テロリストと兵士

神崎

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 累を抱きしめて眠るのは久しぶりかもしれない。セックスもしないで、ただ二人で抱きしめあって眠る。この時間が幸せだった。そしてその時間はずっと続けばいいと思う。
 国家とか戦争などそんなモノとは縁がなければいい。ただ静かに暮らしたいと言っていた父親の言葉が今になってわかると思わなかった。
 そして静かな夜が続くそのとき、隆はふっと目を覚ました。腕の中にいる累はまだ眠っている。彼はゆっくりと彼女を離して、起きあがった。喉が渇く。岩塩を舐めてみたのが悪かったのか。やはり調味料だと苦笑いをしていた累が、印象的だった。
 リビングへ行き、キッチンに行くと冷蔵庫から水を取り出してコップに注いだ。そのときだった。

 ガチャ……。

 玄関のドアが開く音がした。この家の鍵は、滅多なヤツでは開けないような鍵をしているはずだ。だがそれも外せる人。ただ者ではない。
 彼は息を潜めて、コップをそっと置く。そして玄関の方へソロリソロリと近づいた。そして玄関からリビングにそいつが足を踏み入れた。そのときだった。彼は素早くそいつの首元に手を当てる。
「誰だ。」
 背の高い男だ。彼と変わらないように思えた。だが先手は取っている。力を入れれば首は締まるのだ。
「……俺だ。」
 その声に彼は手の力を緩めた。
「藍?」
「あぁ。悪いな。こんなこそ泥みたいな真似をして。」
「全くだ。用事があるんだったら、チャイムでも鳴らせばいいのに。」
「鳴らしたが鳴らなかった。」
「壊れてるのか。仕方ないな。」
 彼はため息をついて、リビングへ向かう。
「累は?」
「寝てる。俺はちょっと目が覚めただけだ。」
「そうか……。今夜中に話しておかないといけないことがあったんだが。」
「伝えておく。何だろうか。」
「……そんなに意地にならなくてもいいんだがな。独占したいのか?」
「出来ればな。」
「……まぁいい。その話は今度だ。昼間の話は聞いているか?」
「あぁ。医者が殺人未遂の容疑をかけられそうになったと。」
 薄く電気をつけて、隆はソファに座る。その向かいには藍が座っていた。隆はテーブルにおいてあった煙草に手を伸ばす。
「信は……あのアパートにいた時点で、記憶が戻っていた。ナイフを見て思い出したらしい。」
「……だったらずっと記憶のないふりをしていたのか。」
「あぁ。だが、精神科医にはそんなことは通じない。真実を見破られそうになって、自分で自分の腹を刺した。」
「……。」
「だがそんなことは通用しない。傷は深いが、大事な臓器や神経は避けられれているし、何より自分で自分を刺すというのはどうしても躊躇う。それが傷のぶれにつながる。」
 それに史医師の体内からは、ある薬の痕跡が見つかった。
「薬?」
「累から聞いていないだろうか。城の教会の地下にある薬だ。信者にはお香として嗅がせているみたいだが、史医師からはその数倍の痕跡が見つかった。無理矢理嗅がせたということだろう。」
「と言うことは……誰かが嗅がせたと言うことか?」
 煙草に火をつけて、彼は藍をみる。
「あぁ。それにあのナイフを持ち込んだ人物がいる。信の居たところに潜んでいた。」
「……。」
 史医師は医師として有能だが、格闘は出来ない。そんな柔な人に薬を買がせるのは、容易い仕事だっただろう。
「誰か目星はついているのですか?」
「灰音であれば可能性はあるだろう。だが素人にそんなまどろっこしいことをするだろうかというのが俺の見解だ。もっと頭の足りないヤツのやり方だ。」
「頭の足りないヤツ……。」
「隆。お前は何をしていた。」
「俺を疑っているのか。」
「一つ一つ潰していっているだけだ。」
 隆は灰皿に灰を落とすと、彼に言う。
「彩と会っていた。」
「彩?」
 彼は立ち上がると掛けていたジャケットから銃を取り出した。
「これは累から預かったものだ。そしてこれを累に渡したのは彩だ。」
 彼はその一部始終を藍に語る。そして家族も脅しにかけられているかもしれないと、彼は告白した。
「……なるほど……。」
「彩ならやりかねない。だから明後日島へ累と行く。累には家族に会わせたいとだけ言っている。余計な心配をするとまたあいつの頭が痛くなるし。」
「……家族というのはそんなに大事なのか?足かせになるのだったら切ってしまえばいいのに。」
「そうはいかない。育ててもらった恩もある。」
 家族など持ったことのない藍には理解が出来ないことだろう。
「信にはまだ話が聞ける。俺は行けないが、せいぜい気をつけろ。」
 銃を手に持って、藍はわざと隆にそれを向けた。
「よせ。玉が入っている。」
「そのようだ。しかし……お前はどうしてこの銃に仕掛けがしてあると気がついたんだ。」
「……ただの知識だ。」
「牛や豚を絞めていたこともあると言っていたが、銃を使うと獣は食べられたものじゃないだろう。銃の知識に詳しくないとそんなことまではわからない。お前……いったい何を隠しているんだ。」
 その言葉に隆は、ふっと笑う。
「俺が何を隠しているのかって?何も隠してない。知識としてあるだけだ。小さい頃から、元赤の側近様に仕込まれてな。」
 知らず知らずに彼は疑うことを覚えていったのだ。それは王の子供として彼の父親が仕込んだことだろう。
「なるほどな。」
「俺が怪しいとでも思ったのか。」
 煙草を消して、彼は薄く笑う。
「誰ですか?」
 そのとき累の声がした。彼女も起き出したのかもしれない。
「累。起きたのか。」
「話し声がしたので……あぁ、藍でしたか。」
 藍のそのときの表情を累は見たことがなかった。そして隆のもとへ素早く走っていく。
「累?」
 耳をつんざくような音がした。

