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外伝(むしろメイン)

外伝九   吾妻ジュンイチによる妻観察レポート

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※メイン:吾妻組 ジャンル:だいじょうぶだよ

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 吾妻ジュンイチによる妻の観察記録

■序論・目的・方法

 カミィ(以下、妻と記す)は幻聴、幻視、それに伴う妄想、独言を抱えている。

 生命、社会的活動に支障が無ければ、これらは疾患ではなく個性として認知される。夫として妻をより満足させるには、彼女が何を視、聴き、感じているのかを観察、記録し、個性を理解する必要が生じる。
 
 よって、妻の生活空間に、映像・音声記録装置を設置。並びに、対話・機械的検査により精神・脳の働きを観察する。
 それにより、同一状況が再現された場合、前回よりも満足度の高い手段で応じる事が可能となるだろう。

■事例・結果・考察

 XX.XX.XX:XX日付・時刻

 ダイニングルームにてデザートを摂取した妻は、「動物さんのプリンが食べたいなぁ」と発言した。”動物さんのプリン”について質問したところ、「動物さんのプリンは、うさちゃんとか猫さん」との返答。要領を得ない為、いくつかの質問を繰り返し、”動物さんのプリン”とは、”動物の肉を使用したプリン”を指すのではなく、”動物の形状を模したプリン”を指すという結論に至った。

 その後、執事から”動物さんのプリン”が提供され、実食時に妻の脳内物質を分析。その結果、円錐台普通のかたちのプリン摂取時と比較し、より多いβ-エンドルフィンの放出が確認できた。
 後日、筆者もソーセージをタコ、バナナをカニの形状にして食してみたが、通常の形状のものと味の差異は感じられ無かった。これは妻と筆者の個性の差によるものだと推測する。

 よって、視覚が味覚に影響するという事実のうち、妻の個性において、「動物」「可愛い」とされる物体であれば、より満足度が高い(おいしいと感じる)と言える。今後、兎や猫以外の動物の形状も試し、妻の満足度が最も高い動物は何かを解明する必要がある。

 

*


 ここまでをレポート用紙に記し終え、ジュンイチはペンを置いた。眼前のモニタには、自室でまどろんでいるカミィの映像がリアルタイムで出力されている。

 結婚して以降、彼はカミィの奇っ怪な言動ひとつひとつに番号を振り当て、紙に書き記したのち、索引をつけてファイルに収めている。いくつかの具体例を示せば、「クッションの息ができないが苦しくなっちゃうから座っちゃだめ」「白と黒のコマを並べる盤上遊戯のコマを七色に塗りつぶし顔を描く」「部屋中の丸い形状のものを全て右の端に寄せる」等々。記録した症例は多岐に渡り、ファイルの数は日々増加。

 レポートに記述した通り、ジュンイチは現状、カミィの抱える諸症状に病名をつけるつもりも、治療をするつもりもない。これらの”個性”全てが複合され、カミィという個体であると認識しているからだ。

 ただし、カミィ本人が希望するのであれば、この諸症状を改善・完治させることは安易。その方法は大きく分類してふたつ。

 ひとつは、神経系への外科的処置や薬物投与による、物理的・直接的治療法。本来、内因性・外因性を問わず、疾患にはそれぞれ適した治療法を用いるのが定石となっている。炎症には抗炎症薬。ウイルス感染には抗ウイルス薬。症状にあわせて効果的な薬品を選択する必要があり、それひとつでどんな症状にも効果のある”万能薬”など、存在しない。

 ただし、”万能薬”に近い現象を示す方法が無いわけではない。それがもうひとつの方法。
 言葉や合図による心理的・間接的治療法。
 例をあげれば、オピオイド、モルヒネ等に代表される鎮痛薬。それらを投薬すれば、一時的に痛みが和らぐ。ただしそれは疾患部位そのものが治癒しているのではなく、アルカロイドが脳の受容体に作用して感覚を騙しているに過ぎない。麻薬で痛みを感じなくなっても、傷が消失するわけではない。脳の働き・認識を歪め、「痛くない」と感覚を詐称することに相違ない。

 つまり、患者自身に「自分は健康だ」と思い込ませることができれば、”万能薬”よろしく、どんな症状も改善する可能性がある。偽薬プラセボ効果を引き起こす”暗示”をかけるのである。

 暗示のかかりやすさには先天的に個人差があり、また、患者の体調や精神状態にも左右される。
 では、カミィの先天的素質は? ジュンイチはその解を求めるため、カミィのもとへ向かった。




 結果から記せば、カミィは非常に暗示にかかりやすかった。

 部屋で睡眠中だったカミィを半覚醒させ、ひらききっていない瞳を直視し、「カミィちゃんは今からマリクくんだよ」と暗示の言葉かけると案の定。特別な状況や薬品の補助も必要とせず、カミィは自らを別の人間だと思い込んだ。

「ジュンイチくん! わたしはマリクだよ!」
「うん。そうだね。きみはマリクくんだよ」
「うん! お花、だいすき! お掃除、だいすき! 野菜も、ちゃんと食べる! そうだ、キッチンに行かなくちゃ。マリクはキッチンとお庭がすきだもん!」

 非暗示時と比較するとやや機敏な動作でカミィが起立。
 ジュンイチもあとに続き、ふたり前後で列をなしてキッチンへ。
 到着してすぐ、カミィは食事の準備をしていたマリクのもとへ駆け寄り上着の袖を引いた。

「マリク! わたしはマリクだけど、プリンが食べたいんだけど!」
「は?」
 
 振り返ったマリクは眉間に皺を寄せ、ジュンイチへと向きなおる。

「こいつ何言ってんの?」
「暗示に関する実験をしてるんだ。カミィちゃんは今、マリクくんになっている」
「……はあ。意味分かんねーよ。なんで俺?」
「身近な人物のほうがイメージしやすく、カミィちゃんの負担が少ないから」

