テロリストと兵士

神崎

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 いつの間にか眠っていたらしい。累の温かさが心地よかった。だが目を覚ますとその累はいない。隆は慌ててその周りを探す。だが部屋の中には彼女はいなかった。
「累?」
 すると彼女は入り口から部屋の中に入ってきた。眠っていないらしく、目が腫れている。
「どこに行ってたんだ。」
「藍さんが来ていたので、出口まで見送っていました。」
「藍さんが?」
「私が気にしていたのだろうと、秀さんのことを。」
「……どうだったんだ。」
 彼女は布団の上に座ると、少しうつむいたあと彼に向かう。
「時計台があるんですが。」
「あぁ。どこにいても目立つな。高い建物だ。」
「あの上にある時計仕掛けのところで、飛び降りて死んでいました。」
「死んだ?」
 秀という人物に面識はない。だが彼女にはあるのだろう。
「……自殺に見せかけて殺されたと、藍さんは言っていました。」
 灰音なら、それくらいは朝飯前なのだろう。そしてそれは彼女にもいえる。自殺に見せかけて殺せと言う指示は何度かあったし、その通りにしたこともある。事故に見せかけて殺したこともあった。
 それは将来隆に降り注ぐことかもしれない。
「隆。」
 彼女は彼にむき直すと、彼の目を見ていった。
「あなたを失いたくありません。」
「俺もだ。俺もお前を失いたくはない。」
「……でも……この状況ではあなたが……。」
「俺が灰音に捕まり、殺されるかもしれないと?」
 少しうなづいた。彼の強さというプライドを傷つけるかもしれないと思ったから。だが彼は少しため息を付くと、彼女の頭をなでた。
「そうかもしれないな。俺は島では強い方だったかもしれないが、お前等に比べるとそうでもないということはわかっている。」
「隆。」
「かといって一朝一夕で強さは身につかない。累。守ってくれるのか。」
 どうしてこんなに言わんとしていることがわかるのだろうか。彼女は彼の体に体を寄せた。
「はい。」
 彼女の温かさがある。それは何者にも代え難いものだった。
「ところで……崇という人物のところには、何時に行けば良かったか。」
「……十時といっています。」
「だったらもう少し時間があるな。累。上を向いて。」
 素直に彼に従うように上を向いた。すると彼はその唇にキスをする。
「……んっ……んっ……。」
 苦しそうに声を上げる彼女。それが愛しい。
「累。このときだけは主導権をもらって良いか?強さで適わないなら、せめてこれくらいは。」
「そうしてください。」
 彼女を寝かせ、その上に乗りかかる。そしてまた唇を重ねた。そのときだった。
「お客さん。起きてる?朝ご飯、食べるかい?」
 外から声が聞こえた。夕べ共同浴場の案内をしてくれたおばさんが、声をかけてきたらしい。
「朝ご飯……ですか?」
「魅力的だな。」
「だったらいただきましょう。」
「……。」
 不満そうに彼は彼女から降りると、入り口に向かう。
「あぁ。起きてたんだね。食べれなかったら無理にとは言わないけど。」
「いいえ。いただきます。ちなみに何ですか?」
「今朝、搾乳したての牛乳でミルク粥か、とろとろのチーズを乗せた焼きたてのパンだよ。」
 思わずおなかが鳴りそうなメニューだ。不満そうだった隆に笑顔がこぼれた。
「お茶もありますか?」
 彼女も入り口に向かって彼女に聞く。
「ミルクティー入れてる。うちのは絶品なんだ。母屋においで。」
「はい。」
 外は薄く雪が積もっている。おそらくこの土地でも初雪なのだろう。

 いくつかの食材を購入し、隆と累は夕方、バス停にいた。雪が降っているからと言って、バスは遅延しない。雪になれている土地柄だからだろう。
「このチーズは売れるかもしれないな。」
「昔、同じようなチーズを作ろうとしたのですが、やはり海辺の土地は気温が高くてあまり上手にはできませんでしたね。」
「でもここは夏になったら、海より暑いぞ。」
「本当ですか?」
「あぁ。また夏に来よう。」
 そのときはきっと仕事ではない。どこにでもいるカップルのように、彼らはきっと恋人になれる。
「累。」
 彼は声をかけると彼女は不思議そうに彼を見上げた。
「藍さんはまだここにいるのか。」
「えぇ。仕事が残っているからと。緑秀さんがいなくなって、さらに遅れるかもしれないといっていましたね。」
「……。」
「信さんは緑秀さんの遺体を街に届けるそうです。」
「通訳いなくて大丈夫なのか?」
「こちらの言葉が通じる人はいらっしゃるそうです。その方を雇うと。」
「どうにでもなるものだな。」
 そう言って遠くを見る。バスは来るが、街へ行くものはまだ来ない。
「気になるか?」
 一番気になることだった。藍だけじゃない。きっと彼は灰音を気にしている。おそらく藍と対峙したときよりも、緑称と対峙したときよりももっと恐怖を感じたに違いない。王家についているとは言え、今の藍は鼠とつながりがあるだけで、王家にたてついているようなものだ。
 きっと王が殺せと言えば、灰音から殺される。彼女はそれを防ぎたいと思うのだろうか。それを防ぐために、ここに残りたいと思うのだろうか。
 いいや。自分と一緒にいれば、そんな世界に首を突っ込まなくてすむ。あの街に帰って一緒に笑いあう。そんな日々が待っているはずだ。
「どうして灰音がここにいたのか……気になりますね。」
 予想通りだ。彼女はずっと灰音のことが気になっているらしい。だが藍もそのことに首を突っ込むことを拒否しているように思える。それに自分も行かせたくない。
「気になるのはわかるが、オーナーには今日帰るといっている。無理言って店自体も休みになっているし、これ以上はいれないんじゃないのか。」
「そうですね……。」
 バスがやってくる。しかし待っている自分たちの前には停まらない。少し遅れているようだ。この分だと街に着くのは、夜遅くになってしまうかもしれない。
「累。勘違いするな。お前は藍さんをはじめとした国家のごたごたに巻き込まれたかもしれない。だが、お前は料理人なんだろう。」
「……はい。」
「だったら、お前がこれからやることは一つだ。」
「……そうですね。」
 どうしてこんなに心がわかってくれるのだろう。彼女は少し笑い、向こうから来たバスに目を留めた。
「来ましたね。」
 バスはあまり広くない。だから二台連なって帰るのだ。暗くなっていく空だが、まだ時間は遅くなっていない。
 ドアが開いて彼女らはバスに乗り込んでいく。
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