 バン!

 累は隆をかばうように彼を突き飛ばした。それでも彼女は避けきれなかった。
「累!」
 左の肩があっという間に真っ赤に染まる。
「藍!あんた!」
 するとそこには銃を手にした藍が立っていた。そして銃口をまた隆に向ける。
「累に助けられたな。隆。」
「その声……。あんた藍じゃないな。」
 すると彼はそのウィッグをとる。そこからはオールバックの髪が出てきた。
「灰音……。」
「お前等は出しゃばりすぎだ。道具は大人しく人間に使われていればいいのに。道具に惚れている奴もバカだ。」
 薄く笑い、銃を構え直す。
 隆をかばうように累はまだ彼の体を抱きしめたままだったが、肩の血は床にぽたぽたと落ちていく。累は放っておいても死ぬだろう。邪魔なのは隆。
「二人まとめて死ぬか。ちょうど玉はもう一発あるし。」
 そのとき累がよろっとしながら立ち上がり、灰音に向かって素早く体当たりをした。まるで何も傷つけられていないような動きに、灰音は思わず避けきれない。
「ぐっ!」
 その力で壁に打ち付けられ、銃が床に転がった。
「累。」
「早く銃を!」
 隆はその銃を手にすると、灰音に向ける。灰音は累に押さえ込まれていた。
「その怪我でよく巻き返せたものだ。」
 だが出血はひどい。顔色はどんどんと悪くなり、灰音の体にも血が落ちる。いつ意識が無くなってもおかしくないようだ。
「だが銃は一丁ではない。」
 そういって彼はポケットから小型の銃を素早く取り出す。そしてその引き金を引こうとした。だがそれにすぐに気がついた隆がその銃を蹴り飛ばす。すると銃は暴発し、キッチンの方に打ち込まれた。
 そのときひんやりとした空気が吹き込む。そしてその男は灰音の頭に銃口を突きつけて、迷うことなくそれを引いた。

 バン!

 サイレンサーがついていたのか、それほど大きな音が鳴らなかった。だがその距離で避けきれるわけがない。灰音は細かく痙攣しながら、絶命した。
 そしてその死体の上に乗りかかっている累は、その男を見上げる。金色の癖毛の髪。あまり大きくない体。
「……真さん……。」
 真の姿を見ると彼女は意識がとぎれたように、その死体の上に体を横たえた。
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