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冬
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沖田の話には違和感がある。キスをされたその手を私は引っ込めると、彼から離れるようにソファから立ち上がった。
「嘘でしょう?」
「え?」
「私はあなたを知らない。」
「あなたが私なんか眼中になかったからです。」
「いいえ。違います。私は海と空をモチーフにした絵ばかりを描いていましたが、それをモチーフにしていた同期はいなかったと記憶しています。」
「…。」
「それに、あなたのように目立つ人が他の女子生徒に騒がれないわけがない。二十歳ほどの多感な時期にあなたに言い寄る人は多かったでしょう。そんな噂を私は聞いたことがなかったから。」
すると彼はその携帯電話を取り出した。そして私を見上げる。
「そのとおりです。これは私のモノではない。これを撮っていたのは、北川さんです。」
やっぱり。見たことがあると思ったから。
「やはり、あなたは北川さんしか見ていない。楓様は眼中にすらないのでしょうね。」
「…。」
「それはもちろん社長にも言えることでしょう。」
「社長?」
「社長も、あなたの絵を見て「この絵を描く人が、男だろうと女だろうとかまわない。私のモノにする。」と言っていましたから。」
「…でも…。」
「悲しいことです。社長はあなたにあって本気であなたを好きになったというのに、あなたは社長を見ようともしないのですから。」
眼鏡を再びかけると、彼はまた携帯電話をしまった。
「だから私を監禁したのですか。」
「えぇ。そしてこの部屋に連れてきたのです。」
冬が始まる。
日が落ちるのが早くなり、もうすでに夕日が部屋の中に差し込んできた。
一日が終わろうとしている。
外は昨日と同じように暗くなり、眼下には夜景が広がった。私はそれをぼんやりと見ながら、どうにかして逃げられないかと思っていた。
しかし沖田は無言の圧力で、私を監視している。逃げられる隙なんかないのだ。
やがて入り口ドアが開く音がした。そしてやってきたのは、社長だった。
「…気は変わったか。」
「いいえ。変わりません。」
「強情な奴だ。」
すると社長は沖田に部屋から出ていくように指示をする。すると彼は言われたとおり帰って行った。
部屋の中には社長と私だけになる。すると彼は絨毯の上に座っている私に近づいてきた。
「なんだこれは。」
私の周りに散らばっているそのメモ紙を彼は手に取った。
「…ここの風景か。」
「夕方から、夜にかけてです。五分ごとに描きました。」
「これをぱらぱらマンガにしたらCMになりそうだな。」
「そのときはちゃんと描きます。」
「いつ完成するかわからない絵を待つのか。下らんな。」
そう言って彼はそのメモ紙をまとめた。
「何か食事はしたのか。」
「食欲がなくて。」
「水しか飲んでいないのか。倒れるぞ。」
「いっそ倒れてくれないでしょうか。」
すると彼は私の元を離れ、キッチンへ向かう。何をする気だろう。
「…鶏肉と卵、ネギか…。」
「何をするんですか。」
「うどんでも作ろう。消化がいい方がいい。」
「社長が作るんですか。」
「それくらいは出来る。学生の時は自炊をしていたし。」
キッチンへ行き、その手つきを見ていた。しかし「していた」というのは何年前のことなのだろう。包丁を持つ手が危なっかしい。
「私がしますから、休んでいてください。」
この部屋で何もしていなかったのだ。何か体を動かさなければ、やりきれない。
鶏ガラスープとぶつ切りにした鶏肉、ネギや椎茸、水菜を入れて、塩と醤油で味を調える。
灰汁を取りながらしばらく煮立たせ、冷凍うどんを電子レンジに入れた。これで麺を湯がかなくてすむ。
二つの器にうどんと汁を入れ、ダイニングへ持って行った。
「出来ましたよ。」
「私の分もあるのか。」
「えぇ。汁が余ったし。あ、もしかして食べてきましたか。」
「いいや。貰う。」
広いダイニングテーブルに向かい合ってうどんを食べる。適度な塩気と鶏肉の味がした。
「うまくもないが、不味くもない。楓はこんなモノを食べていたのか。」
「夏頃までです。」
「他には何を?」
「様々ですね。今年の春は花見に行きました。会社の人たちとみんなで。楓は甘い卵焼きが好きでしたが、律はしょっぱいモノが好きで…。」
懐かしい。半年くらい前の話なのに、どうしてこんなに懐かしいのだろう。
帰りたい。
あの古い家に帰りたい。
「…私の元の妻は、料理が上手だった。」
「…。」
「味噌汁一つ作るのにも、出汁からとって手間をかけていた。もっとも、食べれたのは数回ほどだろうか。当然だな。」
うどんの汁を飲んで、彼はため息をつく。
「息子が生まれたときも、仕事があると言って病院には行かなかった夫だ。相手の家族も、私の家族も怒っていたようだったが、見方をしてくれたのは楓だけだったな。」
「…楓が?」
「仕事があれば仕方がないと。それがあるから私の家族は食べていけているからといっていた。知ったようなことをいって、生意気な奴だ。血の繋がりがあるかどうかもわからない弟のくせに。」
言葉は随分冷たい言い方だ。しかしどことなく嬉しそうだった。
「楓のこと、好きなんですね。」
「…ふん。しかし奴とは好みが似ている。南沢。」
「はい。」
「この場だけだ。限定だが、私のことは嵐と呼べ。」
そういって彼は食べ終えたうどんの器をキッチンに戻した。
「あの…。」
「何だ。」
「嵐…さんでいいのですか?」
「嵐だ。」
彼がそう呼べというのは、沖田が言った社長が私に好意があると言ったから?
