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第43話
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和彦が口を開きかけたとき、宮森の手がそっと肘にかかって促される。前の女性客がいなくなり、和彦の番になっていた。しかし、賢吾から頼まれた通りの品を淀みなく注文したのは宮森だった。さらに、イートインコーナーの利用と、二人分の紅茶とチョコレートケーキも。
てきぱきと支払いまで終えた宮森に言われるまま、和彦はふらふらと店の奥へと移動する。すると、待っていたようなタイミングで、スーツ姿の男二人が素早く立ち上がった。鷹揚に頷いた宮森が、空いたばかりのテーブルを示す。
和彦は、テーブルの上の片付けが終わるまで、半ば呆然として宮森を見ていた。ここまでスムーズに物事が進むと、さすがに察しないわけにはいかない。
つまり今の状況は、賢吾と宮森の間で打ち合わせ済みなのだ。だから、和彦の護衛を務める組員も、店までついてこなかった。
これは安心していいのだろうと、和彦は詰めていた息をゆるゆると吐き出す。いくらか落ち着いて、正面の席についた宮森を見つめ返すことができた。
寸前までこのテーブルについていた男たちとは対照的に、宮森の格好はラフだった。羽織っているステンカラーコートの下はハイネックのニット、チノパンツという装いで、散歩帰りにこのケーキ屋に立ち寄ったというふうに見える。堅気の中に上手く溶け込んでいるようだが、しかし、溶け込みすぎて不自然さを感じる。
和彦の知る組関係者は、容貌を含めて際立った個性を持つ男たちが多い中、宮森は一見すべてにおいて凡庸だった。ごくごく普通の顔立ちに痩躯で中背。まっとうな勤め人のような険のない落ち着いた雰囲気。年齢は四十代前半から半ば。
凡庸さの中に、鋭すぎる本性を隠しているようで、本能的に畏怖めいた感情を抱いてしまう。
和彦が臆病だからこそ働く勘なのか、それとも、身構えすぎているだけなのか。これまで顔を合わせても二、三言、挨拶しか交わしてこなかったため、判断がつきかねた。しかし今――。
宮森がイスに座り直した拍子に、きれいにセットされている髪が一筋、額に落ちる。スッと髪を掻き上げる一連の仕種をなんとなく目で追った和彦だが、このとき、宮森の左手に小指がないことに気づいた。心臓に冷たい針を打ち込まれたようで、一瞬息が止まる。
見てはいけないものを見てしまった気まずさに、不自然に視線がさまよう。宮森が小さく笑い声を洩らした。
「不調法なものを見せてしまって申し訳ない。気にしないでほしい。ずいぶん昔の、いわゆる若気の至りの結果というやつなので」
もちろん和彦は、指が欠けている組員をこれまで何人か目にしてきた。長嶺組は、警察に付け入る隙を与えるだけだからと、ケジメの付け方について、体を傷つける処置は取りたがらない。しかし、他の組もそうかといえば、昔ながらの流儀を守り続けるところはいくらでもある。または、血気に逸って独断で、落とした指を持ってくる者もいるという。
事情はさまざまだが、現実として指が欠けている組員はおり、その光景を目にするたびに和彦はぎょっとし、結果として、組員たちの指をなるべく注視しないという癖が身についてしまったのだが、今のは不可抗力だ。
宮森は本当に極道なのだと、改めて実感させられる。それと同時に、三田村はよくぞ指を落とされなかったものだと、いまさらながら震え上がる。
チョコレートケーキと紅茶が運ばれてきて、それぞれの前に置かれる。宮森が、どうぞと軽く手で示した。
「――あなたには、本来であれば頼み事をする前に、詫びにあがらなければいけなかった。ずいぶん礼を欠いてしまい、いまさらだが、許してもらいたい」
和彦がチョコレートケーキをようやく一口食べたところで、宮森に言われる。なんのことかと首を傾げると、宮森がふっと目元を和らげた。
「館野顧問から、ずいぶんきついことを言われたと聞いた。あの人は、あれが仕事だ。今の組長に代替わりして、長嶺組の顔ぶれもいくらか若返った。だからこそ、古参の者は口うるさくなければならない、と」
「いえ……。何を言われても仕方ありませんから」
「とはいえ、今後は一切、佐伯先生と三田村のことに口出し無用と、わたしのほうからも言っておいた。長嶺組長から言われたほうが、あの人には堪えただろうが」
宮森は、自身が和彦と三田村の関係をどう思っているか、一切表情からは読ませない。抑揚に乏しい声音からも、感情の揺れというものが感じられないのだ。凄まれるのとはまた違った怖さが、宮森にはある。
これが、長嶺組の中で頭角を現して、看板を与えられた人物なのだ。
