テロリストと兵士

神崎

文字の大きさ
上 下
68 / 283

67

しおりを挟む
 もう夜でもジャケットは必要ない。黒いシャツに手を通し、累は二回の部屋にドアに鍵をかけた。
 あのあとこの辺の食堂、レストランを取り仕切る会長という人が彼女に会合があると誘ってきたのだ。誘いはこれまで何度かあったが、彩がそれをいやがって用事があると言っては断っていたが、今日は行けるというと会長は愛想笑いを浮かべてお待ちしてますと、口先だけの挨拶をして去っていった。
 夕暮れはとっくにすぎ、空には星が浮かんでいる。この空の下、藍はきっと売春宿の用心棒をしているのだろう。化粧臭いあの店で、酔っぱらいや金を払わない男たちの相手をしているのだろう。それも力を押さえて。
 彼女も何か言われたら反論すればいい。反論が通じない相手なら、力で何か言わないといけないんだろう。素人相手にそんなこともしたくなかったが、それも仕事のうちだ。
 会合の会場は持ち回り。今日は彩が殺せと言っていた、通りのもう一本向こうにあるレストランだった。累の店の周りは住宅街が多いがこの通りは小さな店がぽつぽつとあり、雑貨屋や薬屋もある。それらに用事はないので、この辺はあまり来たことがない。
 時間が時間なだけに閉まっている店が多いが、その一角は明かりがついている。ドアを開けると、彼女を誘った会長というよく太った男や、化粧の濃いおばさん、まだ若いであろう移民の男など多種多様な人が十人ほどいる。それでも区分けされたその地域だけのレストランや食堂の店主だ。こんなに人がいたなんて思ってもなかった。
「「旬食」の店主さん。この会は初めてですね。」
「はい。」
「まぁ、気軽に。そんなに堅苦しい会ではありませんよ。さぁ、そこに座ってください。」
 と言う割には彼女に勧めた席は一番下座。彼女が一番若い店のためにそうするのだろう。歳も一番若いだろうか。
「旬食さんは昼間だけの営業なのに、よく繁盛していらっしゃる。」
「とんでもありません。メニューも日替わりしかありませんし。」
「女性一人でするのって大変よねぇ。」
 化粧の濃いおばさんはそういって笑う。
「うちも主人が死ななかったら、一人ですることもなかったんだけどねぇ。」
「大変ですね。」
「それでもいいわぁ。一人で食べるだけだもの。あなたは?お一人?」
 一人という質問に、彼女は自問自答する。確かに普段は一人だが、彩も来ることも銘が来ることもある。それを一人というのだろうか。
「……一人ですね。」
 迷ったが一人という言葉を使った。
「さぁ。みなさん、食事が出来ましたよ。うちの自慢は魚の料理です。今日は香草焼きですよ。」
 テーブルに魚料理が大皿で置かれた。それをつまみながらの話し合いなのだろう。
「珍しい魚ですね。」
 この店の店主という人を見てみた。どうやら移民のようで、この土地の人にしてみたらやや扁平な顔をしている。移民の中でもあまり離れたところから来ているわけではなさそうだ。
 彩はこの人を殺せと言っていたのだろう。そして彼女の噂を流しているのはこの男なのだ。
「旬食さんは、こんな大皿料理を出さないですか?」
「えぇ。定食しかありませんし。」
「なるほど。あぁ。お酒は?」
「飲めないんです。お茶を。」
「わかりました。いい茶葉があるんです。地元のお茶ですよ。気に入ればいいが。」
 いい人に見えるが、本音は見えない。彩の言ったとおり、そんなに良い人ではないのかもしれない。
 年の頃はおそらく藍とそれほど変わらない。だが髪を短く切っていて、爽やかな印象がある。
「さぁ。お茶ですよ。」
 そういって彼は急須と湯飲みを持ってきた。蓋を開けると、花がぱっと開いている。
「花茶というやつですか。」
「えぇ。香りを楽しむお茶です。」
