夏から始まる

神崎

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想う人

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 朝食のあと、菊子はお粥を持って葵の部屋を訪れた。ふらふらとしている葵に気がついたのは蓮の所から帰ってきた菊子で、高熱が出ていたのだ。
 今日は店に出れないかもしれない。
「葵さん。」
 ドアの向こうから声をかける。すると弱々しい葵の声が聞こえた。
「はい。」
「食事は出来ますか。」
 ドアを開けると、ベッドに横になっている葵がいた。葵の部屋にはあまり物がない。施設で育ったという葵には、あまり物欲がないのかもしれない。だが唯一、小さなCDラジカセと、数枚のCDがある。葵の好きなバンドのものだ。
「あまり食欲ないです。」
 体を起こした葵は、ため息をついた。
「食べた方がいいですよ。それから九時になったら病院へ行きましょう。」
「付いてくるんですか?」
「それでもいいですけど、一人でいけますか?」
 お粥を小さなテーブルに置いて、葵の様子を見る。顔がまだ赤い。熱がある証拠だ。
「子供じゃないんだから。」
「行っている途中で何かあっても困ります。」
 小さな子供にいうようだ。葵は少し笑って、お粥の入った茶碗を受け取った。
「アレですね。菊子さんって、昔俺が入ってた施設の施設長に似てる。」
「そうですか?」
「お節介。しかもそれがみんなに誤解を与えてるんでしょう?」
 食欲はないが、その優しい味のお粥に箸を付ける。
「私は蓮しか見てませんよ。」
「でもその蓮さんから奪おうと必死じゃないんですか。棗さんとか。」
「言っても聞かないんですよ。無駄です。」
 自信を持って言えるのは、きっと夕べ体を重ねたから。そんなにいいものかね。葵は少し冷えた目で見ていた。
「菊子さんいらっしゃる?」
 女将の声が聞こえた。菊子は立ち上がると、ドアへ向かった。
「はい。」
「蓮さんがここでお休みになるっていうから、布団を用意して差し上げて。」
「はい。じゃああとでまたお皿を回収しにきますね。」
 菊子と蓮は本当に夫婦のようだ。葵はそう思いながら、立ち上がる菊子をお粥を食べながら見ていた。
「菊子さん。」
 その時、出ていこうとした菊子に葵が声をかける。
「はい。」
「病院は一人でいけます。付いてこなくてもいいです。」
「でも……。」
「蓮さんについてやってください。俺まで疑われたくないし。」
 寝ているだけなのにどうしてついてやらないといけないのだろう。よくわからないが、確かに病院へは女将や皐月がついていってもいいのかもしれない。何もかも自分でしようとするから失敗する。いつも大将からいわれていた言葉だった。
 人に頼ることもと気には必要なのだ。のしかかるのではなく、頼り、頼られる関係でいないといけない。もしもこの家を出るのだったら、それまで女将さんや大将、葵や皐月にも頼らないといけないところは沢山出てくるのだろう。
 もちろん、一番は蓮に頼る。
 そう思いながら、あいている部屋のドアを開けた。窓を開けて、ふすまから布団を取り出した。シーツを敷いて、枕カバーを付ける。この辺は床を用意するのと同じだ。枕を二つ並べないだけ。
 用意ができて、菊子は部屋を出る。そしてリビングへ向かった。
「あれ?蓮は居ないんですか?」
 そこには大将と皐月、そして台所にいる女将さんしかいない。
「外に出ていったみたいですよ。棗さんと一緒に。」
「棗さんと?」
「あまり足止めさせてはいけない。魚を持っているのだったら、腐ってしまうぞ。」
 大将の言葉に、菊子はリビングを後にした。
 家のどこにもいないとわかると、菊子は裏口から外に出ようとした時、蓮が外から帰ってくる。
「蓮。どこへ行ってたの?」
「あぁ……ちょっと棗と話があってな。」
「棗さんは?」
「魚を持っていたからって言って帰って行った。菊子。ちょっと来い。」
 そう言って蓮は少し不機嫌そうに、菊子の手を引いた。そして二階へ上がると、菊子が用意した空き部屋ではなく菊子の部屋へ入っていった。

 昨夜の菊子はどこか違った。慣れてきたと言えばそうかもしれない。だがこんなに蓮を求めてくることはなかった。
「……お前が仕込んだのか。」
 車の中で蓮は運転席に座っている棗に聞いた。すると棗は少し笑う。
「あいつ良い女だよな。感度良好だし、すぐ濡れるし、イく時さ体にしがみつくんだよ。それがすげぇ可愛い。」
「お前……。」
 思わず手が出そうになった。だがここで手を出しても何も変わらない。
「俺じゃねぇよ。アレ一回以来してねぇ。」
「……。」
 嘘を付いた。そうではないと、すべてが崩れる。
「生でしたんだろう?」
「あぁ。ゴム切れてな。中で出してねぇよ。」
「……。」
「良いよな。綺麗なものを汚すような感覚になる。俺、サドなのかな。」
「知るか。」
 思わず煙草に手が伸びそうになった。だが他人の車だ。煙草は吸えないだろう。
「お前もすりゃ良いじゃねぇか。止めねぇよ。つーか。アレじゃん。お前が生でして、ガキでも出来たらすぐに一緒になれるだろう?」
「料理人になりたいと言っていた。子供は悪いが、足かせになるだろう。」
 だが本来そういうものだ。愛しているからこそ体を重ねたいと思うが、子供を作るために体を重ねるのだから。
「そこまで好きじゃねぇって事か。」
「そうは言ってない。お互いに見えてるものがあるのだったら、それを邪魔する権利はないということだ。菊子が料理人になりたいというのだったらそれでかまわないし、そのために今やれることをやればいい。」
「お前にはねぇって事か?」
 その言葉に蓮は少し詰まってしまった。やりたいことはある。音楽だ。プロになりたいという気持ちは嘘ではない。だが好きな音を奏でても良いなんていうところはないだろう。プロでするということは、趣味ではないのだから。
「美咲は、プロになりたいって思ってたお前を応援していたのに、あっさり自分が理想とする音楽が出来ないからって、ただのライブハウスの店員に成り下がった。俺にはそういう風にしか見えねぇな。」
「形が違っても、音楽をしている。」
「趣味でしているバンドだろ?他のメンバーだって他に仕事を持ってるから、趣味だっていってる。趣味だったらいいよな。楽しければいいんだから。」
「……何が言いたいんだ。」
 我ながらよく押さえたと思う。ではなければ棗を殴っていたかもしれない。
「お前、一度聞いてた方がいいんじゃないのか。」
「何を?」
「菊子が本当に音楽をしたいのかって。」
「……。」
「お前が無理矢理押しつけているだけじゃないのか。」
「そんなこと……。」
 否定したかった。だがそれは一理ある。
「無理矢理押さえつけてんのは俺も一緒だけどな。」
「……。」
「菊子は俺が面倒を見てやるよ。手取り足取り、色んな事を教えてやる。」
 もう限界だった。

 バキッ。

 殴られた棗はそれでも笑っていた。
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