【完結】砂の香り

黄永るり

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愚王

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 その昔、ジャミールの曽祖父に凄まじくも愚かしい王がいた。
 王は後にその所業から『愚王』と呼ばれるようになった。
 そもそもティジャーラ王国の歴代の王には、この愚王やジャミールのように人間よりも何かしらの物に執着する傾向があった。それこそ世継ぎや政治などどうでも良いと思ってしまうくらいに。
 建国の王は商いに没頭した王であったし、ジャミールは言わずもがな薔薇に執着している。
 そして愚王・ラガバートは、光り輝く宝石の類に執着した王だった。
 そのためにラガバートは、王国の宝とされていた没薬と乳香の原料が採れる木を、完全に枯れきるまで樹液を採取させ、原料の香種を全て国外に売り払ってしまった。全ては大陸中の金銀財宝と引き換えにするために。
 さらにラガバートは、他国の金山、銀山の採掘権まで買っていたらしい。
 とにかく彼の宝石にかける執念は凄まじいものだった。そのためにティジャーラ国内で流通させる金貨や銀貨まで鋳造することが出来なくなり、一時は、粗悪な金貨、銀貨が出回り国内経済も大混乱に陥ってしまった。
 そうまでして得た宝石を自らを飾る細工物に仕立て上げるのは言うに及ばず、王宮の外装や内装の象嵌細工にまで使い、最終的には王家の墓所まできらびやかに飾り立てたのだ。
 そんな夫を間近に見ていた王妃(先々代の太后)は、その目を盗んでわずかな香粒を壺に封印して宝物庫の奥に隠した。そしてそれを、当時の王太子であった自分の息子に伝えた。
 王太子も父王を母と共に諫めていたが、逆に父王の逆鱗に触れ、母ともども国外退去させられてしまった。死刑にされなかったのは、王妃の身分が時のエフェリラ皇帝の同母姉という高貴な身分で、ティジャーラ王国としては粗略に扱えない身分だったからである。それに王の姉姫の婚礼のために、皇帝が宝石好きの王に自国内にあった銀山の権利を一つ譲ってくれていたのである。
 退去させられた王妃と王太子は、ひとまず王妃の実家でもある皇国に戻った。皇帝は怒りのあまり出兵しようとしたが、賛同してくれるはずの姉でもある王妃に止められた。
 王妃には一つの目論見があったのだ。
 金銀財宝にのめりこむラガバートには側室という存在がいなかった。一夜の相手をさせられていた侍女や女官たちはいたかもしれないが。
 だから現状ラガバートに何かあった場合、国内に留まっている家臣たちから必ず迎えの者を寄こしてくるだろうと思っていたのだ。
 あまりにも酷い王の所業に心ある家臣たちも何とか諫めようとしたが、諫めれば本人だけでなく一族もろとも殺されてしまうという恐怖政治のような状態になっていたので、どうにも恐ろしくて何もできなかった。
 乳香と没薬の木が全て枯れ果てたという報告がラガバートの元に上がって数日後、ラガバートは寝台の上で謎の頓死を遂げていた。
 一説には、国内に留まっていた家臣全員と王に仕える女官や侍従たちが協力して、王に一服盛ったとも伝えられているが真偽のほどはわからない。ただ、王族のお抱え薬師の公式な見立ては心臓発作とされている。
 王の死後、国内の混乱を一刻も早く治めるために、王妃と王太子の帰国を残っている家臣たちが要請してきた。
 王妃の思惑通りに事が運んだわけである。
 王妃と王太子を呼び戻さずに、王家の分家筋から次期王を輩出する動きが全くなかったわけではなかったが、嫡流に最も近い分家といっても何代も前の王の子供を婿養子に迎えたり、王女を降嫁させたりした貴族の家だが、かなり縁戚関係は薄いといってもよかった。なので、そういうところから次期王を選んだとしても、エフェリラ皇国との友好関係を続けることは不可能に思われた。
 エフェリラ皇国の後ろ盾がなければ、すぐにでもティジャーラは他国から攻め込まれたりして戦争になってしまうかもしれない。
 国内の混乱を早々に治められて、エフェリラ皇国の後ろ盾も得られたまま家臣を一つにまとめられるとなると、やはり王妃と王太子以外に適役がいなかった。
 幸い王太子は、父王ラガバートのような愚かな振る舞いをするような息子ではなかった。
 王太子は父王の葬儀後、すぐに即位して、ラガバートが収集した金銀財宝の類を売り払い、国庫を潤すためにめちゃくちゃに上げられていた税金を元の金額まで下げて、さらにそれでも苦しい生活を強いられている国民には税を軽減した。
 ジャミールの祖父王は、こうやって何とか国を立て直し、空だった国庫も何とか元に戻しつつあった。それと同時に、ラガバートが枯らしたとされた乳香と没薬の木を、何とか再生できないか、と色々手を尽くした。そしてまた、枯渇する寸前に国外へ枝や苗を植樹しようと持ち去った商人たちの後も追った。軍も商人も使い徹底的に『ティジャーラの宝』を復活させようとした。
 さらに甥が即位したことでエフェリラ皇帝も援助を申し出てくれた。このことが追い風となって、ティジャーラはラガバートが即位する前の活気を取り戻したのだった。
 だが『ティジャーラの宝』が復活することはなかった。
 そのことをジャミールの祖父王が苦にし、末代まで伝えよと、一つの命を下した。
『失ってしまった我が国の宝、乳香と没薬の木を何としても再生し、再び我が国の宝とするように。そして二度と失うことのないようにせよ』
 ジャミールの父王もその命令を忠実に実行した。だが、祖父から父、そしてジャミールに至るまで、結局、二つの香木の苗木すら探し出すことは出来なかったし、枯れた木を再生することは出来なかった。
「我がご先祖ながら困った御方だ。だが、もうすぐ我が元に戻ってくるのだな」
 もう手に入れたかのように目の前の空を掴むジャミール。
「さようにございます」
「では、早速軍を編成させてお前につけてやろう。すぐに出立するように」
「御意」
 カーズィバは恭しく頭を垂れてから謁見の間を退出した。
 翌日、ジャミールは朝議で軍を編成して勅使とともに白砂漠へ派遣することを議題に出すと、ろくな審議も家臣たちにさせずに、そのまま無理やり自分の意見を通してしまった。
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