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疾走
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「flipper」で誰でも演奏ができるフリーライブをしていたので、それに顔を出したのだ。弥生もやってきていて楽しい時間だったが、さすがに明日の仕事のことを考えるとあまり遅い時間になってはいけない。そう思って圭太は五曲演奏して、「flipper」を出た。そしてまだ電車があると思いながら駅へ向かっていたのだ。その途中で見覚えのある人が居た。それは兄である信也と響子だった。響子は少し迷惑そうに信也を見ていたように思える。あまり歓迎する相手ではないのだろう。
「響子。」
思わず声をかけていた。すると響子はコンビニから出てきて、圭太の方へ足を進める。その様子に信也は少し笑った。
「待ち合わせだったのか?」
「あー。そういうわけじゃ無いけど。そこに馴染みの店があって、その帰りだよ。響子は?」
「里村さんのところに……。」
「里村?あぁ、夜間保育の?」
「春向けのドリンクを考えていて。」
偶然会っただけのように感じる。恋人同士だったら待ち合わせでも何でもして、一緒に居たいと思うモノでは無いのだろうか。
「ずいぶん仕事熱心な従業員だな。」
「頭が固くて、困ってるよ。」
その言葉に響子は頬を膨らませる。
「だけど、それがうちの味になってる。こだわりが評判を呼ぶんだ。努力した分だけ、売り上げにも繋がってるんだ。」
響子のしていることに口は出さない。それはオーナーと従業員の関係で、信頼関係が出来ていることを意味する。恋人同士という枠では無くても羨ましいと思った。信也にはそんなに信頼できる相手が居ないからだ。
こういう世界は本当に足の引っ張り合いだ。身内ですら引っ張り合う。自分が圭太を陥れようとしているのが証拠だった。
だからこそ、裏切られればその衝撃は相当なモノだ。圭太が真子を失ったときのように人間不信にまたなるかもしれない。
「そうか。それなら良い。」
「新山さん。食事をしたいならお一人でどうぞ。私はもう軽いものを食べるつもりなので。」
「あなたはもう少し食べても良いと思うが。細すぎるな。」
「この時間からがっつり食べると胃もたれがするので。」
すると圭太は少し笑った。
「そうだったな。お前、「flipper」のオムライス好きなのに、こっちに来ないのはちょっとおかしいとは思ったけど。」
「新作のソースが出た?」
「あぁ。ここ何日間限定のデミグラス。」
「明日行こう。」
コンビニに入ろうとした響子に、圭太が声をかける。
「あぁ。響子。コンビニよりもさ。そこにおにぎり屋が出来てるの知ってる?」
「おにぎり屋?」
「あぁ。俺も行って買って帰ろうと思ってたから、行くんなら一緒に行くか?」
「良いわね。手で握っているの?」
「らしいよ。今日、瑞希から聞いたんだ。駅の脇に出来てる。味噌汁もテイクアウトできるらしい。」
「良いわね。そっちに惹かれるわ。そういうことなので、新山さん。またお会いしましょう。」
「あぁ。」
そう言って圭太と響子は行ってしまった。
完全に圭太にやられた。信也は不機嫌そうに舌打ちをすると、携帯電話で連絡をする。今日の所は圭太に花を持たせるだけだ。明日にはわからないのだから。
おにぎりとアサリの味噌汁を手にして、響子は少し嬉しそうだった。おにぎりの具は奇を狙ったものもあるが、普通に昆布や鮭、梅なんかもある。おにぎりの具材でシーチキンすら嫌がる響子にとってはありがたいものだ。
「あなたのそれは何?」
圭太が手にしているのは、鶏のそぼろやツナと梅を混ぜ込んだようながっつりのおにぎりだった。
「お腹が出るわよ。」
「出ないんだよ。コレが。」
最近またジムへ行くことが増えた。その影響か、少し体が引き締まった気がする。
「どうしたの?急に体なんて鍛えて。」
「三十一だからな。真二郎みたいに食事の節制も出来ないし、だったら体を絞るかと思って。」
「……急に一馬のようにはなれないわ。」
すると圭太は頭をかく。全てわかっていたのだ。一馬のように大人びた発言をして、響子を守ってやれる力があれば、また響子は振り返ってくれるかもしれないと思う。だが響子は冷めたように言った。
