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緑の奇跡

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 半分に分けられたドラヴィダ兵の真ん中にダルシャナ兵が、円を描くようにしてアランカーラを護衛している。
 緊迫した雰囲気はそのままに、だがどんどんその密度は濃くなっていく。
 見合ってすでに四半刻ほどが過ぎていた。

 アランカーラは、縛られているクティーの足元にいるナラカに厳しい眼差しを注いでいた。
 花婿の衣装はそのままに、右手に燃え盛る松明たいまつを持ちながら、ナラカは不敵な笑みを浮かべながらその眼差しをしっかりと受け止めていた。
 そして花婿の父は、二人の間に割って入るべきか真剣に悩んでいた。
 まさか自分の息子がここまでのことをしていたとは思わなかったのだ。
 
「王妃さま、ダルシャナはドラヴィダとの戦を望んでおられるのでしょうか?」
 静かに口火を切ったのは、ナラカだった。
 松明を近くの兵士に預けると、兵士たちに道を作らせて優雅に一歩一歩進みながら、アランカーラの前までやってきた。
 マンダナがさりげなくアランカーラとナラカの間に半身を挟んだ。
 
「どういう意味かしら? あなたの質問の意図が全く分からないわ。それに、あのようにして花嫁を棒にくくりつけて、仰々しい兵士たちで囲んで何をするつもりなのかしら? こんな婚礼の儀式に参列するのは初めてです」
 激怒の空気はそのままに、冷たい微笑でアランカーラが答えた。

「申し訳ございません。この場はすでに婚礼の儀式を行うわけには行かなくなりました」
「なぜですか? 賓客ひんきゃくとして私まで招いておきながら、婚礼を無くすとは一体、どういうことですか?」
「はい。実はあの花嫁が偽物だということがわかりまして」
「偽物ですって? それは確かなことなのかしら?」
 アランカーラは、ゆっくり時間稼ぎをするかのように話している。

「確かでございます。私の方で調べましたところ、実は村長の娘は二年前に病で亡くなっておりました。ですが、我が国との影響を考えてか娘の死は伏せられて、代わりに弟が亡くなったということにしたのだそうです。そうして、身代わりを立てて娘は生きているかのように振る舞い、今日まで嘘を隠し通したのでございます」
「そ、そうだったのですか……」
「それでお伺いさせて頂きたいのですが、王妃さまにおかれましては、この村長の偽りをご存じだったのでしょうか? 元々、東の村長はダルシャナ国民でした。そこを我が国と友好関係を結ぶために、大使の息子である私との婚礼が不可欠だったはずです」

 そして大使の息子と村長の娘が結婚すれば、ただちに村を東西まとめてドラヴィダの領土とするのが、ドラヴィダ王の狙いだった。
 当然、同時にアランカーラを自らの側室とすることも考えられていた。
 
「そうでしたわね。友好関係を築くための婚礼だったのですわね」
「さようにございます」
「私はずっと西側の宿で軟禁状態でした。そんな私がどうして東の村長の娘のことを知るというのですか?」
 アランカーラは薄く微笑んだ。

「そうですか。そう仰いますか。でしたら花嫁を偽った責めは、あの娘自身と村長と彼に協力した村人たちに取って頂きましょうか」
 そう言うとナラカは、アランカーラの背後に兵士を挟んで立っている父親に向かって片手を挙げた。

「父上! 王妃さまは何もご存じないようです!」
 これでは王妃自身を罪に問うことは出来ない。
 あらかじめ予測できていたことではあったが。
「致し方あるまい!」
 大使はさほど無念そうでもない顔で頷いた。

「ですよね。では、参りますか」
 ナラカは舞うように振り返ると、松明を持っていた兵士に合図しようとした。
 が、それより一歩早くシャストラが叫んだ。

「クティー! 今だー!」
「はい!」
 弾かれたように頷くと、クティーは勢いよく天へ向かって叫んだ。
「うなれ大地よ! の力を解き放て!」
 瞬間、凄まじい風がうなり声をあげ、地割れのように大地が激しく鳴動した。

「な、何だ?」
「どうなってるんだ?」
「地震か?」
 広場にいたが揺れ出す大地に立っていられなくなった。

「こ、これは?」
 クティーを中心にして、地面に不可思議な文様が浮かび上がってきた。
 じわじわと外側に向かって淡い緑のような光が、植物が生長するかのごとく伸びていく。
「これはすごいわね。まるで巨大なヘナね」
 マンダナがアランカーラを守りながら素直に感嘆した。

「僕も本物は初めて見るけど。これほどまでとは思わなかったな」
「確かにすごい。我々も、模様の中に入っているはずなのに、影響を受けているのはドラヴィダの兵士たちと大使親子だけだ」
「範囲指定もバッチリだな」
 緑の文様は円形に描き上げると、ゆるやかに膝の高さまで上がり、ドラヴィダの人間の足だけを止めている。
 兵士たちは自分の足を一歩も動かすこともできず、さらに膝上から文様は上がって行き、とうとう全身を絡め取ってしまった。
 
「う、動けないぞ!」
「父上!」
 ナラカはアランカーラを挟んで自分の背後にいるはずの父親に声を掛けた。
 首まで絡めとられて首を回すことも出来ない。
 
「さあ最後の仕上げだ」
 シャストラは動けない兵士をかき分けて中央のクティーの元へ歩んでいく。
 グラハがその後に続いた。
「クティー、苦しい思いをさせてごめんね。大丈夫だった?」
「何とか大丈夫でした。シャストラさまの仰る通り、ここに張っておいて正解でしたね」
「でしょ?」
 いたずらっ子のように軽く笑いながら、シャストラはさっさとクティーを縛っている縄を解く。
 棒から解放されてするっと落ちてきたクティーを絶妙なタイミングでグラハが受け取った。
 
「ありがとうございます」
 すぐにグラハから離れると、クティーは地面に片膝と両方の掌をぴたりとつけた。
「大地よ。緑につながる大地に宿る全ての命よ。この地をダルシャナのの元へ還せ!」
 クティーの腹からの声に導かれるように、強烈な緑光が村全体を覆った。

「うわあ~!」
「ぎゃあ~!」
 絶叫と共に、一瞬でドラヴィダ人の姿が掻き消えてしまった。
 それと同時に大地から浮かび上がってきた文様も消えていた。

「うっ……」
 クティーが思わず倒れ込んでしまった。
 グラハとシャストラが慌てて、クティーを支えて助け起こした。

「クティー、ありがとう」
「お疲れさまでした」
「お役に立てて良かったです」
 かすかな言葉を紡いだクティーは、そのまま意識を失ってしまった。

「後は、我々の番ですね」
「そうだね。グラハ、クティーを頼むね」
「御意」
 シャストラはアランカーラとダルシャナの兵の元に駆け寄ると、兵士たちに何やら機敏に指示を出し始めた。

 そうしてスーリヤ村の夜は更けていった。
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