夏から始まる

神崎

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血の繋がり

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 祭りの影響からか、ここのところ「風見鶏」は忙しい。ランチの時間だけではなく、雑貨もそこそこ人気があるようだ。ネックレスやピアスだけではなく洋服もないのかという声も挙がっている。
「洋服は置いていたんだけどなぁ。」
 知加子はそう言って苦笑いを浮かべる。知加子も武生もそういった洋服を身につけていたので、欲しいという人が多かったのだが、実際自分で手に入れると、洗濯機で洗えないことや干すのも陰干しをしないとごわごわしてしまうとか、案外手間がかかるので後込みしてしまう人が多いのだ。
「欲しいって言うんだから売ればいいんですよ。需要と供給ですから。」
「そうね。十月に帰ってきたときは考えようかな。エプロンとかから始めよう。」
 モノによっては品切れしているものもある。それは八月いっぱいで一度店を閉めるからだ。一ヶ月、知加子は海外へ仕入れに行く。それに武生がついて行くことはない。
 九月になればまた日常が始まる。だが知加子と体を重ねて以来、武生は男娼の仕事を辞めた。そして義理の母とは、なるべく会わないようにしている。おかげで迫られることはない。
 朝早く家を出て図書館で勉強したり、学校で補習を受けたりした後、「風見鶏」へ来るのだ。それからまた図書館へ行き、知加子の仕事が終わったら知加子の家に行って食事をしたりセックスをしたりしている。
 そんな毎日ももうすぐ終わる。
 知加子は何も思っていないのだろうか。武生に抱かれて何も思わないのだろうか。アフロヘアだった髪もパーマを落として普通の女性になったような知加子は、姿が変わったからと言って上機嫌にいつも通り仕事をこなしている。
 女性のお客さんの商品を袋詰めして手渡す。そのときお客さんの手が触れてお客さんの頬が少し赤くなった。そんな光景を見たくないのか、知加子は裏のキッチンへ向かった。
「ありがとうございました。」
 お客さんが出て行き、武生もキッチンへ向かう。すると知加子は携帯電話を手に何か話をしているようだった。
「だから、時間の問題だって言ってたじゃん。どっちも悪いんだったら、さっさと別れてしまったらいいのよ。」
 何の話をしているのかわからないが、あまり良い話ではないのは内容でわかる。
 しばらくして不機嫌そうに知加子は電話を切ると、武生が見ているのに気がついて取り繕ったように笑った。
「ごめんね。仕事中に電話なんかして。」
「いいえ。」
 アフロヘアをまっすぐにすると案外髪が長かったらしく、後ろの髪は肩を越えていた。それがうっとうしいとターバンをして誤魔化していたが、それがまた他民族のような感じに見える。だから携帯電話を持っているというのが、とても違和感に思えた。
「……姉がいるんだけどね、結婚して子供が二人いるの。でも姉にはずっと恋人がいるの。」
「旦那さんとは別にってことですか?」
「そう。産んだ子供もその恋人の子供。」
「何でそれがわかるんですか?」
 すると知加子は煙草を取り出して、それをくわえた。
「……恋人はどこか……東南アジアの人でね。今度産まれた子供は明らかにそっちの血が濃くてばれたみたい。旦那さんからDNA鑑定したいって言い出されたのよ。」
「そんなことされたら誤魔化せませんね。」
 不機嫌そうに知加子は灰を落とす。
「旦那さんも浮気しているみたいだって言ってたから、どっちが悪いなんていえないんだけど……。」
「……。」
「可愛そうなのは子供よね。浮気相手は国に帰ると婚約者もいるみたいだし。」
「婚約者?」
「そう。あっちの方は自由恋愛なんて出来ないのよ。子供は親の決めた人と結婚するのが当たり前。」
 すると知加子は煙草を消して、武生に近づいて手を握る。
「こんなことをしたら「ふしだらな女」だって噂されるわ。」
 武生もその手を握ると、知加子を抱きしめる。
「だったら、もっとふしだらになろう。知加子。今日、家に行って良い?」
「駄目って言っても来るんでしょう?」
「行きたいから。」
 顔を近づけて、キスをする。そのとき店のドアベルが鳴った。
「すいませーん。」
「はい。」
 ぱっと手を離して、知加子は店内に足を運んだ。

 時間になり、武生はそのままバッグを持って出て行った。これから図書館へ行くらしい。図書館は二十一時まで。それまでには知加子の仕事も終わる。
 明日のランチの仕込みをして、届いた商品の仕分け作業をする。カッターで段ボールをあけると、お香の匂いがした。お香は案外売れ筋商品で、八月いっぱいまでで売り切れるだろう。
「……良い感じ。」
 そのときだった。クローズにしてあるドアが開く。
「すいません。もう閉店したんですよ。」
 そちらを見ずに知加子は声をかける。すると後ろから温かいモノが背中にのしかかってきた。
「え?」
 その匂いを知っている。上等な香水の匂いだ。そして不快にさせる匂いだった。
「知加子。」
「やめてください。」
 その人を振りきるように横に避けて見据える。オールバックの髪。細い体。背は高く、上等な仕立ててあるスーツを着ている。
「……信次さん。」
「こんな奥で店をしているとは思っても見なかった。見つけるのに時間がかかったぞ。」
「……見つかりたくなかったからよ。」
 何もかも自分の言うとおりになると思っている男。そんな男に抱かれたくない。
「今度こそ、うちに嫁に来い。」
「嫌。九月になったらまたこの国出るし、帰ってきたら店をするもの。」
 少し距離をとる。その知加子の目は、菊子によく似ていた。
「こんな小さな店で何が出来る。うちで輸入業をしていたとは思えない小ささだ。」
「それでも私の城よ。文句があるなら出て行って。」
「知加子。」
 その言葉を無視するように信次は知加子に近づいていく。そしてその二の腕に触れようとしたときだった。
「触らないで。」
 こんな拒否の仕方をする女ではなかった。強がって、でも内心は弱くて、押せば簡単に転ぶような女だったのに。今はこんなにきっぱりと拒否している。
「男でも出来たのか。」
「……そうよ。」
 武生が恋人と言うには少し自信はない。だがそう言わないと、信次は引き下がらないだろう。
「どんな男でもかまわない。俺は……お前しか見てない。」
「他に見るべき女がいるわ。」
「知加子。」
「もう会わない。近づかないで!嫌!」
 そのときだった。店のドアがバン!と開いた。そして知加子をぐっと引き寄せる。
「知加子。」
 その温もりだけを求めていた。知加子は武生を見上げて、その手を握りしめる。
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