テロリストと兵士

神崎

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 港よりも少し離れた海岸に一艘の小舟がエンジンを止めた。そして一人が降りてきて、岸までその船を引き上げる。
「何、あいつ。超しつこかったわね。」
 胸のあいたワンピースを着ている女が船を下りた。そして変装を解くように茶色の髪のウィッグを取った。そこには見事な金色の髪が落ちてきた。そう。それは銘だったのだ。その銘に、二人の影が近づいてくる。
「あの……ありがとうございました。」
 それは春雷荘にいた光鈴と用心棒の一人の男だった。
 二人は恋仲になっていたのだが、用心棒と売春婦の恋愛は御法度だ。しかしもう耐えきれないと、銘に相談してきたのだった。すると銘は、逃がしてやるからここで見たことはすべて忘れるという条件で、彼らを逃がしたのだ。
 そうすることで鼠としての役割も果たせる。
「もう出発するのだったら、この船を使いなさいな。」
「ありがとうございます。そうさせてもらいます。」
 そういって女を船に乗せると、男は沖に船を滑らす。やがてエンジンの音がして、小舟は沖を離れていった。その間も女は彼女らに頭を下げ続けていた。
 銘はその姿を見て手を振り、見えなくなったところで笑顔になる。
「……バカな子。そんな美味い話あるわけ無いのに。」
 船に仕掛けをしておいた。船は沖に着いたところで、どんどん沈んでいくだろう。彼らは望み通り、心中できるのだ。
 それを言い出したのは、銘ではない。
 もう一人の黒い服を着た人は、黒い目だけ出した頭巾をとる。そこには累の姿があった。その考えをいったのは累だった。
「知っているモノを残せば、徐々にばれていきますから消した方がいいと思います。」
 彼女はただ淡々と、それを言ってのけた。情はない。愛や、恋など知らない彼女にとっては、二人を殺すのも虫を潰すのも一緒のことだった。
 表情を変えずに淡々と殺す。銘は囮になっただけ。光鈴に変装し、彼女に襲いかかろうとした黄の家臣を後ろから絞め殺した。そして部屋の前にいる用心棒も絞め殺し、天井にいる用心棒も声を上げないように喉を一突きにした後、胸を切る。
 その一連の行動を表情を変えずにやるのだ。
 最初は気持ち悪くなった銘だったが、最近は慣れた。
「累は人間じゃないのだから、そんなことが出来るんだよ。」
 彩はそういって彼女を可愛がる。そういう女が好きなのだろうか。
「銘。帰りましょう。ここにずっといれば怪しまれますから。」
「そうね。行きましょう。あら?あなた、今日傷があるのね。」
「あぁ。用心棒にやられました。」
「珍しいこと。腕の立つ用心棒がいるのね。」
 やはりかなり腕の立つ男だった。傷一つ付けられることはなかったのに、あいつには付けられた。それにナイフを一本無くしてしまった。
「今日は失敗しました。」
「そう?殺すことは出来たし、指ももってこれた。大成功じゃない?」
「いいえ。ナイフを落としてきました。」
「指紋なんか付けてないでしょう?」
「ですが……。あのナイフは特殊ですから。」
 何か言われるかもしれない。彩からだけではなく、あの藍という男にも。

 累は食堂の二階の自宅に帰ってきて、その黒い服を脱いだ。当初の計画通りだとはいえ、海に飛び込んだので全身がべとべとする。
 脱いだモノをすべて洗濯機に入れて、スイッチを押す。そして風呂場にやってくると、その塩水を洗い流そうと蛇口をひねる。
「……っ!」
 腕にわずかな傷がある。それがしみたのだ。少しまだ流血もある。シャワーからあがって、手当をしよう。
 体を洗い流しタオルで拭くと、下着を身につける。そして部屋着に着替えてリビングへ向かう。するとそのソファに一人の男が座っていた。
「お帰り。」
「……いらしていたんですね。」
「寒くないの?上、着ないの?」
 彼女はタンクトップの姿だったので彩は驚いていたのだ。そのタンクトップの下には、無駄のない肉が付いている。
「……怪我の治療をしようと思いました。」
「怪我?怪我を負わされたの?」
「不覚でした。」
 彼女はそういって棚から小箱を取り出した。その中には薬や消毒液が入っている。そしてソファに座ると、その箱を開けた。
「僕が治療をしよう。」
「いいえ。大丈夫です。」
「消毒をして、テープを貼るだけだ。僕にも出来るよ。」
 綿に消毒液を染み込ませると、そこに当てる。
「……っ!」
「しみた?」
「えぇ。少し。」
「人並みに感覚はあるんだね。人ではないのに。」
 ガーゼを当ててテープを貼った。白い肌に白のテープとガーゼが浮いて見える。
 とても白い肌だ。きめが細かく、若い肌に見える。それに触れたいといつも思っているのに、彼女はそれを義務だとしか思っていない。それがいたたまれない気持ちにさせる。
「今夜は、縛ってしてみても良い?」
 その言葉に彼女は表情一つ変えない。
「お好きに。」
 普通の女なら嬉しがるか、拒否するだろう。だが彼女はすべてを受け入れていた。彼が何をしても、何を指示しても素直に従った。
 それはセックスだけではなく、人殺しすらためらいはない。
「その布の中に、例のモノが入っているのか?」
 腕から手を離し、テーブルの上にある白い布を手にした。白い布はわずかに黒く変色している。
「はい。」
 彼女はその布に手を伸ばし、包まれているモノを彼に差し出した。それはもう変色しているが、人の指だった。血が付いていて布は黒くなっている。
 黄の家臣の左手の小指。そのものを、彼女は彼に差し出した。
「ありがとう。殺すだけでも大変なのに、こんなことをさせて。」
 その言葉には全く感情はない。ただの義務なのだ。
「いいえ。」
「人殺しは楽しい?」
「楽しいとか楽しくないとかよくわかりません。ただ、しろと言われているので。」
「僕がけしかけているみたいな口調だね。」
「……申し訳ありません。」
 その通りだろうと思っていたが、そんなことで口答えをしても仕方ない。怒ることはまず無いが、その後にしてくるであろう行為が激しさを増すかもしれない。激しくなれば、時間もかかる。
 明日は市場が休みなので店も休みだが、それが激しくなればゆっくりと休めないかもしれないのだ。
「可愛くない子だ。でもそれが僕は好きだな。」
 彼はそういって、彼女の頬に触れる。人間と何も変わらない。温かさも、柔らかさも、すべてが人間そのものだ。
「僕の愛するヒューマノイド。口づけをしてくれないか。」
 そういわれて、彼女はそれに従うように彼の首に手を回した。そして顔を近づける。
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