それともただの気まぐれ?
器を持って私もキッチンへ向かう。
「お皿くらいは、洗いますから。」
「大した量じゃない。周。いいからやらせろ。」
周?私のことも呼び捨てで?
「嵐…。」
その名前を呼んだというだけで、彼は笑い、そして水を止めると私に近づいてきた。
「何?」
「やはり奴とは女の趣味が似ているらしい。」
そのときの表情を知っている。それは楓が私に近づいてきたときの…あのときの表情だった。
「ダメです。嵐。ダメです。」
「昨日はよくて今日はダメか。」
「昨日だって無理矢理だったのに。」
「今日は薬を飲ませる気はない。」
あの夜景の綺麗な窓まで追いつめられる。二の腕を捕まれ、もう逃げられなかった。
「周。」
その声も似てる。楓に似ている。でも私が求めているのはこの人じゃない。
助けて。律。
心の中で願う。だけど、それは叶わなかった。柔らかい唇が、唇に触れた。そしてぐっと閉ざされた唇を舌が割ってくる。
「う…。」
香水の匂いがする。その匂いに酔ってしまいそうだった。
「嘘でしょう?」
「え?」
「私はあなたを知らない。」
「あなたが私なんか眼中になかったからです。」
「いいえ。違います。私は海と空をモチーフにした絵ばかりを描いていましたが、それをモチーフにしていた同期はいなかったと記憶しています。」
「…。」
「それに、あなたのように目立つ人が他の女子生徒に騒がれないわけがない。二十歳ほどの多感な時期にあなたに言い寄る人は多かったでしょう。そんな噂を私は聞いたことがなかったから。」
すると彼はその携帯電話を取り出した。そして私を見上げる。
「そのとおりです。これは私のモノではない。これを撮っていたのは、北川さんです。」
やっぱり。見たことがあると思ったから。
「やはり、あなたは北川さんしか見ていない。楓様は眼中にすらないのでしょうね。」
「…。」
「それはもちろん社長にも言えることでしょう。」
「社長?」
「社長も、あなたの絵を見て「この絵を描く人が、男だろうと女だろうとかまわない。私のモノにする。」と言っていましたから。」
「…でも…。」
「悲しいことです。社長はあなたにあって本気であなたを好きになったというのに、あなたは社長を見ようともしないのですから。」
眼鏡を再びかけると、彼はまた携帯電話をしまった。
「だから私を監禁したのですか。」
「えぇ。そしてこの部屋に連れてきたのです。」
冬が始まる。
日が落ちるのが早くなり、もうすでに夕日が部屋の中に差し込んできた。
一日が終わろうとしている。
外は昨日と同じように暗くなり、眼下には夜景が広がった。私はそれをぼんやりと見ながら、どうにかして逃げられないかと思っていた。
しかし沖田は無言の圧力で、私を監視している。逃げられる隙なんかないのだ。
やがて入り口ドアが開く音がした。そしてやってきたのは、社長だった。
「…気は変わったか。」
「いいえ。変わりません。」
「強情な奴だ。」
すると社長は沖田に部屋から出ていくように指示をする。すると彼は言われたとおり帰って行った。
部屋の中には社長と私だけになる。すると彼は絨毯の上に座っている私に近づいてきた。
「なんだこれは。」
私の周りに散らばっているそのメモ紙を彼は手に取った。
「…ここの風景か。」
「夕方から、夜にかけてです。五分ごとに描きました。」
「これをぱらぱらマンガにしたらCMになりそうだな。」
「そのときはちゃんと描きます。」
「いつ完成するかわからない絵を待つのか。下らんな。」
そう言って彼はそのメモ紙をまとめた。
「何か食事はしたのか。」
「食欲がなくて。」
「水しか飲んでいないのか。倒れるぞ。」
「いっそ倒れてくれないでしょうか。」
すると彼は私の元を離れ、キッチンへ向かう。何をする気だろう。
