そしてふたりでワルツを

あっきコタロウ

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外伝(むしろメイン)

閑話十   婚約破棄のススメ

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メイン:ジュンカミ ジャンル:流行


***


「ジュンイチくん、婚約破棄しよう?」

 満面の笑みで駆け寄ってきた妻が発した台詞を耳にして、ジュンイチの心臓は強く脈打った。

 また、予想外の出来事が起きている。

 勢い余り転びそうになっている小さな生き物を抱きとめ、研究者は深淵を捉えるがごとく、桃色の瞳を覗き込む。

「カミィちゃん。僕たちが結んでいるのは婚約ではなく婚姻関係だよ。そのうえで、婚姻を破棄することは可能だ」
「婚姻を破棄するとどうなるの?」

 一般的には、婚姻関係が破棄された場合、妻は実家へと送り返され家同士の関係が切れる。
 しかし、当代の吾妻家においてはその限りではない。婚姻関係を破棄したとて、ジュンイチは当然カミィを手元に置き続ける。
 よって質問への答えは、

「書面上の関係が変化する程度で、実生活はさして変わらないよ」
「そうなんだぁ。じゃあ、ざまぁだけしようかなぁ」

 ざまぁとは、「様見ろ(ざまみろ)」の略語である。基本的には他人を罵る際に使用される言葉となっており、”ざまぁをする”というのは正しい使用法では無い。

 口頭でそんな説明を伝えながら、ジュンイチは脳内で、妻の発言の意図を思考する。

 カミィが特定の人物へ攻撃的な意思を見せるのは初の事例。旧国王に銃を向けられた時ですら怒りの片鱗も見せなかった彼女が、何者かに『ざまぁ報復をしたい』と言い出すのは非常に稀なケースだと言える。

 脳の疾患により、穏やかだった人物が怒りやすい性格に変貌する。という事例は多いが、握った手首から伝わる心拍と体温は正常。顔色も良好、体調不良の訴えもない。毎日の体調管理も完璧におこなっており、定期検診でも異常は無い。疾患の可能性は排除して良いだろう。

 また、ジュンイチが観察している限り、ここ数日でカミィが報復を必要とするほど他人から不利益を受けた様子は無いように思う。
 何らかの見落としをしたか、もしくは彼女にしか理解できない何事かが起こったか。

 その他の可能性と、報復を行う場合の標的、および手段と程度を脳内にリストアップしながら答えを探る。

「カミィちゃん、ざまぁしたい相手がいるの?」
「んーん、ないけど」
「相手がいないとざまぁは出来ないよ。誰かに怒りを覚えたんじゃないの?」
「ないよ。でもねぇ、婚約破棄とざまぁはおもしろいって言ってたからねぇ、ちょっとやってみたかっただけ」
「ああ。なるほど」

 事態を理解し、ジュンイチは窓の外へと視線を落とした。
 眼下にある庭では、いつものように花壇の手入れをする執事と、スラムからやってきた小柄な青年が会話をかわしている。
 そして、カミィの足元には微かな土汚れ。

「その面白いは、”する”ではなく、”読む”でカミィちゃんも体感できるはずだ。叶えてあげられるよ」
「わぁ。嬉しいな。ありがとう」
「どういたしまして」


*


「いや、あの、オレは、ただそういうのが流行ってるって言っただけなんス」

 客間にて。
 ソファで肩をすくめ視線を泳がせているのは、スラムに居を構える青年だ。
 事実確認のため、庭で執事と談笑していたところを連行した。

「お、オレを、どうするつもりッスか!? こ、殺すんスか!?」
「殺さないよ。ただ話を聞きたいだけ」
「ほんとッスね!? 信じて良いんスね!?」
「嘘をつくメリットが無い」

 ジュンイチが答えると、青年は、「っはー。良かったッス」と胸を撫で下ろし、姿勢を崩した。

「あ、じゃあお茶飲んでいッスか? 菓子もうめー」
「好きにすればいい。ところで、キミが庭でマリクくんと話していた内容について質問がある。婚約破棄とざまぁというのは、最近流行している小説の内容のことだね?」
「ん、そッス。そーゆーのも興味あるんスか? おすすめ聞きます?」
「そうだね。ついでだからいくつか作品名を教えて」
「んじゃあ……」



「ありがとう。参考にするよ」
「どういたしましてッス! じゃ、オレもう帰るんで。また!」

 話を聞き終わり、青年と別れてすぐ。
 ジュンイチは自室のデスクに向かい、早速取り寄せた資料小説を斜め読む。

 青年の話を分析した結果、”ざまぁ”というのは予測通り、小説のストーリー展開における一種の定型で間違いないようだ。
 物語序盤で主人公の苦難を描き、読者に心理的負荷を与える。そして後半に悪役が報いを受ける描写をすることで、爽快感を演出する。

 これは遥か昔、建国の頃から大衆に親しまれている定型のひとつ。古くは口伝の説話にはじまり、歌、童話、演劇、小説。様々な媒体で、多くの人間がいちどは触れたことがあるだろう。

 例をあげるならば、義理の母親にネグレクトを受けた少女が、舞踏会で権力者に見初められる童話が有名だ。
 その物語では、同じ権力者に嫁ぐ算段をたてていた義理の姉達が、少女と同じガラスの靴を履くためにかかとを切り落とすなど、主人公を虐待した報いを受けている。

 こういった物語の定型に現代風の個性を追加・再構成したもののひとつが、いわゆる”婚約破棄モノ”である。女性が主人公の場合は婚約破棄がメジャーとなるが、男性が主人公の場合は職を失ったり、所属する団体からはじき出されるといったパターンも存在し、いずれも国内で流行の兆しを見せている。

