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第四章「絶望のフラグメント」
chapter36「*episode長谷川輝『長谷川輝の事情~後編~』」
しおりを挟む「おいてめぇ、何寝たふりしてんだよどけよぉ!」
帰るバスの中、目を瞑り考え事をしていた所、何やら耳障りな奇声を叩きつけられる。
……俺に言っているのか?
「お前だよ似合ってねぇオールバックのオタ眼鏡小僧!」
目を開く。
目の前にはよく焼けた肌の、似合わない金髪の男。
耳や鼻にピアスをつけ、腕には、よほど安いところで入れたのだろう、よくわからないダサいタトゥーのようなものが刻まれている。
「目の前にか弱い女性がヨォ? しかもお妊婦様がいるってのに何目閉じて寝た振りして座り続けてんだてめぇ!!」
別に寝たふりをしていた訳ではなく、純粋に気付かなかっただけなのだが。
「若ぇんだから楽してんじゃねぇぞてめぇ!!」
ちなみにここは、優先席などではない。
むしろ優先席にはパンチパーマの強面の大男と、腕に髑髏の刺青を入れた大柄なマッチョが座っていた。
しかも、妊婦と言い張っているが、見た目でわかるような姿ではなく、それを示すマークのようなものも付けてはいない。
それでどう気付けと?
難癖つけられているだけとしか思えない。
そんな状況でだ、気付かない方が悪いのか? 常に周囲に気を払えとでもいうのか? 冗談じゃない。
そもそも伝え方ってものがあるだろう。
世の中に、注意をしたら逆切れされて暴力を受けた、という事案があるが、そのほとんどはこんな感じなのだろう。
優しく普通に伝えればいいものを、喧嘩腰で感情的に怒鳴り散らすから相手も怒り狂い、暴力につながるのだ。
「おら、どけやカス!!」
「マー君超格好いい~……」
その妊婦らしき女もこいつの女らしい。
なるほど、自分の女の前で良い格好つけたくなっちゃった訳か。
男も男なら女も女だ。
どこのギャルか、というくらいの昇天盛りヘアーの金髪で、露出の高い服を着たケバい焼けた肌の女。
太ももにはやはり、彼氏と同じ店で入れたのであろうよくわからないダサいタトゥーらしきものが入れられている。
「何見てんだてめぇ! 殺すぞ! 汚ぇ目でジロジロ見るんじゃねぇ! 色気づくのは千年早ぇんだよクソオタ!!」
ガシガシと椅子を蹴ってくる。
そばの椅子に座ってる女性にもいい迷惑だが、奴からすればきっと、蹴らせた俺が悪いとでも言うのだろう。
というか、さっきも述べたが。ここは優先席ではない。
そもそも他にいくらでも人が座っている席はあるのに何故、俺の席なんだ?
……眼鏡をかけていれば弱い、みたいな考えなのだろう。
強面の優先席には声をかけられないから、近場で一番弱そうで、問題にならないであろう俺を選んだと。
確かに他は、老人かオバサンか女性客だ。
俺だけが男性で、眼鏡で、弱そうだから、わざわざ絡んできたと。
これはもはや、差別だよな。
「マー君マジ優しい~、それにひきかえ、そこのクソキモオタゴミ眼鏡マジうぜぇ。お前マジ何のために生きてんの? マジ生きてるだけで害悪だよねー。マジ何で生きてんの?」
「本当それな? チ●ポいじくりまわしたきたねぇ手でキモイ本読んでんじゃねぇよ。害悪が」
持っていた本をディスられる。
「マジきもい~。女性を性的搾取する本とか公然で読まないで欲しいんですけど~。公然猥褻罪じゃないですかぁ~?」
カバーで内容はわからないようになっているはずなんだが?
「ほんそれな。おら! グズグズすんなどけ!」
だんだん腹が立ってきた。
なぜこんなにも理不尽な目にあわなければならないんだ?
俺はただ、普通に座って、目を瞑って考え事をしていただけなんだぞ?
そこに何の罪がある?
そしてこいつらは何の権利があってここまで俺をなじれるんだ?