チョコレートケーキの味がまったくわからないと、和彦はそっと息を吐く。紅茶も、砂糖を入れるのを忘れてしまった。
「実は今日は、肩書きや立場は関係なく、あなたに会いたかった」
てきぱきと支払いまで終えた宮森に言われるまま、和彦はふらふらと店の奥へと移動する。すると、待っていたようなタイミングで、スーツ姿の男二人が素早く立ち上がった。鷹揚に頷いた宮森が、空いたばかりのテーブルを示す。
和彦は、テーブルの上の片付けが終わるまで、半ば呆然として宮森を見ていた。ここまでスムーズに物事が進むと、さすがに察しないわけにはいかない。
つまり今の状況は、賢吾と宮森の間で打ち合わせ済みなのだ。だから、和彦の護衛を務める組員も、店までついてこなかった。
これは安心していいのだろうと、和彦は詰めていた息をゆるゆると吐き出す。いくらか落ち着いて、正面の席についた宮森を見つめ返すことができた。
寸前までこのテーブルについていた男たちとは対照的に、宮森の格好はラフだった。羽織っているステンカラーコートの下はハイネックのニット、チノパンツという装いで、散歩帰りにこのケーキ屋に立ち寄ったというふうに見える。堅気の中に上手く溶け込んでいるようだが、しかし、溶け込みすぎて不自然さを感じる。
和彦の知る組関係者は、容貌を含めて際立った個性を持つ男たちが多い中、宮森は一見すべてにおいて凡庸だった。ごくごく普通の顔立ちに痩躯で中背。まっとうな勤め人のような険のない落ち着いた雰囲気。年齢は四十代前半から半ば。
凡庸さの中に、鋭すぎる本性を隠しているようで、本能的に畏怖めいた感情を抱いてしまう。
和彦が臆病だからこそ働く勘なのか、それとも、身構えすぎているだけなのか。これまで顔を合わせても二、三言、挨拶しか交わしてこなかったため、判断がつきかねた。しかし今――。
宮森がイスに座り直した拍子に、きれいにセットされている髪が一筋、額に落ちる。スッと髪を掻き上げる一連の仕種をなんとなく目で追った和彦だが、このとき、宮森の左手に小指がないことに気づいた。心臓に冷たい針を打ち込まれたようで、一瞬息が止まる。
見てはいけないものを見てしまった気まずさに、不自然に視線がさまよう。宮森が小さく笑い声を洩らした。
「不調法なものを見せてしまって申し訳ない。気にしないでほしい。ずいぶん昔の、いわゆる若気の至りの結果というやつなので」
もちろん和彦は、指が欠けている組員をこれまで何人か目にしてきた。長嶺組は、警察に付け入る隙を与えるだけだからと、ケジメの付け方について、体を傷つける処置は取りたがらない。しかし、他の組もそうかといえば、昔ながらの流儀を守り続けるところはいくらでもある。または、血気に逸って独断で、落とした指を持ってくる者もいるという。
事情はさまざまだが、現実として指が欠けている組員はおり、その光景を目にするたびに和彦はぎょっとし、結果として、組員たちの指をなるべく注視しないという癖が身についてしまったのだが、今のは不可抗力だ。
宮森は本当に極道なのだと、改めて実感させられる。それと同時に、三田村はよくぞ指を落とされなかったものだと、いまさらながら震え上がる。
チョコレートケーキと紅茶が運ばれてきて、それぞれの前に置かれる。宮森が、どうぞと軽く手で示した。
「――あなたには、本来であれば頼み事をする前に、詫びにあがらなければいけなかった。ずいぶん礼を欠いてしまい、いまさらだが、許してもらいたい」
和彦がチョコレートケーキをようやく一口食べたところで、宮森に言われる。なんのことかと首を傾げると、宮森がふっと目元を和らげた。
「館野顧問から、ずいぶんきついことを言われたと聞いた。あの人は、あれが仕事だ。今の組長に代替わりして、長嶺組の顔ぶれもいくらか若返った。だからこそ、古参の者は口うるさくなければならない、と」
「いえ……。何を言われても仕方ありませんから」
「とはいえ、今後は一切、佐伯先生と三田村のことに口出し無用と、わたしのほうからも言っておいた。長嶺組長から言われたほうが、あの人には堪えただろうが」
宮森は、自身が和彦と三田村の関係をどう思っているか、一切表情からは読ませない。抑揚に乏しい声音からも、感情の揺れというものが感じられないのだ。凄まれるのとはまた違った怖さが、宮森にはある。
これが、長嶺組の中で頭角を現して、看板を与えられた人物なのだ。
チョコレートケーキの味がまったくわからないと、和彦はそっと息を吐く。紅茶も、砂糖を入れるのを忘れてしまった。
「実は今日は、肩書きや立場は関係なく、あなたに会いたかった」
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