【完結】砂の香り

黄永るり

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旅の方針

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 半月後、サマラはだいぶ砂漠の旅にも慣れていた。
 ファジュルに何から何まで指示されなくても、一通りのことは普通に手伝えるようになった。天幕のこしらえ方、片付け方、食事の準備など日常に関することはできるようになっていた。
「もうすぐ目的地だね」
「ああそうだな」
「ここまで何にもなかったけど、何かタージル殿から情報は入ってるの?」
 サマラがこの半月ほどの間で学んだことと言えば、砂漠の旅の仕方くらいだ。
 特に旅する毎日に変化はなかった。
 懸念していた盗賊や追剥おいはぎたちに遭遇することもなく、誰かに命を狙われたこともなく、誰かが接触してきたこともない。嗅覚にも何の反応もない。
 ただ、サマラが寝ている間にファジュルに誰かが接触していたのならわからないが。
「別に。何も入ってない」
「そう」
「何だ?」
「ううん、何でもない」
 何らかの動きがあったという情報が欲しいような欲しくないような。
「あまりに順調な旅すぎて」
「順調だからって気を抜くなよ。俺たち二人に何もなくても、俺たちの知らないところで護衛たちが戦っているのかもしれないからな」
「そうだね」
 サマラの緩みかけていた緊張感が再び張りつめてくる。
「そうだ。そんな顔してろ」
「え?」
「なるべくこの間は、起きてる間は気を張っていろ。そのほうが何があっても冷静に対処できるだろう」
 ファジュルの言葉に、サマラは黙って頷いた。
 もうすでにサマラの前には、黄砂漠と赤砂漠の境目が現れてきている。
 ちょうど赤い色の砂と黄味がかった砂が混ざり合って微妙な赤茶色になっている。
 二つの砂漠の境界線が複雑に入り組んでいる証拠だ。
「ここら辺は砂が少ない。そして水場が多い」
 サマラの横でファジュルは地図と、目の前の風景とを交互に見ている。
「だからこの境界に沿って、草が生えていたり、遊牧民や旅人が水を求めてやってくるから小さな村が点在している」
 よくよく足元を見ると砂が少ないせいかところどころ赤茶色の大地が顔を覗かせていて、そこから小さな草が生えている。
 そして遠くを見ると、確かに集落らしきものが見えてきている。
「昔はこの辺りの集落で、乳香と没薬を育てていたんだ。だがそれも、三代前の王のせいでなくなってしまった」
 ファジュルの言い方はサマラを責めているような言い方だ。
 三代前の王はサマラにとって血の繋がっている先祖だからまあ仕方がないといえばそうなのだが。
 子孫としても香料職人としても心苦しい。
「乳香と没薬が育てられていた場所は……」
「だいたいが集落の端に作られていたらしいが、その乳香と没薬が愚王に奪われてから後は、関わるのを恐れて人々は散り散りになって逃げだしたらしい」
「じゃあ、あそこに見えている集落は全部廃墟ってこと?」
「という場合もあるし、行く所がないから家畜を養いながらそれで生活をしている者もいるらしい」
「人が住んでるかどうかは地図にでも書いてあるの?」
「いや書いてない。かつての集落の場所が書き込んであるだけだ。けど」
「けど?」
 あえてタージルは、詳しい集落の有る無しを記したものをファジュルに持たせなかった。いや、あえて持たせなかった。理由は簡単だ。一つで足りるものを二つも持っていく必要はないからだ。
「王太女からもらってきたという過去の調査資料の中にそういう報告書はなかったか?」
「あっ!」
 慌ててサマラは自分が連れていたラクダから荷袋を一つ降ろした。
 袋の口を開けて、持ってきた書物を探す。
 シャリーファから記録簿と国内の最新の地誌の写しの書物を渡されていたのだ。
「ったく。俺や親父殿ばかりに頼んなっつーの。一応、にも色々、持たされた『武器』があるだろう?」
 呆れたようなファジュルの声がサマラの頭上に落ちてきた。
 ファジュルは旅に出た最初の夜に宣言した通り、サマラのことを基本的にサマルと男の名前で呼んでいる。
「うっ……」
 サマラには何も反論することができなかった。
 ここしばらくの間、砂漠の旅のことが何もわかっていなかったサマラはほとんどファジュルの指示ばかり受けていた。そのせいで、すっかり旅の目的を忘れてしまいそうになっていた。何をしに自分がここまで来たのか。
 ファジュルの指示を受けてばかりだったために、自分が動かなければいけないことを忘れていた。
「私、だいぶあなたの従者になっていたみたいね」
「従者じゃなくて、弟、な」
「そうだった。弟でした」
 一冊の書物を取り出した。
 それには、国内の地誌をまとめたものだった。
 手に取って、ページをめくっていく。
 赤砂漠のページの後ろに、小さく境界線のページがあった。
「ここかな?」
 開けた部分をファジュルに見せる。
「そうだな。これだ。さすが王宮の書物だけあるな。細かく載ってる」
「そりゃあそうでしょうよ。陛下のおじいさまの時代からずっと定期的に探索されていたのだから」
 皮肉なことに乳香と没薬は見つからなかったが、結果、国内の地誌はしっかりとまとめられたのだ。砂漠のどこに集落があり、どんな遊牧民がいたり、そういうことがわかったので、これまでまとめられなかった戸籍もまとめられた。
「この最新版を見る限りでは、ほとんどの集落が廃墟と化しているようだな」
「けど残っているところもあるみたいだけど」
「ああ。一つだけな」
 ファジュルは書物をサマラに返した。
「で、これからどうするんだ? 境界線沿いにある集落と全ての廃墟跡を回っていくのか?」
「え?」
「砂漠の旅の主導権は俺だが、この旅の目的の主導権はサマルだろ?」
 いきなり大事なことを押し付けられたように、地誌とファジュルの顔とを交互に見比べる。
 確かに旅の方針はサマラが決めなければならない。そのための旅だし、そのためにファジュルという同行者がいるのだ。
「残ってる集落だけだと時間はかからないけど、廃墟まで回ろうとするとかなり時間がかかるよね?」
「まあな」
「でも、時間がどうこう言ってたら何にもならないか」
「そうだな」
「まず残ってる集落に行こうかな。そこで、乳香と没薬の話を聞いて、何か手がかりがあればそれでもいいし、何もなくても食料と水を分けてもらえればいいよね?」
「サマルがそれでいいならな」
「それで集落の後に、廃墟とその近くに作られていたという乳香と没薬の栽培跡に行きましょうか?」
「わかった」
 二人は境界線にたった一つだけ残っている集落に向かった。
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