「……」
――あのクソ女の腹を蹴り潰して激昂する男を叩きのめしてやったらどうなるだろうか。
ほの暗い思考が脳裏を巡った。
できなくはない。
これでもそれなりに鍛えているし、舐められない程度に技は身につけている。
これでも武術は嗜んでいるんだ。殺ろうと思えば殺れるんだが?
下等な虫けらを見るような気持ちで馬鹿どもを見ていると。
「何見てんだゴルァ」
力の差を理解できていない馬鹿は調子に乗って顔を近づけてくる。
射程距離だ。いつでもやれる。やろうと思えばいつでも殺れるのだ。
身長は165センチ以下だろうか。態度の割には矮小な体躯。
見たところ、男はヒョロガリで腹だけは出ているクズのような体型だ。
体格差はそのまま力の差となる。ついでにいうと、俺は着やせするからガリガリに見られがちだが、それなりに鍛えている。
負ける要素が見当たらないのだが。
「なんだよ。やんのか?」
「別に」
「すかしてんじゃねぇぞごら」
溜息をつき、見下げ果てた眼で馬鹿を見やる。
馬鹿の相手はしたくないのだが。
「舐めてんのかゴルァ」
ついに動いた馬鹿の放つ拳を掌で横に払い、耳へとカウンターでスナップの聞かせた掌打を放つ。
包み込むような形で丸めた掌を耳に叩きつけ、空気で鼓膜にダメージを与える技。イヤーカップ。
それを、寸止めする。
ついでに言うと、伝統拳の太極拳と形意拳を習っていた過去があるので、発勁の基本功は身についている。
なので、座ったままであろうと力は発されており、ただのスナップの利いたビンタではなく、重く響く一撃が顎の接合部にまで叩きつけられる特別性だ。
そして本来通り、もし当たっていたのであれば、そのまま横顔に手を貼り付けて、親指を眼に押し込むまでがセットなのだが……。
アホは相手にしたくないので、実力をわからせてやるべく手加減して寸止めにしてさしあげたのだが。
「ぷっぴぴっぱはぁっ! 超うけるぅ~! オタ君運よく避けたはいいもののお返しが当たらないビンタかよだっせぇ~!!」
雑魚には何も理解できないらしい。
「んだよこら、やんのかおら! しゅっしゅっ」
フォームのなってないクソのようなジャブもどきを虚空に放つ馬鹿男。
動きが完全に素人で見ているこっちが恥ずかしい。
うっとおしい。
――本当にうっとおしい!
ちょうど降りる場所に着いたので降りる事にする。
はっきりいって、つきあってられん。
「びびってんのかよぉっ! キモオタ風情が!」
無視してバスからの下車を志す。
「最初からそうすりゃいいんだよぉ! しかも恥ずかしくて降りちゃったぁ? バス代二回分乙っ」
普通に降りる場所だっただけなのだが……本当、こういうクズには腹が立つ。
万が一調子に乗って追って来たら殺そう。
強くそう思った。
ドス黒い感情に心が支配されかける。
――どうせ俺のような人間に未来は無いんだ。
絶望が殺人鬼を産むのだ。
底辺の悩み多き人間が耐え難い強いストレスを受けたとき、人は無敵の人へと変貌する。
誰もそれを認めたがらないが、殺人鬼は、環境が生み出すこともあるのだ。
「……」
バスを降りきる。
「よっわ、ざっこ、ゴムゴムのぉ~ピストルぅ~っ! 喰らわしちゃうぞ~。おいゴルァ! おいこら馬鹿野郎っ」
「マー君マジうける~」
抱きしめあい、笑いあう馬鹿二人。
さっさと座ればいいのに。
バスが去っていく。馬鹿と共に。
結局、馬鹿は来なかった。
そのまま去っていった。
――びびってんのはそっちだろ口だけ雑魚野郎が目玉潰して睾丸潰して一生後悔するような傷をつけてやろうか!! 指も全部へし折って腕の関節も足の関節も全部へし折っていっそ背骨も砕いてギリギリ生きてるだけの存在にしてやろうか!! それともいっそ、くびり殺してやろうか!!
