【完結】砂の香り

黄永るり

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襲来

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「俺もサマルに聞きたいことがある。いいか?」
「ちょっと待って」
 サマラは押し殺したような小声でそう言うと腰布の端を少し破った。
「何だ?」
 怪訝な顔をする。
 そしてサマラは目の前の焚火にくべてある薪から長めでしっかりしたものを見つけると、破った腰布をまきつけて右手に薪を持った。そしてさりげなく左手を腰に差している護身用の短剣を柄ごと握りしめる。
「何やってるんだ?」
「ニオイが……」
「臭い? 何か臭うのか?」
 ファジュルは鼻を動かした。
「人と血、そして獣の臭い」
 ファジュルも嗅覚に全神経を集中させてみるが、目の前の茶の残り香しか捉えられない。だが、体を緊張させるサマラの姿は尋常ではないので、ファジュルも音もなく指をずらして腰に差してある長剣の柄に手をかけた。
 サマラは異母姉の指示で十年ほど前から護身術を身につけさせられていた。
 そしてファジュルは護身術だけではなく兄弟で今のところただ一人本格的な剣術を学んでいた。
 サマラは少し身をかがめる。
「来る」
 かがめた頭すれすれを何かが掠め飛んでいった。
 斜め下を見ると短剣が突き刺さっている。
 さらに背後から何かが飛び掛かってくる。
 サマラは気配ではなく嗅覚でそれを察すると、右手首を軽く背後へ翻した。
 薪がサマラに覆いかぶさりそうになった影に命中した。
 影はまさかサマラがそこまで素早く動けるとは思わなかったのか、一瞬動揺した。
 そこにまた隙ができる。
 焚火を飛び越えて、影の肩をファジュルの長剣が地面に縫い留める。
「ぐうっ」
 空いた片手でサマラを突き飛ばした。
 転がったサマラを背後に素早くかばうと、ゆっくりと長剣を抜きながら縫い留めた影を踏んだ。
「ファジュル、上!」
 別の影が二人に襲い掛かってきた。
 剣を振り上げ、襲ってくるもう一つの影の剣を受け止めた。
「くっ」
 何度かその場で打ち合ったために激しく火花が散った。
 踏んでいた影から思わず足が離れていく。
 その瞬間。
「ファジュル!」
 慌ててサマラが腰から短剣を抜き、動きかけた影の腕を短剣で縫い留めた。
 切っ先から伝わる肉の感触に震えながらも決して抜こうとはしなかった。
「ううっ」
 その隙をついて気が逸れた影の剣を叩き落とし、喉元に切っ先を突き付けた。
「お前らだけか?」
 影は静かに頷いた。
「まったく全身黒衣で気色悪いな。で、ご主人様のところへ帰れって言ったら大人しく帰ってくれるのかな?」
「こ、殺せ……」
 黒衣の衣装に身を包んだ男は、静かに瞑目した。
「嫌だね。面倒くさい。さっさと帰れ。サマラ、短剣を外してやれ。こいつらをご主人様のところへ帰してやる」
「何で?」
 今、放したら今度は自分たちが殺されるかもしれないのに。
 サマラはファジュルの真意がわからなかった。
「いいから早く解放してやれ」
 ファジュルに急かされて、恐る恐る足元の短剣を外した。
「ううううっ」
 低いうめき声を上げながら、もう一人の影が立ち上がった。
 赤々と滴り落ちる右手を庇いながら、一歩ずつサマラから距離を取っていく。
 抜いた短剣を構えたまま、サマラはファジュルと背中合わせになる。
「俺たちを本気で殺しにきたわけじゃないんだろ? 今回のご主人様の命令は単なる偵察、違うか?」
 二人の影は後ずさりながら頷いた。
「だが二人でできそうなら殺ってみようと思ったってとこか」
「我らを生かせば今度は本気で殺しに行くぞ」
「そうだな。それも良いだろう。それまで誰にも殺られてなければ待っててやるよ」
 影は落とした剣をそのままに、速度を上げて走り去っていった。
 サマラと向かい合っていた影も、かなりの速度で後ずさって消えた。
「行ったか?」
「多分。あの人たちの臭いがこの集落から物凄い速度で遠ざかっていく」
「凄いな。お前の鼻は」
 呆れたようにファジュルがそう言いながら、剣についた血を丁寧に手巾で拭うと鞘に収めた。
「そうみたい。都の外に出てきて初めてわかった。自分の嗅覚がこんなにも鋭いなんて」
 サマラもファジュルに渡された手巾で短剣の血をぬぐうと鞘にしまった。その手が細かく震えている。
「大丈夫か?」
 その手を見てとったファジュルがサマラを気遣った。
「う、うん。何とか」
 だが返事とは裏腹にサマラはその場に座り込んでしまった。
「初めてだったのか? 人間刺したの?」
 サマラは黙って頷いた。
「そうか。でもこれからもこういうことはあるかもしれない。だが今日の所はとりあえず寝ろ」
「ファジュル」
 自分で自分の腕を抱きしめた。
「何だ?」
「あの人たちはなぜ私たちを? タージル殿が守護を遠巻きにつけて下さっていたのなら、あの人たちが私たちに近づくことはできなかったはずです」
 まさかタージルの護衛の話すら嘘だったのだろうか。