「ねぇ、プリンが食べたいんだけど! わたしはマリクだけど!」
「うるせーよ。なんかいつもより声でけぇし語尾強ぇし何なんだよ」
「暗示は”思い込み”だからね。マリクくんそのものになるわけじゃなく、カミィちゃんが思い描くマリクくんになるんだ。カミィちゃんにとってのマリクくん像と言い換えてもいい。マリクくんは語尾が強いイメージなんだろうね」
「なんじゃそりゃ。最初に名前を言っちまうのって、モノマネで一番やっちゃいけねーパターンのやつじゃねーか」
「モノマネじゃなくて暗示だよ」

「わたしはマリクだけど! プリン待ってるんだけど! はやくプリン欲しいんだけど!」
「出さねーよ。お前、メシの前におやつ食ったらメシ食わなくなんだろーが」

 片足で床を蹴り声量をあげるカミィ。主張の方法が普段より乱暴なのも暗示による変化のひとつ。

「うるせーからこいつ元に戻せよ」
「いや、マリクくんは今から、カミィちゃんになる」
「は?」
「マリクくんにも暗示をかける」
 
 マリクは「ハッ」っと片側の口角をあげ、

「悪ぃけど、俺は暗示なんかかからねぇから。スラムで散々騙されて生きてきたんだ。んなもんにひっかかったりなんかするわけねぇだろ」
「暗示と騙りは関係ないよ」

 ジュンイチは両手でマリクの肩を掴み、逃げられないよう壁に押しつけ、緩やかに顔を近づけてゆく。

「マリクくん、この国における僕の功績を知らないわけないよね。マリクくんのお給料がいったいどこから出ているか思い出してごらんよ。それに、マリクくんの拳が僕に届いたことがいちどでもあった? 僕が今まで、できると言って失敗したことが無いのも知ってるでしょ」

 被験者マリクの視界を遮り、意識を外界と切り離すことで催眠状態へと誘導。過去の実績や現在の雇用における上下関係、物理的なちからの差等、事例をあげることで威光を示す。

「よく考えてごらんよ。僕ができるって言ったらできるんだよ。きみはだんだんカミィちゃんになる」
「んなバカなことがあるかよ。……ないよな? え?」
「僕の目を見て。ゆっくりと、目だけを見るんだ。僕は吾妻家の当主だよ。この屋敷も、領地も、僕のものだ。そして、僕の隣にいつもいるのは誰だった? 白桃色の髪と桃色の瞳の女性の名前は? 思い出して」
「お、俺……は……ほ……ほ……」

 マリクの唇が丸くかたちづくられ、

「ほわぁ」

 暗示が成功した。


「さて、ではカミィちゃん。好きな食べ物は何かな?」
「プリン! プリンだいすき! あのね、ホイップものせてね、それとね、フルーツ! 食べちゃおうっと」

 カミィになりきっているマリクは、内股で冷蔵庫へと小走り。食後のデザートとして用意されていたプリンを取り出した。

「あっ! プリン! わたしもプリン食べたいんだけどー!」

 マリクになりきっているカミィは、ひとかけらずつマリク(本物)の口内へ消えていくプリンを涙目で凝視。そばにあった椅子を掴み揺すって抗議しようとしているが、椅子は重量があり微動だにせず。反動でカミィのからだのほうが揺れてしまっている。動作は激しく、さながらヘッドバンキング。
 首を痛めぬよう注意して観察しながら、ジュンイチは冷蔵庫からマリク(本物)の夕食であっただろうカレーを取り出し、カミィの前に置いた。

マリクくん本物のカミィ、これ食べて」
「カレーはからいんだけど!」
「でもマリクくんはカレーが好きでしょ?」
「……そうかも。カレー好きかも」
「じゃあ食べて」
「わかった! わたしマリクだからカレー食べる!」

 普段のカミィなら、どれだけ勧められてもくちにしないカレーという料理。過去には、「カレーを食べるよう勧められた結果、食事をしていた部屋から逃げ出して自室で透明人間のふりをした」「胃の内容物や体内のエネルギー量が著しく低下してもカレーを食することは拒否し、餓死を選びかけた」などの観察記録が残っている。

 そのカミィが、暗示効果により戸惑いなくカレーへとスプーンを伸ばし、口内へと運びはじめた。

「ふえぇ……からいよぅ。でもわたしマリクだからカレー食べなきゃ……」

 マリクのカレーはスパイス量が多い。一般的に辛口と呼ばれる刺激レベル。刺激物の摂取でも暗示がとけないという結果は今回の実験において重要な発見であると言える。
 どの程度の刺激まで耐えられるのか? 新たな疑問が浮上するも、涙を流してカレーを咀嚼するカミィ(マリク)の様子では、このまま続行するには心身への負担がおおきい。
 今回はここで実験を終了するのが望ましい、とジュンイチは判断した。

「僕が指を鳴らすと、マリクくんとカミィちゃんはもとにもどる。はい!」

 ぱちん。
 合図によって、ふたりにかけた暗示が解ける。

「ふえぇ。わたしどうしてカレー食べてるの……からいよぅ、からいよぅ。マリクのいじわる」
「は!? 俺のせいじゃねーだろ!」
「カミィちゃん、おいで。部屋で練乳舐めさせてあげるよ」
「わぁい!」

「おい! メシ前に菓子食わすなっつってるだろーが!」
 というマリクの声を背に、ジュンイチはカミィを抱きあげ書斎へと引き返す。

 後日、観察記録には、暗示についての新規ページが追加されたのであった。

 外伝九 END
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