古い家の一年間

神崎

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 コンビニを出て、スクーターに乗ろうとヘルメットをかぶったとき、ぽつんと雨の音がヘルメットから伝わった。とうとう雨が降り出したらしい。タイミングが悪いなぁ。
 そう思いながらヘルメットを脱いで、座席の下に入れる。スクーターを押しても大した距離じゃないからだ。
 雨に打たれながら、アパートに向かう。そしてその駐輪場に車を入れると、コンビニの袋を手にアパートの中に入っていった。
 一階の端にある部屋。それが私の部屋。
 鍵を開けて、中にはいる。
 リビングにはイーゼルと描きかけの絵があった。夏の終わりに描き上げた絵は、破棄してしまった。気に入らなくなったからだ。
 律はそれを残念だといっていたが、もうこれ以上修正がきかないと思ったから破棄した。
 そしてまた描いている絵。相変わらず私は海の絵を描いていた。
 鮮やかな海の絵だった。
「鮮やかであれ。」
 色のない世界は苦手だ。あの日のことを思い出すから。

 お風呂からあがり、携帯電話をみる。そこにはメッセージが残っていた。それは律からだった。
「明日、部屋に行く。」
 いつからだろう。そうやってメッセージが来ることを、打算的だと考えるようになったのは。
 一緒にいれる時間が少なくなったと律は思って、仕事が終わるとなるべく私の部屋にやってきてセックスをする。しかしそれだけが私たちを繋ぐものだろうか。
 あの夏の日。テトラポットの影でキスをした。そのときの方が、深く愛し合っていたような気がする。贅沢なんだろうか。
 でも何もメッセージを返さないのも悪いだろう。「待ってる。」とメッセージを送り、携帯電話をテーブルの上に置いた。
 そして椅子をイーゼルの前に置き、小さなバケツに水をくむ。

 次の日も雨が降っていた。
 そのせいか空気が冷たくなった気がする。だけど仕事場に暖房を入れるほどじゃない。上着を一枚よけいに羽織ると、また仕事を再開した。
「ただいま。」
 入り口の扉を見ると、そこには律がいた。いつにもましてぼろぼろな容姿をしている。
「大変だったな。飛行機でなかったんだろう?」
 楓がきくと、律はげんなりした表情でいう。
「ストライキか何か知らないけど、迷惑するのは俺らだ。勝手にやってればいいのに。」
「北川さん。早速だけど、写真のチェックして欲しいわ。あなたが見ないといけないところもあるから。」
 田宮さんはそういってファイルを彼に渡す。
「…うん。これは変えた方がいい。ちょっと待って。」
 荷物を下ろして、彼はパソコンの電源を入れる。いつも通りだ。何の変化もない。
「…南沢さん。ちょっといいかしら。」
 珍しく光が、私に声をかける。何だろう。私は光に誘われるまま、キッチンへ向かった。
「コーヒーを入れたいんだけど、豆はどこかしら。」
「あぁ。いつものが切れてたら、予備はそこに…。」
 しゃがみ込んで、その扉を開ける。すると光もしゃがみ込んだ。
「ねぇ。律はどの国に行ってたの?」
「え?」
「後進国よね。いつもだったら。」
「えぇ。」
「でもさっきニュースを見たけれど、飛行機会社のストライキなんてどこも起きてないのよ。」
「え?」
「本当に帰れていなかったの?律って。」
「…。」
 真実はわからない。だけどそれを信じるしかない。
「律がそういうのだったら、そうなんでしょう。」
「でも周。」
「疑い出せばきりがない。私がついて行くわけにはいかないし、真実は闇の中でしょ?」
「陸だって、あたし一筋なんてことをいいながら、つきあって一ヶ月で浮気してたのよ。」
 陸というのは移動販売をしているパン屋の店員で佐原陸という。光とは夜の町で会うこともあり、自然につきあいだしたらしい。それまで光は律のことしか見ていなかったけれど、佐原君が猛アタックをして実を結んだ。
 なのにすぐ浮気をするなんていうことがあったのだ。
「佐原君はもてるから。」
「律だってもてるわよ。外見はあんなんだけど面倒見はいいし、何より写真家として今引っ張りだこじゃない。綺麗なモデルさんなんかに言い寄られたら…。」
「…律は言っていたけれど、律が写真家として独立する日はないって。」
「え?」
「…詳しくは知らない。だけど、何かしらの理由があるのよ。」
「…何なの?」
「それはわからない。」
 同じ大学にいた律だけど、律は大学でも有名だった。写真学科の中でも突出した才能を持っているという。だけど変人だという噂もあった。芸術家というのはそんなものなのかもしれない。
 大学を卒業して、有名な写真家である「上田登」の弟子になり、それからのことは知らない。ただ噂はある。
 週刊誌に書いてあるような下世話な噂の域を越えないものだが。
「まだ?コーヒー。」
 律が顔を出して、光がすねたようにいう。
「お湯が沸かないからちょっと待って。」
「東野さん。私仕事に戻ります。」
「あぁ。ごめんなさいね。手を止めさせて。」
 私は律の横をすり抜けて、自分の机に戻っていった。もうスリープ機能が画面を彩っている。
「…。」
 マウスを動かしそれを解除させるが、頭の中には光の声が響いていた。
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