「…鶏肉と卵、ネギか…。」
「何をするんですか。」
「うどんでも作ろう。消化がいい方がいい。」
「社長が作るんですか。」
「それくらいは出来る。学生の時は自炊をしていたし。」
キッチンへ行き、その手つきを見ていた。しかし「していた」というのは何年前のことなのだろう。包丁を持つ手が危なっかしい。
「私がしますから、休んでいてください。」
この部屋で何もしていなかったのだ。何か体を動かさなければ、やりきれない。
鶏ガラスープとぶつ切りにした鶏肉、ネギや椎茸、水菜を入れて、塩と醤油で味を調える。
灰汁を取りながらしばらく煮立たせ、冷凍うどんを電子レンジに入れた。これで麺を湯がかなくてすむ。
二つの器にうどんと汁を入れ、ダイニングへ持って行った。
「出来ましたよ。」
「私の分もあるのか。」
「えぇ。汁が余ったし。あ、もしかして食べてきましたか。」
「いいや。貰う。」
広いダイニングテーブルに向かい合ってうどんを食べる。適度な塩気と鶏肉の味がした。
「うまくもないが、不味くもない。楓はこんなモノを食べていたのか。」
「夏頃までです。」
「他には何を?」
「様々ですね。今年の春は花見に行きました。会社の人たちとみんなで。楓は甘い卵焼きが好きでしたが、律はしょっぱいモノが好きで…。」
懐かしい。半年くらい前の話なのに、どうしてこんなに懐かしいのだろう。
帰りたい。
あの古い家に帰りたい。
「…私の元の妻は、料理が上手だった。」
「…。」
「味噌汁一つ作るのにも、出汁からとって手間をかけていた。もっとも、食べれたのは数回ほどだろうか。当然だな。」
うどんの汁を飲んで、彼はため息をつく。
「息子が生まれたときも、仕事があると言って病院には行かなかった夫だ。相手の家族も、私の家族も怒っていたようだったが、見方をしてくれたのは楓だけだったな。」
「…楓が?」
「仕事があれば仕方がないと。それがあるから私の家族は食べていけているからといっていた。知ったようなことをいって、生意気な奴だ。血の繋がりがあるかどうかもわからない弟のくせに。」
言葉は随分冷たい言い方だ。しかしどことなく嬉しそうだった。
「楓のこと、好きなんですね。」
「…ふん。しかし奴とは好みが似ている。南沢。」
「はい。」
「この場だけだ。限定だが、私のことは嵐と呼べ。」
そういって彼は食べ終えたうどんの器をキッチンに戻した。
「あの…。」
「何だ。」
「嵐…さんでいいのですか?」
「嵐だ。」
彼がそう呼べというのは、沖田が言った社長が私に好意があると言ったから?
それともただの気まぐれ?
器を持って私もキッチンへ向かう。
「お皿くらいは、洗いますから。」
「大した量じゃない。周。いいからやらせろ。」
周?私のことも呼び捨てで?
「嵐…。」
その名前を呼んだというだけで、彼は笑い、そして水を止めると私に近づいてきた。
「何?」
「やはり奴とは女の趣味が似ているらしい。」
そのときの表情を知っている。それは楓が私に近づいてきたときの…あのときの表情だった。
「ダメです。嵐。ダメです。」
「昨日はよくて今日はダメか。」
「昨日だって無理矢理だったのに。」
「今日は薬を飲ませる気はない。」
あの夜景の綺麗な窓まで追いつめられる。二の腕を捕まれ、もう逃げられなかった。
「周。」
その声も似てる。楓に似ている。でも私が求めているのはこの人じゃない。
助けて。律。
心の中で願う。だけど、それは叶わなかった。柔らかい唇が、唇に触れた。そしてぐっと閉ざされた唇を舌が割ってくる。
「う…。」
香水の匂いがする。その匂いに酔ってしまいそうだった。
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