夏から始まる

神崎

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ステージ

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 省吾が風呂から出てきて、部屋に戻るとそこには彼の弟である圭吾がいた。軽いイメージのある省吾に対して、圭吾はここに来るときは常にスーツを着ている隙のない男だった。
 どうやら座り込み、日向子を相手に酒を飲んでいるらしい。
「兄さん。」
「お前、来ていたのか。」
「あぁ。一度帰りましたけど、ちょっと兄さんに聞きたいことがあって。」
 省吾も座ると、日向子はすかさずお猪口を差し出す。それに酒を注がれると、省吾もそれを口に運んだ。
「……なんだ。あのお母さんがいるところでは話が出来ないことか。」
「はい。実は、武生の女のことです。」
「武生……あいつ女がいたのか。」
「ここ数日でずいぶん入れ込んでいるようですね。」
 武生は何かしら組に反発している。将来は組とは関係ないところにいきたいらしいが、それはおそらく無理な話だ。こういう家に生まれたのだから。
「小泉知加子って覚えていますか。」
「小泉……あぁ。「風見鶏」とかっていうアーケードのはずれのアフリカかどっかの雑貨を売っているところのオーナーだな。」
「それは今の話で、その前のことです。」
「その前?」
「戸崎グループの社長が入れ込んでいた女ですよ。あのときからうちと繋がりを持ち出したのですけどね。」
「……ってことは、武生はその女に入れ込んでいるってことか。歳は離れているのだろうに、あいつ年上がいいのか。変わった趣味だな。」
「繋がりが小泉知加子にもうなければいいのですけど、もし社長にまだ未練があるなら、うちにも話があるかもしれませんね。」
「……わがままな社長だな。ワンマンで何でもいけると思ってる。父親そっくりだ。」
 少し笑い、酒を口にした。
「いい金蔓だ。武生には悪いが、そうし向けてもかまわないと思わないか。そうしたら武生もこっちに流れるかもしれない。一石二鳥だ。」
「そうなればいいのですけど……。」
「なんだ圭吾。お前もその女が気になるのか?」
「いいえ。」
「女の影がないって下のものから言われている。お前も早く嫁をもらえ。」
「いないわけじゃないですよ。」
 少し笑い、圭吾は日向子から注がれた酒をまた口に運ぶ。
「ほう。」
「良い女ならたくさんいますが、口説こうとは思いません。でも……。」
 昨日あのステージで蓮の隣で歌っていた女。背が高くて、細身の女。挑発的なまなざし、そして笑顔。
 素の顔を見たいと思った。
「まぁ……いずれ出てくるでしょう。」
「日向子。紹介してやれ。」
 すると日向子派からになった酒を下げようとして、少し笑う。
「紹介できるものならとっくに紹介してますけど、圭吾さんの理想は高くて、私のつてでは到底かないませんから。」
「そんなつもりはないのですけどね。姉さん。」
 「blue rose」を名乗っていた。おそらく、まだ新しいあのライブハウスの出身なのだろう。圭吾は素人音楽などには興味がないので、省吾が店へ行っていたが、自分も行ってみる価値はあるかも知れない。圭吾はそう思いながら、酒に口を運んだ。

 そのころ家に帰ってきた知加子は、シャワーを浴びた跡冷蔵庫からビールを取り出した。テーブルにおくとそれをあけようとしてふと窓側を見た。シーツが干しっぱなしだったのだ。
「やばい。やばい。」
 シーツを家の中に入れて、それを畳んだ。そして赤くなる。
 このシーツの上で武生と初めて体を重ねたのだ。何度も口の中を舐められて、自分の中を突かれて、気が狂うかと思った。
 シーツには血が付いていた。初めてのことだったからかもしれない。手洗いをして共同の洗濯機に入れた後、祭りに行く前に干して置いたのだ。
「……。」
 おそらく二度、三度、アフリカに行く前に武生とこういうことがあるかもしれない。そう言えば昔ずいぶん知加子に迫ってきた男がいたが、それとはまた違っている。結局その男から逃げるようにアフリカへ行ったわけだから、動機が不純だと言われても仕方ない。
 そのとき携帯電話がなった。相手は姉である美香子だった。
「もしもし。」
「お姉ちゃん?まだ起きてた?」
「あんたこそまだ起きてたの?」
「さっき夜泣きして、やっと落ち着いたから。」
「少しでも寝とかないといけないって、自分でも言ってたじゃん。」
「そうなんだけど……心配なことがあってさ。」
「何?」
「芽依子。」
 産まれてきた女の子どもを見て、知加子も少し心配をしていた。産まれてきた女の子は、どう見てもこの国の子供ではない。美香子には似ているかもしれないが、啓介には全く似ていないような気がする。
「美香子。だから言ったじゃん。後悔するくらいなら生まなきゃいいのにって。」
「だってさ……せっかく授かったのよ。それに……。」
「失礼だよ。啓介さんにも。」
「啓介もきっと浮気してるから。」
「……え?」
 その言葉に知加子の手が止まった。
「今日だって、祭りに子供を連れていったの。その後すぐ帰ってきて、見回りに行くって言ってたけど……その後も音沙汰ないし……。」
「真面目だからねぇ。啓介さんは。」
「じゃないと思う。」
「え?」
「自分の子供じゃないから、わかってるから、他の女に手を出している。」
「……。」
「知加子さ、あたしが病院に行ったとき、啓介と一緒に来たでしょ?」
「う……うん。」
「女の子が来てたって言ってたよね。」
「生徒だって言ってた。」
「でも最近は教師の住所すら言わないのよ。何で知ってるんだと思う?」
「それは……。」
「……その女の子って、噂もあるの。仲のいい教師に聞いたわ。誰でもセックスをさせるような子だって。」
「……啓介さんがそんな女の子に手を出すかなぁ。だって結構潔癖なのに。」
「だからよ。何も知らないから、何もかも知ってる女に流れていくのって当然じゃない?」
 自分のことは棚に上げて置いて、どうして啓介ばかりを責めるのだろう。啓介をだまして、啓介の血がつながっていない子供を二人も産み、なお勝間田繋がりがあるという浮気相手がいる美香子を、少し知加子はあきれた顔で見ていた。
「……姉さん。でも啓介さんを責めれないよ。自分だって大抵のことをしているじゃない。」
 その言葉に美香子は言葉に詰まった。
「いつ言い出すかわからないけど、覚悟しておいた方が良いよ。それから、そっちの相手とももっと話して……。」
「いやよ。あの人のことは好きだけど、あの人の国に行くのはいや。」
「姉さん。」
「知加子は良いかもしれないけど、あたしはあんな汚いところ行くのイヤだから。」
 自分がどれだけ綺麗な存在なのだろう。知加子はあきれたように電話を切ると、温くなったビールを冷蔵庫にもう一度入れる。そして新しいビールを取り出すと、ふたを開けてそれを一口飲んだ。
 武生は自分について行きたいと言っていた。でもあの国の現状を見たら、やはりついてこない方が良かったと思うのだろうか。そして知加子から離れていくのだろうか。
 それが怖い。
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