彷徨いたどり着いた先

神崎

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裏切り

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 電車は予想通りすし詰めのような混雑で、細い響子を守るように一馬はその側に立っていた。ハードロックのライブには、屈強な男たちや肌を露出させた派手な化粧の女が多い。彼らは血の気が多く、しかもライブの終わりで気が立っている。何かしらの難癖を付けてくるものも多いのだ。
 すぐ側に一馬がいる。なのにその太い腕に触れることも今は許されないのだ。それは一馬も一緒で、すぐ側にいるのに響子の体に触れることも出来ない。それにさっき圭太のことを口に出してしまった。それで響子も複雑な気持ちになっている。
 このあと二人で消えたい。二人の時間はそう多く取れるわけではないのだから、せめてこのときだけでも手に触れたいと思う。なのに心の合いだにぽっかりと溝が出来たような感覚になっていた。
 やがて最寄り駅に着く。いつもの見慣れた繁華街の入り口が、目の前に広がっていた。やはりライブ帰りの人達が、そのまま繁華街に消えている。そのまま食事をしたりするのだろうか。
「響子さん。良かったら、食事でもしないか。」
「帰さなくてもいいんですか?」
 嫌みな一言だ。すると一馬は頭をかいて響子に言う。
「裕太にはそういわないと、二人になれなかった。そのためにオーナーの名前を使ったのは悪いと思っているが、その……どうしても……。」
 口べたな一馬が一生懸命弁解している。それを感じて響子は少し笑った。
「わかってます。ライブのあとも楽しみにしていたんですから。どこか良いところがありますか?」
「昔なじみがあるんだ。気を使わなくても良いし、何より飯が美味い。こっちだ。」
 そういって二人は繁華街の中に入る。同じメンバーだった人にも誤魔化さないといけない。どこで誰が見ているのかわからないのだから。それでもこうしていたい。響子はそう思いながら、その背中について行く。

 一馬が連れていってくれたのは、繁華街でもはずれにある小さな飲み屋街だった。響子たちが住んでいるところには、チェーン化されている居酒屋なんかが多く、瑞希がバーテンダーをしているライブハウスだって支店みたいなものだ。
 だが一歩奥に入ればこういう小さな居酒屋が多い。響子もこういう雰囲気は好きだった。酒はともかく、ずっと継ぎ足しているおでんなんかが美味しかったりするのだ。
「ここ。」
 一馬が連れてきたのは、紺色ののれんが掛かった食堂だった。食堂と言っても居酒屋のようなものだろう。そう思いながらその中に入る。
「いらっしゃい。」
 中年ほどの男がカウンターの向こうで料理をしている。店員は一人らしい。テーブルはカウンター席しか無く、男の周りにぐるっとコの字にテーブルがあるだけだ。
 店内には客が数人。風俗嬢のような女。タクシーの運転手風の男や近所から来たようなおばさん。灰色の作業着を来た赤ら顔の男がいる。
「マスター。ビールもう一本くれよ。」
「あんたもう二本目だ。これで終わり。」
「ちぇっ。ケチくさいな。」
 壁には酒は一人二杯までと書かれている。ここは本当に居酒屋ではなくて食堂なのだろう。その割にはあまりメニューはない。おすすめとホワイトボードに書いているのは、ぶり大根の定食と豚カツ定食。響子はそれに少し笑顔になる。
「ぶりは季節ですから美味しいでしょうね。」
「そうだな。俺もそれにしよう。酒は飲むか?」
「そうですね。いや……やめておこうかな。」
「どうした。疲れたか?」
「居酒屋だったら迷わずに頼むんでしょうけど、今はそこまで欲しいとは思いませんし。」
「そうか。だったらマスター。ぶり大根の定食を二つもらえるか。」
「はいよ。」
 風俗嬢のような女が立ち上がり、お金を置いてマスターに声をかける。
「ごちそうさま。マスター。お金置いておくわね。」
「毎度。ありがとうございました。」
 あまりしゃべらない男だ。だがどことなく、夜間保育をしている里村に似ていると思った。
「梨花ちゃん。思い詰めてたねぇ。」
「誤魔化してるけど、もう子供に自分がしていることがわかってきたようだしね。でもまぁ、子供を残して出て行った男も甲斐性なしっていうかね。」
「子供のために働いてんだ。あまり子供が文句を言うのも筋違いってもんだ。風俗嬢でもしないと、子供との時間もとれないしね。」
「そういうことだな。」
 水を置かれて、響子は我に返った。水だけはセルフサービスになっていて、勝手にカウンターの隅に置いている浄水器から水をくむのだ。それを一馬がわかっていて、響子の前に置く。
「すいません。ぼんやりしてて。」
「疲れてるか?」
「それもあるんでしょうけどね。」
 一日仕事をしていたのだ。そのあとにライブへ行った。疲れてないわけがない。出来るなら早く帰らせたいところだが、このあとのこともある。そう簡単に帰らせたくなかった。自分の我が儘かもしれないが、一晩中抱きたいと思う。
「明日、一馬さんは仕事に?」
「昼からだ。リハーサルをして、夜音楽番組に出る。」
「観ようかな。」
「やめてくれ。恥ずかしい。」
 そうは言ったものの、何度か響子はたまたまテレビをつけたそこに一馬を観ることもある。と言っても一馬が移るのはほんの画面の端だったり、一瞬だけだったりするが、特徴的な長い髪やがたいの良さは目を引くものがある。と言うかおそらく、響子が注目しているからだろう。
「お兄ちゃんは役者か何かかい?」
 隣に座っている男が声をかけてきた。一馬はその言葉に首を横に振る。
「いいや。」
「髪が長いからね。普通の仕事ではないのだろう?」
「あぁ。でも食えてはいる。」
 詳しい話をしない。一馬はこういう所でも気を抜かないのだ。
「良いいいわけを見つけたな。」
「どうしました?」
「髪を切りたくないから事務所を辞める。」
「辞めてくださいよ。そのアホみたいな理由。高校生じゃないんだから。」
 水に口を付けると、響子は一馬を見上げる。
「素直に言ったらいいんですよ。」
「何が?」
「自分のしたいこととは違うと。私も……いずれ言うことですから。」
「お前……。」
 別れを決意したのだろうか。響子はコップを置いて、携帯電話を取り出す。そこには数件の着信があった。その相手は圭太だった。
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