テロリストと兵士

神崎

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 ランチの時間が終わると、たいがい累は市場を見て回ったり病院へ行ってメンテナンスをしていたし、隆は家に帰って少し眠ったりしていた。しかし今日は違う。
 二人は港の船着き場にいた。漁船が多いこの土地は、昼間には殆ど人は居ない。それを良いことに彩はそこに二人を呼びだしたのだ。
 人影のないところに、ぽつんとある影。それは二つであり、累と隆は顔を見合わせた。
「誰か居ますね。」
「誰だろうか。鼠の一人か?」
 近づくと、彩は笑顔で二人に手を振った。そしてその隣の女性も笑いながらこちらを見ていた。口が大きく豊かな胸の大きく合いたシャツを着ているところを見ると、売春婦にも見える。高いヒールを履いているのか、彩と並ぶと同じくらいの身長になっているようだ。
「初めまして。菖っていうの。」
 どことなく倫に似ていた。それをわかり、隆は視線を逸らす。
「僕がよそで演奏をしているときの相方だよ。歌が上手でね。」
「あらやだ。彩の腕がいいのよ。」
 表情豊かに笑う彼女は、表情のない累とは対照的に見えた。
「それで……彼女は何を?」
 累は冷静に聞くが、隆には彼女が明らかに不機嫌になっているのがわかる。だが今は何も出来ないだろう。
「彼女には隆と今夜あの部屋にいて貰うんだ。」
「え?俺とこいつが?」
 その言葉に菖が反論するように言う。
「別に好きでいるんじゃないわ。彩の頼みだから居るだけ。二時間ほど男と一緒にいてくれって言うから。」
 頭を抱えて累をちらりと見る。彼女は菖を見て、そして彩をみあげた。
「……そうですね。カモフラージュは居た方が良いでしょう。」
「カモフラージュ?」
 彼女はため息をつくと、海の方をみる。
「で、いつ出発しますか。」
「店が終わったら君はここで。隆はそのままこの子の部屋に行ってくれ。」
「詳しい話は行く道中でも良いでしょう。」
「そうだね。とりあえず、この場は菖に顔合わせをしたいと思っただけだし。」
 だが隆と菖は全く気があわないらしく、お互いに視線も合わせようとはしない。
「二時間もいるなんて地獄ね。」
「こっちの台詞だ。女は苦手なんだよ。」
「あら、こっちの方は恋人じゃないの?」
 こっちの方と言われて、累は驚いたように彼女をみる。
「そうですが。」
「女を感じる人が苦手って事?何か損してるわね。」
 自分が侮辱されるのはかまわない。だが累を侮辱するのは耐えられない。思わず拳を握りそうになった。しかしそれを止めたのは彩だった。
「菖。別に君じゃなくてもいいんだ。うちの店にも女性はいるから。」
 その言葉に彼女は手を振って否定する。
「そういう意味じゃないのよ。」
 今更変えられない。全く、言葉というのはやっかいだ。

 店に戻ろうとして、市場を横切る。だが累は黙ったままだった。どうやら菖のことを気にしているらしい。女性らしい女性で、きっと隆と並んだらとても絵になるだろう。
「累。」
「どうしました?」
 たまらず彼が声をかける。しかし彼女はいつも通りの表情だった。
「あ……茶でも飲まないか。店にこのまま帰っても時間があるし。」
「……必要ありませんよ。それよりも、気を付けてください。」
「何が?」
「あの女性です。」
「菖と言ったか。あいつに何を気を付ける?お前が気にしているようなことは……。」
「そうではありません。気がつきませんでしたか?」
 彼女は顎に手を置いて、彼に言う。
「何を?」
「彼女の目の焦点が合っていませんでしたから。」
 驚いて彼は彼女をみる。そこまで把握していたのかと。
「彩がそんなことに気がつかないとは思えません。もしかしたら彩はあなたを陥れようとしてるのかもしれませんね。」
「俺を?俺を陥れて何のメリットが……。」
 メリットならある。菖もろとも隆も捕まれば、嫌でも累から離れることになるだろう。
「おそらくあなたのことにも気がついているのかもしれません。」
「俺の……。もしかして、王家のことか。」
「えぇ。現在の王にしてみたら、あなたは邪魔な存在かもしれません。」
「彩に何も関係ないだろう。」
「どうでしょうか。彼は城にちょくちょく顔を出しているそうです。何の目的かはわかりませんが。」
「……。」
「隆さん。今晩は、あの部屋にいない方が良いです。これを渡しておきます。私は終わり次第、そこへ行きますから。」
 そういって彼女はバッグの中から、鍵を取り出した。変わった形の鍵で、端にキーホルダーがついていた。
「これは?」
「食堂の鍵です。ちょくちょく行って手入れをしています。そこで、トマトソースを作っていてください。二時間あれば出来上がるでしょう?」
 そういって彼女はもう終わりかけのトマトを売っている屋台をみる。
「いいのか?彩の言うことに逆らって。」
「良いです。陥れようとしている人に情はいりません。」
 彼女には善悪に無頓着だ。敵にするとやっかいなのかもしれない。だがそれは危うい。
「トマト以外に何かありますか。」
「あ……そうだな。ニンニクとオリーブオイルと……。」
「調味料はあります。食堂のキッチンに入り後ろの棚にある程度はありますから、好きに使ってください。」
 そういった彼女の表情は少し笑っているようにも見えた。
「保存は冷凍も出来る。一ヶ月くらいは持つと思う。」
「冷蔵では?」
「三日。うちは三日で廃棄しているだろう?」
「そうでしたね。でしたら冷蔵にしてください。そして休みの前の日にでも食べませんか。」
 店の休みの日。それは明日の夜からだった。そのとき一緒になれる。だがその鍵を握り、彼は不安に思う。
「彩もこれを持っているんじゃないのか。」
「鍵を変えました。彩も持っていません。」
 こっそりと変えた鍵は、前ものものよりもさらにピッキングなどで着ないものになっている。それだけ彼女はもう彩に気持ちを持っていないのだろう。
 だがそれは意地になっているようにも見えた。生まれたときから一緒にいる彼を、こんな風に裏切りたくないと思っているのかもしれない。
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