不完全な人達

神崎

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香水

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 店を出ると史は家に帰って行く。その後ろ姿を見て、晶は頭をかいた。意外な話だと思う。きっと清子のところに行くのを嫌がっていたはずなのに、晶にも来て欲しいといったのは苦渋の決断だったに違いない。
 それだけ今は史も仕事しか目に入っていないのだ。清子をおざなりにしていないのか。だったら自分が見てやるのに。晶はそう思いながら携帯電話を取り出す。
 家があるアパートへ戻りながら、電話をした。
「もしもし。まだ起きてた?うん……飲んでるな……。無事に帰ったみたいで良かった。まだ居る?そっか……。ふーん。」
 清子は家にいた。パソコンの前でたぶん晶が理解できないことをしているのだ。
「今からそっちいっていい?話があるんだよ。ん?タクシーでも何でも行けるから。」
 すると清子は、ため息を付いていう。
「ビール買ってきて下さい。」
 その言葉に晶は意外そうにいった。
「来るなっていうかと思った。……信用されてんな。俺。」
 晶はそう言ってきた道を引き返す。いっそ代行にしようかと思った。そっちの方が、そのまま会社に行けるからだ。

 コンビニで買ったビールを片手に、晶は清子の家を訪れる。チャイムを鳴らすと、すぐに清子が出てきた。
「本当に来たんですね。」
「あぁ。話があるって言っただろ?ほら。ビール。」
 受け取って清子はその袋をのぞき見る。
「発泡酒じゃないんですね。そっちでも良かったのに。」
「ビールの方がうまいじゃん。」
 部屋は暖かい。エアコンが利いているのだろう。晶はジャンパーを脱ぐと、すぐに清子の体を抱きしめた。
「あー。ずっとこうしたかった。」
 清子の顔が赤くなる。そしてその体に腕が回った。
「ん?嫌がらないの?」
「嫌がったらますますするから。」
「わかってるな。ほら、上向いて。」
 晶はそう言って清子の唇にキスをする。だがすぐに清子は顔をそらせた。
「どうしたんだよ。今更恥ずかしがるなって。」
「恥ずかしいというか……話があるって言ってたから、先に聞きたいと思って。」
「良い匂いがするな。風呂入った?」
「えぇ。」
「髪が下りてる。そういうのも良いな。」
 本当だろうか。髪を下ろすと何となく病的に見えて、あまり好きではなかった。
「飲むか。」
「飲んできたんですよね。」
「あ、何で飲んでるの知ってたんだよ。」
「史から聞いたから。たぶん、私に相談するんじゃないかって言われてたんです。まさか今日来るとは思ってませんでしたが。」
 史の差し金か。あっさり部屋にあげたのも、そのためだったのだろうか。
「つまみはいりますか?簡単なモノだったら用意ができますけど。」
「お前、飯は?」
「食べましたよ。」
「だったらいいよ。飲んできてつまみで腹は膨れてるから。」
 とは言っても何か口寂しいだろう。清子はキッチンへ行くと、冷凍しておいた空豆を解凍する。塩ゆでにしていて、そのまま豆ご飯にすることが出来るのだ。
「だったら話聞いてるか。」
「えぇ。史はずっと悩んでましたから。新規の事業ですし、失敗は出来ないと思ってたんでしょう。なのにスタッフは気心しれた人ではなく、初めて会う人ばかりでしょうし。」
「だから半年くらい煮詰めるんだけどな。」
 ビールの缶を開けると、清子はそれを口に入れる。
「……そんなに恐れることはないと思いますけどね。」
「どうしてそう思う?」
「私はずっと一年とか半年ごとに仕事場が変わってました。春に「初めまして」と出会って、一年後には「さようなら」です。それまでに結果を出さなければ、居た意味がありません。」
「だろうな。」
「それまでに会った人もみんな初めての人ばかりです。人間性なんかあとからですし、まずはどれだけ仕事が出来るのかを見極めるのが重要になる。」
「それはお前の個人プレーで何とかやってきたからだろ?」
「……そうなんですかね。」
「十人十色で、どんなヤツがいるかわからない。人間性は重要だ。外面が良くても、内面でくずのヤツって結構居るから。」
「女性には多いですね。」
「まぁな。」
 空豆の皮をむいて、口に入れる。少し青臭くて美味しい。塩加減がちょうどいいように思える。
「明神が行ってくれるのが一番良かったよな。」
「明神さんが?」
「あいつあぁみえて、コミュ力高いから。合コンばっかしてたのも、それが目的だろ?恋愛の駆け引きで、人間性がよく見える。」
 すると清子のビールをもつてがテーブルに置かれた。
「だったら私はくずですね。」
「清子。」
「……史にきっと気づかれた。」
 その言葉に晶は驚いたように清子をみる。
「どうして?」
「史と相手をしていたとき、私はどうしてもあなたを重ねてしまった。何度、あなたの名前を呼びかけたか。」
「……。」
 意外な言葉だった。晶もビールを置くと、清子の方をじっとみる。
「……苦しくて。こうして話をしているだけでも苦しいんです。」
「清子。」
「ごめんなさい。変なことを言って。」
 清子はうつむいたまま、席を立った。そしてティッシュを手にする。その姿に晶は後ろから清子を抱きしめた。
「泣いてる?」
「……。」
「泣かせてばっかだな。俺。」
 清子は晶の方を見ると、涙を拭う。
「私は史が好きです。でも……あなたのことも忘れられない。ずっと……心のどこかで引っかかってました。」
「俺は好きだけど。」
「……。」
「編集長の次で良いよ。」
「駄目。そんなこと出来ない。そんなに器用じゃない。」
「清子。」
 清子は晶の体を押しのけると、首を横に振った。
「帰って。やっぱり……駄目です。忘れないといけない。お互いに。」
「清子。俺は忘れない。」
「……晶。あき……。」
 強引にキスをする。そして唇を割ると、そのまま舌を絡ませた。その間にも、清子の目からは涙がこぼれる。
「清子。俺の……このときだけ。俺のモノに……。」
「駄目。」
「わかるまで何度だってしてやるから。」
 何度もキスをする。その間にも清子の手が抵抗していたのに、やがてその手が体を包んだ。
「いい加減認めろよ。俺のことも好きだって。」
「……そんなに……。」
「清子こっち見て。」
「……。」
 その目が合うと、その眼鏡を外した。そしてそのままキスをする。
「晶……。」
 胸に抱いたまま、晶は少し笑う。
「わかった。」
「何が?」
「好きなんだろ。言わなくてもわかった。」
「都合のいい……。」
「だったら違うのかよ。」
 すると清子は胸に抱かれたままいう。
「心臓、飛び出そう。」
 その言葉に晶は思わず笑い、ぎゅっと抱きしめた。
「風呂。沸いてる?」
「うん。」
「入ってきていい?」
 そのとき、部屋のチャイムが鳴った。その音に、二人は体を思わず離す。
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