テロリストと兵士

神崎

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 電気をつけて、真を部屋の中に入れた。そして累は夜間に水を入れて火を付ける。カップを二つ用意して、ポットの中に茶葉を入れた。
 しばらくしてお湯が沸くと、ポットの中にお湯を入れた。
 そのポットとカップをトレーに乗せて、リビングへ向かう。すると真はまるで自分の家のようにくつろぎながら、雑誌を読んでいた。
「この辺のイベントがある時をチェックしてんだ。」
「タウン誌ですか。」
「あぁ。イベントに合わせてメニューを変えてんだね。」
 彼女は向かいのソファに座ると、カップにお茶を入れた。
「どうぞ。」
「ありがとう。」
「……彩が何か言ったそうですね。」
「あぁ。そうだよ。君が鼠をしていることはあっさり認めた。彩の指示で動いていて、君は実行犯。そしてヒューマノイドだって事も。」
 口が軽い。だが真もヒューマノイドだとしたら、彩が知らないわけがない。彼女は諦めて彼を見る。
「それで、どうしますか。」
「え?」
「私の代わりに実行犯になるわけですよね。私は用無しですか。」
「……いいや。正確には実行犯は君だ。僕がするのは、彩の代わりにターゲットや作戦を伝えること。」
「と言うことは……。」
「そ。彩も銘もここにくることが少なくなるだろうね。まぁ、ここに来るのって、ちょっと不自然だったもんね。僕が来てる方が自然かな。」
「そうでしょうか。」
 お茶を飲みながら彼女は首を傾げた。
「急に弟が出来たらおかしいですよ。」
「恋人にしておけば?」
「私の恋人は一人だけですから。」
 さっきまで手を繋ぎ、軽くキスをした男。それが彼女の愛しい人だった。
「藍が来ることあるの?」
「あまりありません。不用意に人を呼ぶなと言われているので。」
「それもそっか。妙なものが出てくるかもしれないしね。でも藍は来たことある?」
 不自然だ。どうして藍のことばかり聞くのだろう。まるでさっきまで藍に会っていたことを知っているようだ。
「見てたのですか。」
「何を?」
「先ほどまで藍と一緒にいました。」
「見てないよ。ただ……彩から言われてる。」
「何を?」
「藍を忘れさせろって。」
 その言葉に彼女は立ち上がり後ずさりをする。先ほどの幻の姿を思い出したからだ。
「彩は知っていて……。」
「あぁ。全ての感情をリセットさせろって。僕にならそれが出来る。今日、その実験をして本当に何もかも忘れているみたいだったね。始末するのに、楽だった。」
「……真さん。あなた!」
 幻を殺したのか。なんと惨いことをしたのだろうか。藍を忘れさせるために、好きでもない相手とセックスを気が狂うまでさせられたあと、記憶を消されて殺した。
「何も知らないで殺した方がまだましだったんじゃない?幸せなままさ。まるで子供だったよ。」
「そんなところまで後退させるなんて……。」
「何で?何で必要かな。」
「愛していたのでしょうに。」
「じゃあ、藍をとられて良かったの?」
「それは……。」
「中途半端な優しさだし、それが中途半端な感情を植え付けられたヒューマノイドってわけだ。」
 いつの間にか真も立ち上がると、彼女に近づいていた。
「累。」
「……。」
 腕を捕まれて、やっと我に返った。それをふりほどいて彼から離れるように壁側に逃げる。
「全て忘れなよ。藍は人間だ。きっと気が変わることもある。」
「イヤです。」
「それに君……あの青い薬がないと、頭痛で起きてられないんじゃないの?」
「……。」
「戦闘用ヒューマノイドを改造して、無理矢理感情を入れたんだ。歪みが出てくるはずだ。全てを忘れた方が楽になれるだろう?」
 すると彼女は首を横に振る。その様子に彼は手を掴み、彼女を壁に押しつけた。そしてそのまま少しかがむと、顔を近づける。
 唇が触れる。最初は軽く。それだけで彼女の力は抜ける。記憶を無くすにはセックスまでしないといけないが、キスである程度の性欲のスイッチが入るのだ。
 それを知っているから彼は彼女の腕を掴むのをやめた。そして顎に手を添えると、また唇を重ねようとした。しかしそれを彼女は手で防いだ。
「……どうして。」
「イヤですから。コレ以上はしないでください。」
 依然したときよりももっと冷静だ。どうしてそんなことが出来るのだろう。
 ヒューマノイドは一緒ではないのか。あの幻と一緒ではないのか。
「あなたのスイッチが入ってしまったというのだったら、遠慮無く切りますけど。」
 体を押しのけられて、彼女は後ろのポケットから折りたたみのナイフを取り出した。普通ならこんなものが武器になるはずがない。普通なら。
 彼女は今、普通ではないのだ。感情が高ぶっている。真であろうと何であろうと、切り捨てる覚悟だった。
「わかった。悪かったよ。僕の負け。今日は何もしない。」
「今日は?」
「……しばらくね。」
 そういって彼は手を挙げた。
「彩がここへ来ないと言ったのも嘘でしょう?あなたと彩は知り合いかもしれませんが、いい知り合いと思えません。あなたのことをそんなに信用していると思えない。」
「そうだね。それは嘘。本当はどんな手を使ってでも、君の藍への恋愛感情を忘れさせてくれって事だったんだよ。」
「……そこまでして?」
「それはそうだよ。」
 だって藍は紅花なんだもの。しかしそれだけは言うなといわれている。
「……今まで通り彩だけを見る生活をして欲しいってさ。」
 すると彼女はため息をついて、ナイフをしまう。
「そうですね。表向きには彼はパトロンです。来なければおかしいでしょう。」
 だが彼女の中でもう彩と体を重ねる気はなかった。こんな事をしてまで、彼が彼女をつなぎ止めようとしているという事が滑稽だったからだ。
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