強い感情が一瞬、湧き上がった。
誰だって、後先考えずに全てがどうでもよくなる時はある。
物静かな奴は怒らせると怖い、オタクみたいなタイプは怒ると怖いなどとのたまう奴がいるが。
大きな間違いだ。
誰だって怒るし、本当に怒り狂えば怖いものだ。
物静かでないオタクでもない奴が切れても怖くないと思ってしまうのは、普段から切れるイメージがあって、想像の範囲内だからに過ぎない。
滅多に切れない人間は、その姿が想像できない。慣れていないから余計に怖く感じるだけなのだ。
誰だって怒るし、キレれば怖くもなる。
そんな簡単な事もわからず、これだから普段物静かな奴は何を考えているかわからんなどと……最初から理解を諦めているからいざという時に悲劇が起きるのだ。
溜め込んで蓄積された怒りは、爆発すると激しい憎悪を撒き散らす。
それは、底辺の人間であるほどに恐ろしい結果になる。
なぜなら、今幸せに生きている人間であれば、爆発した後、暴力などをふるえばどうなるか考えて踏みとどまれるからだ。
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だが、底辺の人間はどうか?
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だから、そういった無差別殺人事件が起きるのだ。
底辺の人間は、失うものが無いから、爆発したときに、どうでもよくなるのだ。
何を失おうとどうでもよくなってしまうのだ。
最初から何も無いのだから。
何を奪われてもよいのだから、法の逸脱など恐れない。罰則によるブレーキが無意味となるのだ。
だが、それを誰も理解しようとはしない。
痛ましい事件だった。犯人は最低な奴だ。それだけで終わらせる。
テロで起きる乱射事件などは除く。それに関しては今の話とは無関係だからだ。
ともかく、人々は学ばなければならない。
――もうどうでもよい、全てを失ってもいい。いや、もはや何も持ってはいないじゃないか。
こういった心境の人間を“生み出してはならないのだ”。
そして“刺激して追い込んではならないのだ”。
それができないから、無関係な人間が多数死ぬ事になる。
明日は我が身だ。人事ではない。
殺される側にいつなるかわからない。
同時に、いつ殺す側になるかもわからないのだ。
だが、だれもそんな風には考察しない。
犯人憎しで原始時代の猿のように猛り狂って犯人へと石を投げるのみ。
物理的な石ではない。コメントや意見と言う、怒りと言う石を投げつける事しかできやしない。
そんなだから銃乱射事件や無差別殺人のような痛ましい事件がいくらでもいつまでも起こるのだ。
止めたければ簡単な話だ。
みんなが優しくなればいいのだ。
汝の隣人を愛せよと、かつて神の子は言った。
まさにそのとおりなのだ。
もし近くに、この世の終わりのような状況の人間がいた時、みんなが手を差し伸べて救える世界になれば。
誰も自爆行為のような暴走殺人を犯したりはしないのだ。
人はもっと、その時代における真なる弱者の声に耳をかたむけるべきなのだ。
そして、もっと持たざる者を恐れるべきだ。
ただ恐れて否定するのではなく、持たざる者を無くす努力をするべきなのだ。
どうやって?
