彷徨いたどり着いた先

神崎

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親族と他人

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 警察を呼ばれる前に、二人の手を引いていったん「clover」に戻ってきた。このままだと喧嘩になって、大騒ぎになると思ったのだ。幸いにもあまり大した距離ではなくて良かった。手を引いている間にも、二人はつかみかかって喧嘩を始めそうだったからだ。
「響子。あんなところで手を挙げるな。」
「あなた、あそこまでバカにされて何で何も言わないの?」
「こっちにはこっちの事情があるんだよ。バカ女。どうせ、こいつの口先だけで一緒になったような女だろ。」
「何ですって?」
 また喧嘩を始めそうだ。これではきりがない。
「響子。いったん落ち着け。そうだな……ちょっと、コーヒーでも淹れるか。」
「あんたが淹れたようなコーヒーなんか飲めるかよ。」
「飲まないなら飲まないで良い。」
 暗い店内に明かりがついた。そして圭太はそのままカウンターに入っていこうとする。だが響子が冷静さを取り戻したのか、圭太を押し退けてカウンターに入っていく。
「私が淹れるわ。」
「出来るのか?」
「どんな状況でも同じ味のコーヒーを淹れないといけない。それがお祖父さんの教えだから。それにどの豆を使ったらいいかなんてあなたにはわからないでしょう?」
 お祖父さんという言葉に、男の目が前を向く。
「ネルドリップで淹れるわ。」
「ネルなんか普段使わないだろう?」
「ちょっと古い豆を使うから、ペーパーの香りで邪魔するかもしれなかったし。」
 コーヒー豆を取り出して、ミルで挽いていく。その一連の行程で、響子は少しずつ冷静さを取り戻していた。
「ここ、あんたの店か。」
「あぁ。」
「姉さんとするつもりで?」
「違うな。ちょっと……あの会社にも居たくなかったし。」
「よく資金があったよな。」
「結婚資金を頭金に使ったから。」
 圭太はそういって濡れたタオルを男に手渡す。響子に派手に殴られたのは、まだ赤く晴れていると思ったからだ。
「この店……タウン誌に載ってた。あんたの姿がちらっと映ってて、いらっとしたんだ。姉さんを死なせておいてヘラヘラ笑っているあんたが……。」
「……俺がバカだったから、真子を追いつめた。」
「わかってる。あんたが何をしても姉さんが帰ってこないことなんかわかってたのにな。」
 そのとき俯いていた男が顔を上げた。今まで嗅いだことの無いようなコーヒーの匂いがしたからだ。
「コーヒー?」
「あぁ。あいつはバリスタだよ。うちの従業員。」
「姉さんだってバリスタだったはずなのに、あんた、もしかしてすげぇ良い豆を使ってこの値段設定に?」
 テーブルにおいてあるメニューのコーヒーという文字を見て、その値段に驚いていた。
「違う。別に特別な豆を使っているわけじゃない。「ヒジカタカフェ」のようにそこまでのこだわりはないんだ。あくまでここはケーキ屋だし。」
 しばらくして、カップを三つもった響子がテーブルに近づいてくる。そして男の前にカップを置いた。
「悪かったわね。殴って。それはお詫び。オーナー。私の手出しにしておいて良いかしら。」
「良いよ。お前も簡単に頭に血が上る癖、そろそろどうにかならないか。」
「悪かったわね。」
 誤解をしていたのは、自分の方だ。男はそう思いながら、そのカップを手にして響子に頭を下げる。
「すいません。生意気な口を利いて。」
「……かまわないわ。お互い様でしょ?ところで、あなたは何なの?オーナーの知り合いかしら。」
「あ……俺、三笠功太郎と言って……その……。」
 功太郎は言いにくそうだ。それを感じて、圭太は座った響子に言う。
「真子の弟だ。」
「やっぱりそうなのね。」
 予想通りだった。そう思いながら、響子はコーヒーを口にいれる。久しぶりにネルドリップでコーヒーを淹れたが、普段出すコーヒーと遜色はない。ほっとした分、わずかに手が震えている。
 真子のことでまだ圭太に恨みがある人が居るのだ。
「これ……コーヒーなんですか。すごい……うまい。」
「……良かった、気に入ってもらって。」
 コーヒーを口にいれて、功太郎は初めて口元だけで笑った。コーヒーにはそういう魅力がある。
「俺……姉さんの淹れるコーヒー以上に美味いコーヒーはないと思ってたんです。どこで飲んでもあれ以上はないって。」
「死んだ人が作ったものは神格化するからな。特に記憶にしか残っていないものは特にだ。響子だってそう思うだろう?」
 コーヒーを飲みながら、響子はうなづいた。
「同感。祖父の淹れたコーヒーに浜田届かないと思うけれど、最近は自分の勝手な想像で作られているのかもしれないと思うわ。」
 「古時計」に来てくれていた古参の客が、この間噂を聞きつけてやってきてくれたのだ。
「これが響子ちゃんの味だというのだったら、それでいいんじゃないのかな。変にマスターの味に近づこうとは思わなくても良い。私は、この味もマスターの味も好きだな。」
 そう言ってくれたのが嬉しかった。
「あの……響子って……名字は何ですか。」
「本宮。」
「……本宮さん。あの……。」
 カップを置いて、功太郎は響子に真っ直ぐ向いた。そして頭を下げる。
「弟子にしてもらえませんか。」
「でっ……。」
 驚いて響子はその頭を下げている功太郎を見下ろした。
「功太郎。お前、何を……。」
「姉さんよりも美味いコーヒーを淹れれる人の弟子になろうと思ってんたんです。このコーヒー、俺の味の記憶も何もかも吹っ飛ばしてくれた。本宮さん。お願いです。」
「お願いって言われても……。」
 響子は困ったように圭太を見る。すると圭太は呆れたように功太郎に言う。
「功太郎。一応、オーナーは俺だけど。」
「るせーな。あんたは、本宮さんのコーヒーとそのケーキ?か何か売ってればいいんだよ。」
 今度は圭太の堪忍の尾が切れたようだ。
「てめぇな。オーナーが雇うって言えば雇うけど、響子はうちのオーナーじゃねぇ。決めるのは俺なんだよ。」
「じゃあ雇ってくれよ。」
「無理。うちもう人時は一杯なんだよ。だいたい、何だよ、雇うのにその口の効き方は。」
「良いじゃん。昔から知っているんだし。」
「駄目。だいたい、お前どっかの工場で働いていたのに、すぐ辞めれるのか?」
「所詮派遣だよ。すぐあっちも切ろうと思えば切れるし……。」
 響子はカップを置くと、功太郎の方を見る。
「三笠君だったかしら。」
「はい。」
「オーナーが駄目と言ったら駄目なのよ。それにあなたいくつ?」
「二十三です。」
 もっと若いと思っていたのに、驚いて響子は功太郎をみた。せいぜい高校を卒業したばかりくらいだと思っていたからだ。
「工場にお勤めなのよね。それで良いじゃない。食べていけるんでしょ?」
「食べていけますけど……半分は俺のものにならないし。」
 その言葉に圭太も驚いて功太郎を見る。ぽつりと言った功太郎はまたカップを手にすると、その魔法のようなコーヒーに口を付けた。
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