テロリストと兵士

神崎

文字の大きさ
上 下
64 / 283

63

しおりを挟む
 目を覚ますと累が隣で眠っている。そんな日が来るとは思わなかった。裸のまま気を失ったように眠りについた累はまるで死んでいるように静かで、さすがに心配になりそうだった。
「累。」
 声をかけると累はすっと目を開けた。良かった。生きている。
「おはようございます。」
「よく眠ってたな。」
「はい……。こんなに深く眠ったのは……。」
 自然に眠ったのは久しぶりだったかもしれない。あとはあの暗い地下室で紫色の液体に浸かったときだけだ。
「そうだな。俺も久しぶりにこんなにゆっくり眠ったかな。」
「用心棒なんてしていれば、いつ呼ばれるかわからないですからね。」
 彼女はまだ彼が用心棒だと思っている。本当は違うのに。紅花という名前をもらい、密入国しようとしているものを斬り、戦争があれば真っ先に駆けつけて人を斬る。そんなことをしているのだ。
「累。次いつ会える?」
「……わかりません。でも……可能性として一番あるのは、次の満月の夜でしょうか。」
「どうして満月なんだ。」
「……私にはよくわかりませんが、彩は満月の日は来ることがないので。」
 ただのパトロンであれば深いことは話さないだろう。ただ体を求めているだけだ。それ以外、彼女を求めることはないのだろうから。
「あいつは本当に体しか興味がないのか。」
「……だと思います。食事が気に入ったのであれば、食事に来るでしょうがそうではないようなので。」
「まるでおもちゃだ。」
 その言葉にドキリとした。自分はそのおもちゃと一緒なのに。殺人マシーンなのに。
「でも……今日デキて良かったです。」
 ごまかすように彼女は彼の体に体を寄せる。
「どうして?」
「前は短いスパンでしていたけれど……。間があけば本当に、自分が自分の体じゃないくらい感じてしまいました。」
 体を寄せてくる彼女の体を抱きしめる。そして彼は少し時計を見た。
「時間あるな。累。」
「え?昨日……。」
「いくら出しても朝は元気になる。」

 朝の港は静かなものだ。平日なら市場がにぎやかで、その中に累が居て、そしてたまに藍が来て、今日の食事は何かとか他愛もない会話をしている。
 今は彼らをとがめる人も居ない。隠す必要はないのだ。手を重ねて、二人は歩いていく。
 そして家の前にたどり着くと、手を繋いだまま向かい合った。
「真さんによく話しておいて下さい。」
「あぁ。あいつも用心棒の端くれだ。居なければ困るしな。」
「……そうでしたね。」
 そのことだけが疑問に残った。だが彼のことを信じていたい。だから何も聞かないことにした。
「食事には来る。またメッセージを渡すから。」
「わかりました。」
 このまま別れたくない。彼女は手を引くと、店の脇にある階段下に彼を連れてきた。そして手を首に伸ばす。彼も彼女の体に手を伸ばして、唇を重ねた。
「また。」
「えぇ。また。」
 手を離し、藍は行ってしまった。振り返ることはない。振り返れば離れたくなくなるから。

 城に帰ってくると、藍は自室に戻る。自室と言っても訓練場の脇にある小部屋のことだった。仕事は相変わらず山積みで、ため息がでる。だが夕べと、今朝と、ずっと累といれた。それだけで仕事でも何でも出来そうな気がする。
 上着をソファに掛けると、イスに座った。そして資料を手にする。そのときだった。
「紅花殿。」
 ドアをノックされた。彼はそれに答える。
「はい。」
 入ってきたのは、紫練だった。いつもよりも薄いベールをかぶっているようで、いつも隠れている目元が見えている。
「朝帰りですの?それとも家に帰れない何かがありましたのかしら。」
「……どうしてですか?」
「目の下にクマが出来てますもの。でも肌艶は良さそうなので、女性関係なのだろうなと。」
 彼は資料を机におくと、少し笑う。
「大僧正様は、色事に敏感ですね。」
「まぁ。そんなつもりはございませんのよ。」
「誰もがそういいます。で……何か用事ですか。真なら戻ってきたでしょう。」
「えぇ。少しお頼みしたいことがございましてね。」
「……何ですか?」
「その真さんを使って、一人消して欲しいんですよ。」
 神に仕えるものの割に物騒なことをいう人だ。まぁいいかねないとは思っていたが。
「国家のためなら軍は動かせますが、あなたの個人的な感情で兵は動かせません。理由を聞かせてもらっても良いですか。」
「……あなたのためでもありましてよ。」
「俺の?」
「えぇ。邪魔なんでしょう?彼女が。」
 彼女と言ったのは、おそらく幻のことだろう。
「特に邪魔だと思ったことはありません。昨日は真を探してくれる手伝いをしてくださいましたしね。」
「えぇ。まるで恋人のようでしたわね。それから前にも、あなたと幻緑殿は、顔をつきあわせて資料を作ったりしてましたし。」
「わからない言葉があったりしたから、聞いただけです。なんせ学がこちらはありませんし。」
「でも恋人はいい気持ちはしませんわよ。」
 それでか。夕べ累が必要以上に自分の容姿について、気にしていたのは。そんなことを気にしたことはないのに。
「それに彼女はきっとあなたに気がありますわ。」
「それは困りますね。」
 累に誤解をさせる。累は幻のことも知っているのだ。
「……利害は一致したと思いません?」
「しかしわかりませんね。」
「何がですの?」
「彼女を推薦したのはあなただ。人事権もあなたにある。それがどうして彼女を切ろうと?」
「簡単なこと。外面と内面は違う人。それに私もまだ気が付かなかったです。人なんて変わりますから。」
「……。」
 彼は黙り、ため息を付いた。
「少し考えておきます。」
「なるべく早めにお願いしますわね。」
 そういって紫練は部屋を出ていった。そしてがらんとしている道場を見渡した。不衛生で、汚い。こんなところに一秒だっていたくなかった。
 そして外に出ると、帯が心配そうな表情で彼女を迎えた。
「紫練様。」
「……彼は簡単にあの娘を切るかしら。どんな手で潰すか楽しみね。」
「簡単に切らないかも知れませんね。」
「どうして?」
「あの娘の正体を知っている可能性があります。」
 その言葉に今度は紫練の顔色が悪くなった。そしてますます切らなければいけないと思っていた。
しおりを挟む

処理中です...