 お茶を出されたとき、彼女はおかしな事に気が付いた。彼の手。それは彼女と同じ手をしている。腕に火傷や切り傷があるのは料理人であれば不自然ではない。だがその手のひら。荒れて、血がにじんでいるのと同時に、タコがあった。それは包丁を握っているからつく独特のタコではなく、兵士がよくつくタコだった。つまり、剣を握っているのだろう。
「……。」
 同業者なのだろうか。彼女はそう思いながら、お茶を湯飲みに注いだ。ふわんと良い香りがした。
 鼻に近づけてその香りをかいだ。花の香りとともに妙な匂いがする。
「……。」
 それを口付けると、やはりかと彼女は湯飲みをテーブルに置いた。
「すいません。お手洗いはどこですか。」
 店主に聞くと、彼は笑顔のまま彼女を案内する。トイレは少し奥まったところにあり、店員がいつも案内していると彼は笑いながら彼女を連れて奥に案内した。
「ここです。では私は表に……。」
 そのとき彼の首にひんやりとしたものが触れた。そしてそれはぐっと力が入っていく。
「……誰に頼まれたんですか。」
「……何の話だ。」
 それは指。冷たい指だった。絞めているのは累だろう。振り払うことも出来るだろうがそれは許されないとばかりに、その指の力が強くなっていく。動脈をピンポイントで押さえていて、これ以上力を入れたら死ぬ。そう思えた。
「あの茶には何かが入っていますね。そして料理にも何かが入っています。」
「料理には口を付けていないはずだ。言いがかりもいい加減にしてくれ。」
「いいえ。言いがかりではないです。このままキッチンを調べさせてもらって良いですか。」
「……。」
「駄目ならこのまま力を入れます。」
 殺される。本気でそう思った。
「わかった……。だが他の者には黙っていてくれ。」
 指を離すと、彼は派手にせき込んだ。そして彼女を見上げる。表情の変わらない女だ。まるで自分の地元にいた殺し屋のようで、ぞくっとした。
「案内してください。」
 彼が案内したキッチンは彼女の店の倍以上ある広いキッチンで、火力がハンパないようなコンロや、見たこともないような刃渡りの広い包丁がある。
 だが彼女はその中を調べる。するとお茶だと言っていたその花茶の元に触れる。
「……これは……。」
 すると彼はため息を付く。
「有毒じゃない。だが中毒性がある。麻薬みたいなものだ。」
「……これを食事に混ぜていた?ある一定の量を食べると、また食べたくなると思いこませるように?」
「その通りだ。そうでもしないと……。あんたの店に客を取られっぱなしで……。」
 彼女はため息を付いて彼に詰め寄る。
「そんなことをしてもあなたの腕なら、お客様を呼び戻せるでしょう?どうしてそうしなかったんですか。」
「……仕方ないんだ。それにこれを言い出したのは、私ではない。」
「誰が?」
「会長だ。ついでに言えば、会長は……城の……黄の家臣に……。」
 そういって彼は膝から倒れ込み、顔を押さえて嗚咽しだした。料理人としてのプライドが許さなかったのだろう。
「……私は帰ります。あなたがこれをどうするかは、これからじっくり見ます。」
「……。」
「さっきも言いましたが、私は定食形式でしかお客様を満足させられません。あんな大皿の食事がでることはないでしょう。それがあなたの強みになるんではないですか。」
 キッチンから出ていき、彼女は食事をしている彼らに少し挨拶をした。急に用事を思いだしたと、彼女は告げるとその場をあとにする。
 そしてレストランを出ると、ため息を吐く。
 黄の家臣。黄林とという男だった。おそらく次はその下がターゲットになるだろう。また人を殺す。世の中のためだ。
 案外彩が殺せといっていたのも、間違いではないのだろう。
しおりを挟む

処理中です...