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東の村へ

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 それから三日後、西の宿屋に滞在していた奥さま御一行は、西の村から東の村へと国境を越えた。
「ようこそいらっしゃいました」
 アランカーラ一行を出迎えた東の宿の主が丁寧に一礼した。

 東の村にも宿は一つきりだった。
 元々の村長宅を改築したもので、西の宿よりも大きく立派なものだった。
 ちなみにその村長は、別の家に強制的に引っ越しをさせられていた。
 
「久しぶりだこと。村長の娘の婚礼の宴に出席するために参りました。しばらくこちらに滞在させて頂きますよ」
「もちろん結構でございますが、いつものように陛下と宰相さま、そして大使さまには連絡させて頂きますよ」
「仕方ありませんわね」

「そちらのお方はどなたですか? マンダナ殿以外は、どうも見慣れぬ方のようですが」
 宿の主は、アランカーラの背後にいる者を指し示した。
「ええ。このたびは、村長の娘の婚礼ということで、特別にもう一人料理の出来る侍女を連れてきたのです」
 アランカーラに示されたクティーは軽く会釈した。

「しかも、この子はヘナも描ける子なので、是非とも花嫁にヘナで祝いの吉祥文様を描かせようと思ったのです」
 ヘナとは、ヘンナとも言う草木の名前で、この草を煎じた染料を、この地方では婚礼や何らかの儀式の際に女性の肌に文様を描くのだ。特に婚礼では、嫁ぐ女性の幸福を願うようにめでたい図案が描かれる。

「それから後ろの二人は護衛のために連れてきた西の村人です」
 シャストラとグラハが一礼した。
 クティーはマンダナ同様の侍女の格好で良かったのだが、シャストラはさすがにアランカーラと瓜二つの容姿がばれてはいけないらしいので、頬にさりげなく化粧道具で大きな傷を描いていた。
「さようでございましたか。では、いつものお部屋へご案内させて頂きます。従者の方のお部屋は隣に準備させて頂きましょう」
「礼を申します」
 主は、アランカーラ一行をいつも滞在するという部屋へと案内した。

 部屋に入ったアランカーラは、茶器と菓子を卓に並べさせた後、人払いをさせた。
「さて、東の村に入りましたよ」
「今からここを作戦本部に致しましょう」
「じきに大使がやってくるでしょう。それまでは下手に動けませんが」
「それをやりすごせたら、手はず通りに動きましょう」
 グラハの言葉に全員が頷いた。

「マンダナ、母上のことよろしく頼む。くれぐれも危険が及ばぬように」
「御意」
 マンダナがあまりに丁寧な礼をするので、クティーにはアランカーラ親子は、商人などではなくて、かなり高位の身分ではないのだろうか? と思っていた疑問が確信に変わりつつあった。
(だとしたら、この人たちが商人じゃなければ一体何者なのかしら? ダルシャナの王族とか貴族とかかな?)

 残念ながらクティーには、隣国ダルシャナの王族や貴族の情報などは持っていなかった。というより、ドラヴィダでは自国のことも他国のことも情報規制がなされているので、ダルシャナ王国のことは、隣国ということと、国境問題でもめている、ということくらいしか知らないのだ。
 宿に泊まる旅人も、自分の商売の話や国境の話くらいで、世界規模の話まではあまり聞くことがなかった。
 というのも、わざわざ山の国境を越えてくるのは、ルビーの原石狙いか、自前の船がない小さな商いをしている商人くらいのものなのだ。
 ダルシャナとドラヴィダは、海を介して船で入国するというルートもあるので、誰も危険な紛争の中心になっている山越えはしたがらないのだ。
 大商人などは、自らの船を持っているので海からの入国ルートを使うのだ。
 
「クティー」
「は、はい」
 急に呼ばれてクティーは、びっくりした。
「何を驚いてるんですか?」
「いえ。何でもないです」
「大丈夫ですか?」
「大丈夫です」
「そうですか。では遠慮なく。クティー、あなたは今からグラハとともに、予定通り東側の村の村長の所に行ってください。娘さんの婚礼準備のどさくさに紛れて入って下さい」
「わかりました」

 これからクティーは、長の家に行って婚礼準備を手伝うことになっているらしい。
 あらかじめ聞いていたのは、そこまでで、その後の細かい話は現地でとのことだったので、何を手伝うのかは知らされていなかった。
「グラハ、クティーさんを頼みます」
 グラハは黙って頷いた。

「僕たちは大使をやりすごすために、しばらく動くことができない。その間は、グラハに頼るしかない。すまないねグラハ」
「何を仰います。私は、あなたの従者です。あなたの手足としてこの身をお使い下さいませ」
「ありがとう」
「ですが、私がいない間、くれぐれも無茶なことはなさらないようにお願い致しますよ」
「わかった」
「ではクティー、行きましょうか」
「はい」
 クティーはグラハに促されて一緒に東の村長宅へと向かった。
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