「一馬さんはいつ帰ってくる?」
「明後日。」
思ったよりもレコーディングは長くかかったが、そのあとに誘われたレコーディングは割とすんなりOKをもらえたらしい。やっと帰れると、嬉しそうだ。
「そっか。そしたら家に?」
「えぇ。」
一緒に住みたいと思っていた。なのに真二郎がそれを止めた。それなのに、一馬とは住めば良いと進めてくれたのだという。その違いは何だろう。
「家まで送るよ。」
「結構よ。電車無くなるわ。」
「無くなればタクシーで帰るから。」
こういうときの圭太は強引だ。それに何か話があるのかもしれない。そう思って響子は素直に家に向けてまた足を進める。
「俺さ、少しわかってきたよ。」
「何を?」
「俺ら合わなかったよな。」
「……。」
「人との距離感も、接し方も、好きなものも。」
「違うからこそ楽しいと思えたわ。あなたはそう思わなかったの?」
「お前は、前向きだよな。俺もそうなりたかったのかもしれない。だからお前が好きだったんだ。」
「人と違うと、新しい刺激になるわね。」
「一馬さんとは価値観とかも合っているんだろう?そういう部分では刺激が無いんじゃないのか。」
「いいえ。それは無いわね。」
きっぱりとそう言うと響子は少し笑った。
「一馬も私もわがままなのよ。お互いが気を遣わない。だから一緒に居ても苦しくないわ。」
「気を遣うのは人間同士で当たり前だろ?」
「……普通の人間関係ならね。でも家族になろうとしているのに気を遣ってどうするのかしら。そんな家は窮屈ね。一秒でも居たくない。」
実家に帰ったときにそう思ったのだろう。だから響子は家に帰りたがらないのだ。「だったらお前も昔のことにもう囚われないようにしてくれよ。ことあるごとに震えたり怯えた顔をしているのを見るのが辛かった。」
その言葉に響子は頷く。
「そういうことが言えれば良かったのね。一馬は言葉が違うけれど、同じことを言っていたわ。自分がずっと付いていられないから、私自身も強くならないといけないって。その通りだと思った。」
自分にも囚われている過去があった。それを振り切れないのは自分の弱さ。そして幾度となく響子と真子を重ねてしまった。人のことは言えない。
「偉そうなことを言ったな。」
「一馬が?今に始まったことじゃないわ。」
「俺がだよ。俺だってまだ真子のことを全部忘れたわけじゃ無いってわかったから。」
まだ隣にいるだけましだ。死ねば想像の中で、そして神格化するのだから。
「響子。」
思わず声をかけていた。すると響子はコンビニから出てきて、圭太の方へ足を進める。その様子に信也は少し笑った。
「待ち合わせだったのか?」
「あー。そういうわけじゃ無いけど。そこに馴染みの店があって、その帰りだよ。響子は?」
「里村さんのところに……。」
「里村?あぁ、夜間保育の?」
「春向けのドリンクを考えていて。」
偶然会っただけのように感じる。恋人同士だったら待ち合わせでも何でもして、一緒に居たいと思うモノでは無いのだろうか。
「ずいぶん仕事熱心な従業員だな。」
「頭が固くて、困ってるよ。」
その言葉に響子は頬を膨らませる。
「だけど、それがうちの味になってる。こだわりが評判を呼ぶんだ。努力した分だけ、売り上げにも繋がってるんだ。」
響子のしていることに口は出さない。それはオーナーと従業員の関係で、信頼関係が出来ていることを意味する。恋人同士という枠では無くても羨ましいと思った。信也にはそんなに信頼できる相手が居ないからだ。
こういう世界は本当に足の引っ張り合いだ。身内ですら引っ張り合う。自分が圭太を陥れようとしているのが証拠だった。
だからこそ、裏切られればその衝撃は相当なモノだ。圭太が真子を失ったときのように人間不信にまたなるかもしれない。
「そうか。それなら良い。」
「新山さん。食事をしたいならお一人でどうぞ。私はもう軽いものを食べるつもりなので。」
「あなたはもう少し食べても良いと思うが。細すぎるな。」
「この時間からがっつり食べると胃もたれがするので。」
すると圭太は少し笑った。
「そうだったな。お前、「flipper」のオムライス好きなのに、こっちに来ないのはちょっとおかしいとは思ったけど。」