「親父殿の護衛は確かにいる。その護衛を倒してあいつらがやってきたのか、それともわざと見逃して俺たちに近づけたのか?」
「は?」
 サマラには全く意味が分からない。
 ファジュルは影が残していった剣を拾った。
 そしてその柄に彫られている文様を見つめた。
「あいつらは多分ただの斥候部隊だ。情報収集のためのな。本体の暗殺専門部隊ではなさそうだ。暗殺専門部隊だったら俺もお前もとっくに殺されているだろう」
「斥候部隊?」
「そうだ。ただ斥候と言ったって大抵は暗殺役や貴人の護衛役も兼ねていたりはするから、あまり油断はできないけどな。でもあいつらがどうこうとか考える前に、あいつらの雇い主のことを考えたほうがいいだろうな」
「雇い主?」
「そうだろう? 雇い主があっての斥候であり、暗殺だ」
 ますます強く自分を抱きしめるサマラ。
 カーズィバが本気で牙をむいてきたのだろうか。
 でもサマラを殺してしまっては元も子もない。
 さっきの影たちはサマラも狙っていた。
 一体誰なのだろうか。
「それでいくとこの柄の模様は、大陸の中央を統べるエフェリラ皇国の鍛冶屋で作られているものだな。一度、親父殿と皇国の鍛冶屋を回ったことがあったが、確かこんな模様だったな」
「エフェリラ皇国? 皇国のどなたかが私たちを狙ったと?」
「恐らく俺じゃない。目的はサマルだ」
「どうして皇国から暗殺者がやってくるの? 私を殺して誰に何の得が?」
 さっぱりわけがわからなかった。
 そもそも、ここでエフェリラ皇国の名前が出てくることが、サマラには理解できなかった。
 皇国の主である皇帝か、またはその側近の誰かが自分を狙うことがよくわからない。
「サマルの異母姉さんの母君は、先代の皇帝陛下の娘で、現皇帝の異母妹だろ? 筋金入りの皇国関係者じゃないか?」
「王妃様がご実家のどなたかにお願いされたとでもいうの?」
 サマラは思わずファジュルを睨みつけた。
 あの優しげにいつも微笑まれて穏やかに話しかけて下さる王妃が、異母姉と同じ顔をしている王妃が、サマラを暗殺する?
 どこか現実味のない話にサマラは思わず首を横に振った。
「違う。王妃様はそんなことをされる方ではないわ!」
「じゃあ、王太女様かもな?」
「ふざけたこと言わないで! 冗談でも許さない! 異母姉上様ではない。異母姉上様が私を殺すなんて、そんなこと絶対にない!」
「だといいけどな。けど、サマルが死んだら王太女の王位継承を脅かすものはいなくなる。確実に玉座に就ける。それだけは事実だ」
 きっぱりファジュルにそう言われると、サマラは何も言えなくなってしまった。確かに自分が死ねばシャリーファの王座は確実だろう。
「それはそうだけど、異母姉上様でも王妃様でもないよ。二人がやったように見せかけてるだけかもしれないし」
「その二人以外でサマルに死んでほしいって思ってそうなやつは見当がつくのか?」
 そう言われてサマラは完全に黙り込んでしまった。
 王妃やシャリーファ以外で、サマラを狙っている人間など見当もつかなかった。
 王位継承権を考えれば、シャリーファを殺すならまだしも自分を殺すなど何の得にもならない。
 得がありそうだなと思われるのは、考えたくはないが王妃とシャリーファだけだ。
 国内外から刺客を放たれていたとしても、その二人と切り離しては全く意味がわからない。
「逆に異母姉上様が狙われたという話ならわかるんだけど」
「王太女を殺し、お前を玉座に就かせてその婿に収まりたい奴、だな」
「そう。それなら話はわかりやすいんだけど」
 玉座以外で狙われる理由など思いつかなかった。
 サマラの身に流れる半分の血がティジャーラ王族のものゆえに。
「母方で狙われる覚えは?」
 唐突にファジュルが話の矛先を変えた。
「母さまのほうで? それもないと思うけど。この国に住んでいるのは私とおじいちゃんだけだし。おばあちゃんは遠い異国で亡くなったときいているし、親族といってもおじいちゃん側の親族はもうすでにいないらしいし、おばあちゃん側の親族は確か隣国のファキーラにいるらしいけど、どこに住んでるかも私は知らないし、会ったこともないわ」
 会ったこともない親族がサマラを殺すことなどさすがにないだろう。
「そうか。まあこれでお前は何者かから狙われているということがわかったわけだ。それも念頭に入れてこれからは旅をしないとな」
「そうだね。気を付けないとね」
 ファジュルは影が置いていった剣を丁寧に手巾でくるむと、荷袋の一つに入れた。
「どうするの?」
「俺たちを狙った証拠品だからな。親父殿の護衛たちに護衛の強化とかしてもらわないといけないし。これがあれば護衛も強化されるだろう」
「そう」
「今日はこのまま寝るぞ」
 そう言うとさっさと崩れかけた壁と壁の間に作っておいた天幕の間にファジュルは滑り込んだ。
「わかった」
 サマラはその後ろにある小さな屋根付きの小部屋に作ってあった寝床に滑り込んだ。
 色々考えなければいけないことがあったが、とにかく体は休息を欲していたようだったので、すぐに意識がなくなった。
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