表情で皮膚を縫い合わせる先生のほうが怖かったんでしょうね」
「……絶対、刃物を向けてくる人間のほうが怖いと思うんだが……」
「先生の背後にいる、どなたかの影も見えていたのかもしれません」
なるほど、と和彦は口中で呟く。
建物を出ると、待機していた長嶺組の車に乗り込む。シートに体を預けた途端に一気に疲労感が押し寄せてきて、心の底からのため息が出た。
クリニックの仕事を終えてから、送迎の車に乗り込んだところで、至急診てもらいたい患者がいると言われて連れてこられたのだ。組の仕事をこなすのは久しぶりで、自分にとっての日常が戻ってきたような、複雑な感覚に陥る。
鷹津による騒動があってからおよそ半月が経ったが、和彦の身はいまだに長嶺組の預かりとなっていた。その間、総和会からの接触はなく、和彦から一度だけ、騒動を詫びるために守光に連絡を取ったきりだ。それですべてが終わったと思えるはずもなく、男たちは血眼になって鷹津を捜しているだろう。もしかすると、すでに身柄を押さえているかもしれない。
なんにしても、今の和彦はすべての事情や情報から、我が身を遠ざけていた。何も知りたくないと、耳を塞ぎ、目を閉じているのだ。そうやって、精神の安定を図っている。
途中でコンビニに寄ってもらい、ささやかな夕食や飲み物を買い込む。店を出た和彦が提げた袋を見て、組員は一瞬物言いたげな顔をしたものの、結局は何も言わずに後部座席のドアを開けてくれた。
賢吾はどうやら組員たちに、今は和彦の好きにさせるよう言っているようだった。その証拠に、車は本宅に寄ることなく、まっすぐ自宅マンションへと向かう。和彦の身に何か起これば、本宅で寝泊まりさせるのが常だったが、今回ばかりはそれが和彦の精神を圧迫すると、皆、感じているのだ。
和彦がマンションで一人で過ごすことについて、いまだに何も言われない。
部屋に帰りついたときには、何もする気力が起きなくて、着替えてベッドに潜り込みたい衝動に駆られたが、明日はクリニックが休みだということで、なんとか思い直す。
手早くシャワーを済ませて出ると、いくらか気持ちもマシになり、簡単な夕食を済ませた。
和彦はペットボトルを手に書斎に入る。イスに腰掛け、二台の携帯電話をデスクに並べて置いたが、そのうちの一台を手に取った。
表面上、鷹津の件では驚くほど理性的な反応を見せていた賢吾だが、激しい嫉妬心をうかがわせる出来事があった。本宅に一泊した翌朝、和彦は自分の携帯電話を見ていて気がついたが、いつの間にか、アドレスから鷹津の名が消去されていたのだ。
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