「新作のソースが出た?」
「あぁ。ここ何日間限定のデミグラス。」
「明日行こう。」
コンビニに入ろうとした響子に、圭太が声をかける。
「あぁ。響子。コンビニよりもさ。そこにおにぎり屋が出来てるの知ってる?」
「おにぎり屋?」
「あぁ。俺も行って買って帰ろうと思ってたから、行くんなら一緒に行くか?」
「良いわね。手で握っているの?」
「らしいよ。今日、瑞希から聞いたんだ。駅の脇に出来てる。味噌汁もテイクアウトできるらしい。」
「良いわね。そっちに惹かれるわ。そういうことなので、新山さん。またお会いしましょう。」
「あぁ。」
そう言って圭太と響子は行ってしまった。
完全に圭太にやられた。信也は不機嫌そうに舌打ちをすると、携帯電話で連絡をする。今日の所は圭太に花を持たせるだけだ。明日にはわからないのだから。
おにぎりとアサリの味噌汁を手にして、響子は少し嬉しそうだった。おにぎりの具は奇を狙ったものもあるが、普通に昆布や鮭、梅なんかもある。おにぎりの具材でシーチキンすら嫌がる響子にとってはありがたいものだ。
「あなたのそれは何?」
圭太が手にしているのは、鶏のそぼろやツナと梅を混ぜ込んだようながっつりのおにぎりだった。
「お腹が出るわよ。」
「出ないんだよ。コレが。」
最近またジムへ行くことが増えた。その影響か、少し体が引き締まった気がする。
「どうしたの?急に体なんて鍛えて。」
「三十一だからな。真二郎みたいに食事の節制も出来ないし、だったら体を絞るかと思って。」
「……急に一馬のようにはなれないわ。」
すると圭太は頭をかく。全てわかっていたのだ。一馬のように大人びた発言をして、響子を守ってやれる力があれば、また響子は振り返ってくれるかもしれないと思う。だが響子は冷めたように言った。
「一馬さんはいつ帰ってくる?」
「明後日。」
思ったよりもレコーディングは長くかかったが、そのあとに誘われたレコーディングは割とすんなりOKをもらえたらしい。やっと帰れると、嬉しそうだ。
「そっか。そしたら家に?」
「えぇ。」
一緒に住みたいと思っていた。なのに真二郎がそれを止めた。それなのに、一馬とは住めば良いと進めてくれたのだという。その違いは何だろう。
「家まで送るよ。」
「結構よ。電車無くなるわ。」
「無くなればタクシーで帰るから。」
こういうときの圭太は強引だ。それに何か話があるのかもしれない。そう思って響子は素直に家に向けてまた足を進める。
「俺さ、少しわかってきたよ。」
「何を?」
「俺ら合わなかったよな。」
「……。」
「人との距離感も、接し方も、好きなものも。」
「違うからこそ楽しいと思えたわ。あなたはそう思わなかったの?」
「お前は、前向きだよな。俺もそうなりたかったのかもしれない。だからお前が好きだったんだ。」
「人と違うと、新しい刺激になるわね。」
「一馬さんとは価値観とかも合っているんだろう?そういう部分では刺激が無いんじゃないのか。」
「いいえ。それは無いわね。」
きっぱりとそう言うと響子は少し笑った。
「一馬も私もわがままなのよ。お互いが気を遣わない。だから一緒に居ても苦しくないわ。」
「気を遣うのは人間同士で当たり前だろ?」
「……普通の人間関係ならね。でも家族になろうとしているのに気を遣ってどうするのかしら。そんな家は窮屈ね。一秒でも居たくない。」
実家に帰ったときにそう思ったのだろう。だから響子は家に帰りたがらないのだ。「だったらお前も昔のことにもう囚われないようにしてくれよ。ことあるごとに震えたり怯えた顔をしているのを見るのが辛かった。」
その言葉に響子は頷く。
「そういうことが言えれば良かったのね。一馬は言葉が違うけれど、同じことを言っていたわ。自分がずっと付いていられないから、私自身も強くならないといけないって。その通りだと思った。」
自分にも囚われている過去があった。それを振り切れないのは自分の弱さ。そして幾度となく響子と真子を重ねてしまった。人のことは言えない。
「偉そうなことを言ったな。」
「一馬が?今に始まったことじゃないわ。」
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