与えてやればいい。
幸せにしてあげればいいのだ。
この誰もが貧しい、与えられる物も無い、底辺だらけの世界で、手持ちが無くとも与える事ができるものがあるとしたらただ一つだけだ。
それは愛。
愛が無ければ、真実の平和は訪れない。
太古の昔から、二千年にも渡って伝えられてきたはずの事が、実質、誰もできていないという事なのだ。
まさに末法。
仏の教えの忘れ去られた、餓鬼畜生修羅の世界、まさに地獄となっているのだ。
有名人もy●utuberも、金のある人間、勝った人間の意見しか垂れ流さない。
勝った人間の、勝つ人間になるための、蹴落とすための技術や思想ばかりを良しと教え伝え。
自らの非道を正当化するような教えや意見ばかりを、幸せになる方法として伝える。
人類の魂は穢れている。
アファーメーション、次の段階への進化が必要な時なのだ。
だが、そんな事をのたまえば、スピリチュアルだの鬼痴害だのとののしられる。
……そんなだから、持たざる虐げられし者達の暴動を受けるはめになるのだ。
おごれる者どもが少しでも弱者に対する敬意を払うだけでこれら事件はなくなるというのに。
ま、こんな事を考えるだけでも無駄な事なのだがな。
なぜなら、口にしても誰からの賛同も得られないからだ。
今の世の中、意見が通るのは女性様ばかり。
男がもの申せば反発ばかりの世界だ。
男には発言権さえ無い世の中。あっても即座に否定されるのがオチなこの世の中。
見えざる差別。見えざる貴族。見えざる洗脳。
貧富の差だけでなく、権力の差も広まるばかり。
「……」
歩く先。
通路の脇に俗物的な週間雑誌が捨てられていた。
モラルのかけらもないな。
拾って近くのゴミ箱へと捨てるべく持ち上げる。
偶然目にしたページには、表現に対する規制法案を巡る女性様の意見が書き連ねられていた。
男の楽しみに対してはいくらでも難癖付けて、規制だなんだと縮小されていく一方、女性様の楽しみはドラマから漫画まで優遇されて拡張され、男の楽しみは逆に侵食されていく。
ポリティカル・コレクトネスとは男性嫌悪者による男性権利の侵害の事だったのか?
平等という言葉の意味はどこにいった!!
どうせ、こんな意見だって、言ったところで潰される。
男が発言しても、反論で、数で、捻じ伏せられるんだ!
どんなに疑念があろうとも、革命なんて起こせない。
この世界は――無意味だ。
生まれてきた時点で、ある者はもう、圧倒的に不利な立場に居続けなければならないのだから。
不利な立場の存在の意見は黙殺される!
生まれた時点で勝つ側の決まった出来レースの世界。
黙殺され続けるがゆえに、革命は起こせない!!
こんな世の中で、一体何ができるというのか!!
――だから今の世の中、人は異世界に憧れるのだろう。
この世界ではもう夢を見ることすらできなくなってしまったのだから。
異世界ね……。
俺だっていけるもんなら行ってみたいものさ!!
できることなら、この世界とは違って、努力によっていくらでも世界を変えられるような、面白みのある世界である事を祈る。
「……」
――くだらん戯言だ。
そんな空想物語、起こるはずがないのに……。
コンビニの外に置いてあるゴミ箱へとゴミを投げ捨てると、俺は独り、歩き出す。
再び、この世界についてを巡る思考実験と独り哲学に浸るために。
魔術は世界を変えるというが、結局は無意味だったな。
現代魔術の定義とは、己の内面を変容させる事で、自身の現状さえも変えていくものであると、多くの高名な魔術師の言葉から導き出される。
アレスター・クロウリーいわく。
『魔術とは意思に従って変化を起こす科学であり技術である』
ダイアン・フォーチュンいわく。
『魔術とは意思において意識を変える技術である』
ようは、意識を意のままにコントロールできるようにし、乱れる心を落ち着けて、変わった自分によって現状に起こる出来事をより良くできたらいいね、という技術に過ぎない。
自身の心の安定方法。自己洗脳法だ。
所詮、魔法的なものなど、この世にはないのだ。
結果、良い事があっても偶然に過ぎないのだから。
前向きにして、良い事が起こるよう信じるだけの技。
結局の所、それらは科学的には、プラセボという。
「……」
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心が上手くコントロールできない。
魔術が必要だな。
……そういえば、さまざまな魔術を試しては来たが、まだ実行できていない秘術があったな。
――生贄の血を必要とする、他の命を捧げるタイプの術だ。
小動物でもいいが、生贄は大きければ大きいほどよい。
人間ならなおのこと――。
その時の俺は、いったいどんな表情をしていたのだろうな?
目の前まで来てぶつかりそうになった婦人が、俺の顔を見た瞬間、小さな悲鳴を上げて飛びのいた。
どうやら俺の口元には、小さな笑みが浮かべられているようだった。
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