「さてと」

 おおまかな分析を終え、ジュンイチはペンに手を伸ばす。

 妻の希望を叶えるのが夫の努め。するべきことはひとつ。
 婚約破棄とざまぁの定型を使用し、妻に理解しやすい要素を加え、物語を執筆する。

 小説の執筆は経験が無いものの、文章を書くことには慣れている。資料を参考に小説の文体を模倣すれば、論文の体で草書した内容を小説に書き換える事が可能だ。婚約破棄とざまぁをテーマに資料を集め、感情移入させるために客観性よりも主観の視点を意識し、単調にならないよう比喩、擬人法、ライム韻を踏むなど文章表現にバリエーションをもたせ、事の起こりから結末までを記す。

 この文字の羅列を、”研究発表”と呼ぶか”作品”と呼ぶか。
 書き上がった原稿用紙を読みやすいようにと綴じ、ジュンイチは妻の元へと急ぐ。

「カミィちゃん、どうぞ。婚約破棄とざまぁだよ」

 紙の束を受け取ったカミィは中身に目を通し、眉尻を下げた。

「かわいそう……」

 計算上では完璧なはずだった。
 カミィが普段好む絵本の世界観に寄せ、動物が人間の言葉を話す非現実の世界を舞台設定とした。登場キャラクターを全て動物とし、なおかつ種族を固定せず、哺乳類・両生類・鳥類など多様性をもたせた。文章にも配慮を用い、特定分野における専門用語や事前知識が必要な言葉は可能な限り除外した。
 だというのに、お気に召さなかったらしい。一体、何が足りなかったのか。足りないのではなく、やりすぎたのだろうか。

 ざまぁという作品ジャンルには、ときに厳しい読者がつくという。悪役が報いを受けるという形式は必要だが、”ちょうど良い”と感じる程度の報いではない場合。足りない場合は”もっと厳しい制裁を”という声があがる。しかし、制裁が厳しすぎると、今度は”やりすぎだ”という感想を持つものが多数となる。
 とはいえ、どの程度が”ちょうど良い”となるかに統計情報は無く、受け手の感性によるところが大きい。

 今回、ジュンイチは妻の普段の言動や思想から推測し、おそらくちょうど良いであろう”ざまぁ”を物語内で展開したつもりであった。
 が、計算を見誤ったであろうか?
 
「どうしてかわいそうなの?」

 回答次第では、物語の書き換えも辞さない。ジュンイチは胸ポケットに差したペンに手を伸ばす。
 対するカミィは原稿を見つめたまま、

「お顔が無いから」

 これは予想外だった。が、予想しておくべきだった、とも言える。
 気づいてしまえば当然の真理に、ジュンイチは目を見開いた。

 カミィはインテリア、玩具、衣類の模様他、身の回りの日用品や嗜好品、あらゆる製品において、”顔”が描かれたものを好む。顔がなければ自分で描き足すほどには、こだわりがあるらしい。
 ”ももいろのまる”なるキャラクターはその嗜好の最たるものだろう。ただの丸に目と口がついているだけのシンプルな造形にもかかわらず、彼女のいちばんのお気に入りになっている。
 その他の例をあげれば、食品もそのひとつ。食事の盛り付けの際、ケチャップやソースが付属する場合は、上から顔を描くようにかけると普段よりも一割増し程度の量を胃に収める。
 
 カミィの好みを理解していながら、原稿に挿絵を入れるという発想が浮かばなかった。冷静であったなら起こしえなかった失態。恋の病にて思考が鈍っていたせいだとしか言いようがない。
 まったくもって、”恋の病”はおもしろい。湧き上がる感情と、連動する表情筋。心身の反応に身を任せた結果、ジュンイチの顔面に笑みが浮かぶ。

「かわいそうだから、わたし、お顔描いてあげようか?」
「そうだね。じゃあ、描いてくれるかな」
「いいよぉ」
「ありがとう」

 さっそく道具箱から七色のクレヨンを取り出し、”丸の記号に顔を描き入れたもの”を所狭しと描き並べるカミィを眺めながら、ジュンイチはもういちど、胸ポケットに差したペンにてを伸ばす。
 ”妻観察レポート”に、新たに特記事項を追記するために。

【何事においても、顔を加筆する事】。


「できたぁ」
「ありがとう。話の内容は、気に入った? 婚約破棄とざまぁは面白かった?」
「うん。動物さんがいっぱい出てきてとっても嬉しかった」
「そう。良かったよ」

 質問の意図とは違う返答だが、妻が喜んだなら問題ない。今日も、夫の努めを無事に果たせた。
 この充足感も、恋の病によるものだろう。自らの心理状況の推移を思考するため、ジュンイチは椅子に深く腰掛け大きく息を吸い込んだ。



***


 後日。
 原稿ができているのだからついでに、と、ジュンイチは執筆したものを出版することにした。
 決して大衆向けではなカミィ向けのい作品のため、そのまま販売してもたいした売上は見込めない。
 が、そこは吾妻。作為的に流行させる手段を持っている。

 著名な作家に推薦文を書かせ、あらゆる賞で受賞を確約させ、頻繁に人の目に触れるよう情報を操作して宣伝を打つ。製本から流通の末端に至るまで、全ての工程にいおて強引な販促を行った。

 結果、目論見通り本は売れた。

 売れさえすれば内容はどうでも良い。
 当初はそんなつもりで出版されたものだったにかかわらず、「内容と挿絵がまったく噛みっていないのに、むしろ謎の中毒性がある」と、コアなファンがついた。

 続編を望む声もあがった結果、異世界へ転生、スローライフ、もふもふ、あやかしなど婚約破棄とざまぁから少し要素を変更したものも出版することに。
 全てにカミィの絵を付け、シリーズとして数巻が刊行されたという。


 閑話十 END

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