夏から始まる

神崎

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コンプレックス

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 梅子に促されるように武生は繁華街の西側の道を歩いていた。そこはいつもだったら「行ってはいけない」と固く止められているところだ。
 もしも家のことに携わるようになったらそこにもいかないといけないのかもしれない。ない方がいい。看板に三十分五千円という表示みて、視線をそらせた。
 そして風俗店の横にある階段を馴れた足取りで梅子は上がっていく。その上がアパートになっているらしく、住人はやはり風俗嬢か、キャバクラの店員が多い。そして子供も多く、泣いている声が聞こえてきた。
 上機嫌に梅子は階段を上がっていく。武生だって男なのだ。もしも梅子に言い寄られれば何もいわずに抱くかもしれない。期待は膨らむ。だけどこのべたべたするから一度シャワーを浴びたい。
 一番上の階。その橋の部屋のドアの鍵を開けようとして、手が止まった。開いている。もしかして母親がまだ居るのだろうか。仕事に行ったと思っていたのに。
 心の中で舌打ちをして、梅子は武生の方を振り返る。
「やっぱりさ……。」
 すると梅子が言う前に、ドアが開いた。梅子を老けさせたような女で、露出の高い白のワンピースを着ていた。
「梅子。今帰ってきたの?」
「まだいたんだ。」
「今日は同伴無いから。」
 ふと後ろにいる男に目を留めた。男をこの家にまで連れ込んでいるのかと、少し不機嫌になった。しかしその男に見覚えがある。
「……武生君?」
「お久しぶりです。」
「あら。大きくなったね。お兄さんたちにはお世話になってるんだけど、あなたに会うの久しぶりね。」
「はぁ……。」
「愛理さんは元気?」
「母ですか?えぇ。」
「元同僚なんだし、よろしく言っておいて。」
 そう言って梅子の母は手をひらひらさせて出ていった。
「いると思わなかった。」
「母さん嫌いだよね。梅子は。」
「あんまり合わないのよね。」
 毎日、おそらく毎日だろう。母は朝に帰ってくる。それは男とセックスして帰るのだ。相手は決まっていない。そんなところは梅子が似たのかもしれないのだ。
 ドアを開けて梅子が部屋にはいると、続けて武生も入ってきた。あまり生活臭のする家ではない。ご飯の匂いも、洗濯の洗剤の匂いもしない。ものがあまりないのだ。
「どうしたの?武生。」
 武生は玄関に立ったまま靴を脱ごうとしない。梅子はもう中に入ってエアコンのスイッチを入れてしまったというのに。
「やっぱ帰るよ。」
「何で?」
「たぶんここに来たら、梅子のお母さんからうちのお母さんに伝わると思うから。」
「もうばれてるんだから、いいじゃない。ご飯でも食べる?」
「ううん。帰る。」
 武生はそう言ってそのまま部屋を出ていった。そのドアに何かぶつかる音が聞こえる。おそらく梅子が何か投げたのだろう。そんなことは知ったことではない。気になるのは梅子ではなくて菊子なのだから。

 当初、その女がボーカルなのだと、客は少し驚いた様子で菊子を見ていた。
「でかい女。」
「でもほら、革パンから見える足、すごい生々しいな。」
 スカートをやめて革パンにしたが、ぴったりしていてこちらの方がかえって嫌らしい。菊子はそう思いながらステージに立っていた。
 しかしいざライブが始まると、外見だけを見ていた男たちは黙ってしまった。女も菊子に嫉妬していたような噂をしていたのに一気に黙り、一曲目が終わったあと歓声が上がる。
「すげぇ。「blue rose」いいボーカル見つけたな。」
「声がでけえだけだろ?」
「でも出せねぇよ。あの声。」
 菊子はその一曲が終わったとき、目をつぶっていた。だが蓮に促されて、その正面を見る。
「……何……。」
「いいってことだ。菊子。俺の目に狂いはなかった。」
 歓声は止まらず、そのまま二曲目を演奏するドラムのスティックの音がした。

 ライブが終わると、彼らはステージ脇の小部屋にはいる。そこは楽屋みたいなもので、今から演奏する人、終わった人、いろんな人が居る。
「「blue rose」すごいじゃん。」
 バンド歴は長い男たちがそうやって彼らに声をかけた。おそらく嫉妬もあるのだろう。上手いとはいってもバンド歴は短い彼らは目の上のたんこぶだった。
「どうも。」
 蓮はそう言って上着を脱いだ。早く普通のシャツを着たいと思っているのだろう。それに仕事もある。客の入りがよそう以上に多いので、スタッフがてんやわんやしていたからだ。
「あの女、どこで見つけたんだ。」
「どこって……。」
「誰かの女?」
「いいや。今日ヘルプに来てくれた女。」
「へぇ。うちも歌ってくれないかな。」
 そのときスタッフがその男たちを呼ぶ。
「次のバンド来てください。」
 その声にその男たちはステージの方へ楽器を抱えて歩いていく。やっとどっかにいった。蓮はそう思いながら、菊子が来るのを待った。制服で来ているから、帰るときは裏口を使えといっているのだ。そして裏口は楽屋にしかない。
 やがて菊子は制服を着て、そして手には夕べ乾かした制服を着てやってきた。
「メイク落としたの?」
 麗華はそう言って彼女を見る。
「えぇ。何か肌がぴりぴりしてて気持ち悪かったし。」
「肌にあった無かったのかもね。でも今日はありがとう。久しぶりにあたしたちも気持ちよく演奏できたわ。」
「……こちらこそ、ありがとうございます。」
 来たときは歌うのが嫌だ、嫌だと言っていたのに、今は歌えることに感謝をしていた。
「どうしたの?」
「たぶんこういうことがなければ、人前で歌うことなんか無かったと思うから。」
 誉められず、批判だけされて自信がずっと無かった。本当に欲しかったのは、「聴けて良かった」「上手だったね」という誉める言葉だったのに。
「批判だけをするのは、誰でも出来る。誉めて育てることも必要だ。なぁ蓮。」
 いつも批判ばかりしている蓮に、浩治が声をかけた。彼はシャツを着ると、菊子を促した。
「すぐ帰らないといけない。次のバンドが来るからな。」
「あ……そうなんですか。じゃあ、行きます。」
 すると玲二がスティックをしまいながら、菊子に声をかける。
「菊子ちゃん。また歌ってね。」
「ありがとうございます。」
 菊子はそう言って笑顔を浮かべた。そして蓮とともに裏口から出ていく。
「女子高生ってのがネックだな。」
「こうこそこそ出ていったり、入ったりするのって、良くないわよね。」
「スタジオで練習するならいいけど、ここ酒も出すし。」
 何とか歌える方法がないだろうか。まだふるえが収まらない玲二は、壁のポスターに目を留める。
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